第994話 憂鬱なお茶会
「トリートの計算式は習ったのでこちらは数値を出せますが、ハラペニーニョの計算式はまだ習っていません」
「……あなたは予習という言葉を知らないのかな? 習ってないから導けないと、領民にいうつもりですか?」
カチンとくる。だからにっこり笑う。
そして黒板に向かい、いきなり答えを書きつけた。
「できました」
チョークを置いて、手についた粉をはらい、席に戻ろうとした。
「シュタイン、計算式がわからないからと答えを適当に選んだか?」
「適しているものを選びました。環境学では習った公式を地道に解くことが大切だと思っていたので計算式を使いましたが、予習した方法で良いなら、トリートの計算だけでも潮の満ち引きが30を越しているから暑い夏と予想されます。ですから、水が少ない方が育つエダンの豆と暑さに強いホウロウ麦と導きました」
「! より確実に計算で確かめなさい」
「……わかりました」
ハラペニーニョは揺らぎ量を求める方法。微分積分の定理と似たようなものよね。知らん記号でもいいだろう。〝予習〟よ、予習。
簡単な数値でよかった。これが複雑なのだったら、アウトだった。
「できました」
顔だけは涼しそうを心がけ席につく。冷や汗たらたらだけど。
「……正解です。数値は正しく導き出せているようですが……次週ハラペニーニョの正しい計算式を教えます」
終わりの鐘がなり、先生は素早く教室から出て行った。
「リディア、あの記号なに? あれ解けちゃうってどういうわけ? ハラペニーニョなら地域を5つとかに分けないとできないはずでしょう?」
さすがジョセフィン。予習もバッチリで、ハラペニーニョの計算式を会得しているようだ。彼女にしつっこく問い詰められ、説明させられた。ちゃんと話せたかはわからないけど。
ジョセフィンの口撃が終わると、アダムにチロリと見られる。
「君、あんなの披露しちゃってよかったの?」
「カチンときたから、思わず」
アダムは苦笑い。
「あの先生、マシュー先生に傾倒しているから、気をつけた方がいいよ」
ゲッ、そうなの? もしかして、だからつっかかられたのか?
「マシュー先生といえば、新興宗教のこと何かわかったの?」
わたしは声をひそめた。
「それが単独で通っているらしくて。それでもう少し様子をみて、他に接触がなければ当人に直接どうやって知ったかを尋ねるらしいよ」
そうか。
「君の方の、会う日は決まったの?」
「うん。明後日の放課後」
「フランツ、お遣いさまと一緒に行くんだよね?」
「うん。そこだけは考慮してもらった」
「それならいい。頑張らなくていいから、近づいたりするなよ?」
みんないうことが判で押したように同じなので笑いそうになる。
ありがたいな。
本日の授業が終わり放課後となった。
わたしの横を通り過ぎる時、クラリベルがため息を落とした。
「どうしたの?」
思わず声をかける。
クラリベルは思っていることを溜めるタイプではなく、いいことも愚痴も開放的に解き放ち、さっぱりしていて引きずらない娘だ。その彼女がため息なんて。
「あ、リディア。それがさー。クラブの先輩のお茶会に誘われて」
クラリベルは演劇部だ。
「私、その先輩苦手でさー、断ろうと思ったら、横にいた子が目をキラキラさせて受けちゃったの! 先輩は伯爵で、その子は男爵。その先輩のお茶会に行くと一目置かれるとかで行きたかったんだって。なんかふたりとも参加になってて、私断りたかったんだけど、その子に私が行かなかったら私も来るなって言われちゃうとか言われて、行くことになっちゃったのよ」
クラリベルはもう一度小さくため息をついてからわたしの方を見た。淡い金髪が揺れる。
「リディアのお茶会なら何度でも行きたいけど。あの先輩疲れるんだよなー」
疲れる先輩か……。
「これからなの?」
聞こえていたんだろう、ノートを抱えたジョセフィンがやってきてクラリベルに尋ねる。
「うん。急だからお土産もいらなくて、身ひとつで来てくれればいいというんだけど。せっかくのクラブの休みなのに。だったら私は街に芝居を見に行きたいのに」
「そりゃ災難だ」
横からレニータもやってきた。
「でしょ。それにしてもなんで私まで。先輩、絶対平民嫌いなのに」
え、そうなの? 残念なことに、学園の中でもあからさまに平民を見下したりする人たちは一定数いる。
それは憂鬱になるだろうな。
「クラリベルさん」
通る声がした。
「あ、ニーナさま。今行きます」
教室のドアのところで、長い金髪を三つ編みにした少女が覗きこんでいた。金髪に青い目、クラリベルと同じだ。
彼女が同じ演劇部の先輩のお茶会に行きたがっている友達か。
「じゃあ、行くね。バイバイ」
そう言って手を振るクラリベルを送り出す。
二人揃ったところで手を繋ぎ、廊下を駆けて行った。男爵家のニーナ嬢とは仲良しみたいだ。髪と瞳の色が同じで、並ぶとお人形さんのように可愛らしいのが際立つ。
ジョセフィンは先生に質問に、レニータはクラブに行くそうだ。
わたしはいつものようにクラブへとアダムに付き添われ行くと思ったようで、普段通り声を掛け合う。
わたしは中庭に向かって歩き出す。
父さまからエリンへの婚姻問題の詳細をフォンで聞くんだ。アダムも聞きたいというから、一緒に聞く予定だ。
池の縁に腰を下ろす。隣にアダムもスタンバイ。
もふさまはわたしの足元に。盗聴防止魔具もしっかり置いてある。
全く何でエリンに王族からの申し込みが。
思い出すと、またムカムカし始める。
「君、鼻の穴が広がってるよ。心を鎮めて」
「そうね。わかってるんだけど」
大きく深呼吸。
フォンをかけると、父さまがすぐに繋がる。
わたしはアダムと一緒だと伝え。「どういうことなの?」と、いきなり切り込んでしまった。




