第7話 王の空気を漂わせる男(前編)
今日も朝日の気配を感じ、僕は瞼を持ち上げた。
エストリアの気候にも慣れてきたのか、自然と目が覚めるようになってきた。
カーテンの向こうは白々と明るくなっていて、鳥の囀りがすぐ近くに聞こえる。
「着替えて、仕込みの準備をしないと」
寝床から起き上がろうとすると、なんだか身体が重い。
風邪かなと思ったけど、さして熱が出ているわけでも、節々が痛いわけでもない。
なのに身体がベッドから離れようとしないのだ。
金縛り? もしかして誰かの魔術? いや、呪いかもしれない。
頭をよぎったのは、2年前の悪夢だ。その時になって、自分が狙われていることを思い出す。なんとか身体を動かそうともがく最中、僕は無意識に叫んでいた。
「アリア!!」
「ん? ……どうしたの、ルヴィンくん」
「へっ?」
声はすぐ近くから聞こえた。
常夏の砂浜みたいな陽気な笑顔がこっちを向いている。
ピコピコと銀の耳が動き、僕の足先でさわさわと尻尾が動いているのがわかった。
「ルヴィンくん、おはよ」
「な、ななななななな、何をやってるんだよ、アリア」
「何って……夜這い、かな?」
「よ、夜這いって」
何を考えているんだ。
ぼ、僕はまだ6歳なのに……。
もしかしてアリア、僕の身体に流れるセリディア王家の血を本気で狙ってる?
「赤くなるってことは、意味を知っているんだね。ルヴィンくんのスケベ」
「からかわないでください」
「ねぇねぇ。ルヴィンくん、……今ボクたちは同じベッドの上、同じ布団に潜ってるじゃないか。言わば男女が同衾しているという状態なわけだよ」
「だからなんだと言うんです?」
「布団の中のボク……。どんな恰好をしているか、知りたくないかい?」
「ぶほっ!」
思わず僕は咳き込む。
ど、どんな恰好って……。そりゃあ、寝間着……。
ででで、でも、アリアって寝間着を着て、寝るの?
そもそも獣人の人って、寝間着を着るのかな。
じゃあ、裸という可能性も捨てきれない。
ダメだ。想像するな、僕。忘れろ! 忘れるんだ。
頭を抱え、葛藤する僕のリアクションに満足しつつ、アリアは布団をバスタオルのように巻いて、ベッドの上に立つ。端を持って、一気に開いた。
「ジャーン!」
黒の長袖のワンピースに、その上からエプロン。
エプロンには刺繍やフリルがついていて、アリアが少し動くたびに肩口やスカートの端のフリルが揺れていた。裸でなくて良かったけど、裸以上のインパクトだ。
「メイド服……? どうして?」
「よく考えたら、幼い君に世話係をつけるのを忘れていてね。ただ今、エストリアは人材難だから、適当な人間がいないんだ」
「もしかして、アリアが僕の世話係を……?」
「その通り。ほらほら。どうだい? 人族の男はこの給仕の恰好に萌えるんだろう。カワイイかい?」
「……う、うん。かわいい、よ」
僕が褒めると、アリアは抱き付いてくる。
生地を挟み、再び僕の顔はアリアの胸の中に収まった。
「そんなに真っ直ぐに言われたら、照れるじゃないか、ルヴィンくん」
「もごぉ……。ごごご……」
「最近さ。公務で忙しいし、ルヴィンくんはルヴィンくんで朝から晩まで炊事場で働いてて……。なんかすれ違いっていうかさ。全然会えなくて、寂しかったんだよ」
アリアの言う通り、晩餐の席以外でこうして僕たちが会うのは久しぶりだ。
セリディア王国から帰った後、アリアは継続して公務に励んでいる。できたばかりの国だからか、色んな人がひっきりなしに訪れていて、アリアに要望を訴えてくる。そのほとんどが獣人で、食糧のことだ。
食糧の不足はエストリアの喫緊の課題。
毎日会議を開いて、アリアはその対策に追われていた。
「何を朝から盛っているのですが、このエロ乳狼!!」
バーンと僕の部屋の扉を開けて、マルセラさんが飛び込んでくる。
アリアの首根っこを捕まえると、すぐさま僕から引き離した。
マルセラさんの顔は真っ赤だ。ついには雷様みたいになった秘書官の雷が落ちた。
「今日は大事なお客様がいらっしゃるのに! あなたときたら!」
「だからだよ。ルヴィンくんに勇気づけてもらおうと思って」
「何を弱気になっているのです。数時間後には馬車が着きますよ。くれぐれもその馬鹿げた恰好で来ないでくださいね」
「ふえ~ん。ルヴィンく~ん」
マルセラさんに尻尾を掴まれ、アリアは売られていく仔牛のように泣きながら引きずられていく。
ちょっと可哀想だったので、僕は最後に声をかけることにした。
「アリア、頑張って」
「ルヴィンくん……。うん。頑張る! がん――――」
最後まで言葉にできず、部屋から出ていってしまった。
アリアもアリアで大変みたいだ。
バラガスさんに聞いた話だと、色んな国や商会に食糧の支援をお願いしているけれど、どこの国にも断られているらしい。それもセリディア王国での一件以来、露骨に断られている、とか。今はまだ大丈夫でも、冬の前には完全に備蓄が尽き、餓死者が出ると予測されているそうだ。
僕のせいで、アリアやエストリア王国に迷惑をかけている。
何か力になれることはないかな……。
願った瞬間、僕の瞳が光り始めた。
◆◇◆◇◆
昼食が終わると、炊事場は短い休憩に入る。
早朝から昼まで、ずっと働き続けるから、夕食まで英気を養うのだ。
バラガスさんは昼寝、ジャスパーとフィンは他の獣人と賭け事だ。
さて僕はというと、最近王宮の側に土地を借りて、畑を始めた。
ちょっとでも食糧の足しにしてもらおうと始めたことだ。
農作業の経験はある。セリディアの王宮に秘密の畑を作って、色々な種類の野菜を作っていた。王宮のみんなは食べてくれなかったけれど、フィオナは気に入ってくれたらしく、畑でできた材料で煮物を作ってくれた。
そういえば、フィオナはどうしているだろうか?
「おい。わっぱ」
ふと物思いに耽っていると、声をかけられた。
フィオナではなく、それどころか女性ですらない。
汗を拭いながら振り返ると、男の人が立っていた。
真っ黒な髪に、正対するような白い肌。体型は細いものの、肩幅はガッシリとしていた。着ている服の生地は、デザインを含めて一級品。肩からかけているマントは、眩しいぐらい真っ白だった。その表情は険しく、苛烈。僕を見る紫色の瞳は、その瞳孔の奥で燃えているような印象があった。
声をかけられるまで気づかなかったことには驚いたけど、1番驚いたのは僕以外に、この王宮に人族がいることだ。時々、貴族や商人が訪れることはあるものの、王宮の端っこにやってくる数奇な人はいない。1つ心当たりがあるとすれば、以前僕を誘拐しようとした裏稼業の人たちだけれど、この人から血臭も殺意も感じない。
その代わり、父上を目の前にしたような強い圧迫感があった。
「えっと……。どちらさまでしょうか?」
「我のことはどうでもいい。それよりわっぱ、何をしている?」
「畑を耕しているんです」
「そんなことはわかっておる。何を植えておる?」
矢継ぎ早に質問してきた。
せっかちな人のようだ。
「秋大豆です」
「大豆か。何故、大豆を選んだ?」
「時季が主な理由ですが、1番の理由は汎用性です」
大豆は食べることもできるし、油にすることもできる。
ただ僕はこのできた大豆を飼料にしようと考えていた。
「飼料? 折角作った大豆を家畜の餌にするというのか? ふははは! 面白い、わっぱだ。この国には家畜となる牛も豚も鶏もいないではないか」
「仰る通り、エストリア王国には家畜や牧畜といった産業そのものがありません。ですが、肉を主食とする以上に自国で畜産を始めることは避けては通れません」
「だとしても、牛や豚を育てる広い場所がこの森ばかりの国のどこにある? そもそも他国から牛や豚を買う金子も必要になるぞ」
「ありますよ」
僕は自信満々に言い放った。
「まず森の木を切ります。開墾は時間がかかりますが、獣人の力なら人族の4倍は早く、土地を広げることが可能です」
「なるほど。では、金はどうする?」
この人、一体何者なんだろう? いきなりやってきて、僕みたい子どもには難しい質問ばかりしてくる。それに答える僕も、僕なんだけど、なんの遠慮も感じられない。この人は一体……。
「切った木を薪にします」
「薪?」
「これから冬がやってきます。暖炉用の薪はどの国でも不足しがちです。需要は高く、値段も上がります。その薪を売った外貨で、豚を飼うんです」
豚は一部食用とし、一部を温かい王宮の中で育てて、春に向けて増やす。
一方開墾した土地には、大豆の穀類を植えて、春に収穫できるようにするのだ。
大豆は畑の肉というほど栄養価が高い。使いようによっては、肉の代用品にもなるはず。
「さらに三圃制にすれば、効率よく家畜と畑を育てることができます」
三圃制は農地を3つの区画に分け、1年ごとに異なる作物を育て、1区画を休耕させる農法だ。僕はその農法を発展させ、休耕地に豚を放牧しようと考えていた。豚の排泄物が肥料となって土地を肥やし、地力を上げることになるからだ。
「わっぱ、どこでそんな知識を得た。答えよ」
「え? それは本……」
男の瞳を見た瞬間、身体が芯から居竦んだのを感じた。
一切の嘘を許さない。虚言を口にすれば、僕の首がすっ飛んでいく。そんな比喩でもなんでもなく、リアルな危機を感じる。おそらく魔術でも、ましてギフトのような奇跡でもないだろう。この人自身が生来培った能力だ。
「僕には不思議な力があります。その力でエストリア王国を大きくする【料理】を見ました」
アリアの力になりたい……!
そう思った時、突然【料理】が見えた。
エストリア王国の食糧事情を解決するための【料理】だ。
実行できれば、きっとエストリア王国の食糧不足は解決する。
さらに開墾を進めれば、大陸有数の農畜産国家になるのも夢じゃないだろう。
今は傭兵時代の名残で、軍事に特化した国家として恐れられているけれど、そのイメージを払拭することにだって繋がるはずだ。
「10点だな」
「え?」
「お前の話は机上の空論だ。何故か知りたいか、わっぱ? なら我の供をせよ」
「と、供……?」
是非も聞かずに、男の人は畑から離れていく。
向かう先は王宮の外。つまりエストリア王国の森の中だった。
この男、何者だろう。なんか偉そう……!
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