第986話 瘴気のお勉強⑪ひとり
「ひとつ聞きたいんだけど」
ん? ロビ兄から冷気が漂ってる?
「な、なに?」
「これ、リーは、エリンとノエル、3人でやろうと思ったの? 他の誰にも知らせないで?」
あ。報告忘れてた。
まずい。これは確かにわたしが悪い。
「リーは瘴気が苦手だよね?」
「……はい」
「おれたちはそれをみんな心配している。腕っぷしもある程度あるリーがバッカスに連れ去られた。瘴気の痕跡があって、リーは瘴気に弱いからって。だからそれで不意をつかれたんだって。だから余計に瘴気に敏感になってる」
ロビ兄の手は拳に、強く握られている。
ロビ兄は、アラ兄より先に手が出るから短期で思慮が浅いと言われがちだけど、本当のところ全て計算している。感情のままに振る舞っているように見えるけれど、しっかり考えられていること。そのうえで拳で語る方が早いときだけ、手を出すのだ。
「ミラーのスキルを使って瘴気を呼び出す? それで封印を解くつもりだったの? 3人だけで? もとの瘴気がどれくらいか分かってもいないのに。誰にも告げるつもりはなかったの?」
「本当にごめんなさい。気が急いて、言うこと自体を忘れてた」
ロビ兄がわたしを見る。信じてない目だ。
静かに本気でロビ兄が怒っている。冷静そうに見えるけど、今はこれ感情的になっている。
「そういうことにして、本当は言わない気だったんじゃないの?」
「いえ、本当に……」
「エリン、ノエル。その力のこと、リー以外には言わないつもりだったのか?」
ロビ兄がわたしの答えを待たずに遮る。
「……うーうん、玉に込めたら、その報告と一緒に話すつもりだった」
エリンたちもいつもと違う雰囲気のロビ兄に萎縮している。本心だろうに言い訳じみて聞こえることにエリンたちも気づいてる。
ロビ兄は妹と弟に甘い。いつもわたしたちに寄り添った理解者になってくれる。そのロビ兄から見限られたような気がして気が焦る。
「異空間に瘴気を呼び込む。このことを言いたくないのはわかる。お店でも城でもミラーできるとわかってしまったら、どんな罪を着せられるかわからないし。犯罪に加担させられるかもしれない。武器庫をミラーさせて破壊させる、とか、軍事的にも欲しがられるスキルだろうからね。
でも家族は……知ってることだよね?」
「ほ、本当に気が急いて、とにかくやってみたくなっていたの。思ったことが正しいか証明できると思って!」
「リーの気持ちがおさまれば、それでいいの? 一緒にことを進めている仲間や、リーを心配するみんなの気持ちを無視しても、うまくいけばいいの?」
「よ、よくない。本当にわたしが間違えた。……伝えるべきだった。ごめんなさい」
「リーは慎重派だと思ったけど、そんなことなかったね。
思慮が浅い。今後はそれを踏まえるよ」
ロビ兄の信用をなくしてしまった。
エリンもノエルもオロオロしている。
でも、当然だ。わたしはわたしの気持ちを第一にしてしまった。みんなの気持ちを蔑ろにしたのと同じことだ。わたしが悪かった。
「呼び込んでみて、量が多すぎたり、扱えなかったらどうする気だったんだ?」
ぐうの音も出ない。
「リーは自信過剰だね。確かにリーは賢いよ。前世の記憶から理にも近しい存在なのかもしれない。でも短絡的だ。自分で賢いと思っているから、想定が甘い。1000億分の1なら扱える量だってどうして思った? それが許容範囲以上だったらどうするつもりだった? ミラーという初めてのスキルでこんなことしてみて、できなかったり、封印が解けてしまったり、そんな可能性は考えなかった? ミラーを消すことはできるの?」
わたしは首を横に振る。
「アオ、ミラーで拵えたものを消す方法は?」
「したことないでち」
もふもふ軍団も心配そうにわたしたちを地面から見上げている。
「考えが及ばないのは仕方ない。でも、だから人はいっぱいいる。いろんな意見が必要だから。大きなことをする前にはいろんな方向からのことを考えなくちゃ。でも一人だと限られる。だから人はたくさんいる。いつもそう言ってるのはリーだ。
リーはもっと意見を聞くべきだった。対処法をいくつも考えるべきだった。リーだけでなければ、誰かがこの危険性を思いついた。おれでもね」
ロビ兄は寂しげに笑う。
怒ってるんじゃなくて、何かに傷ついている。
「1000億分の1なら扱える、その根拠はなんだ? 封印も解けるし、なんでもひとりでできる自信があるのか?」
感情の爆発。
エリンとノエルが凍りつき、もふもふ軍団も目を大きくしている。
ロビ兄は怒ってる。傷ついている。……それでもわたしを心配してくれてる。
「ごめんなさい。一人じゃできない。ごめんなさい。ごめんなさい」
謝ることしかできない。
わたしは顔をあげられなかった。卑怯に泣くのは避けたくて、手を固く拳にして、目に力をいれる。
軽くぺちっと頭を叩かれる。そしてギュッと抱きしめられる。
ロビ兄が震えていた。まるで怯えているように。
「3人が無事でよかった」
ロビ兄! わたしはギュッと抱きつく。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
心の中で繰り返した。
「この量だったら大丈夫と思ったのは勘だったのか?」
わたしはロビ兄の胸から顔を離して、首を横に振った。
「創世記からちなんで〝箱庭〟と呼ばれているものを、わたしの前世では〝宇宙〟と呼んでいたの」
この世界にも天文学は存在し、ほぼ地球と同じ宇宙の概念だった。
〝箱庭〟と呼ばれる宇宙に星たちが存在する。わたしたちが住む星は呼ばれ方があるとしたら創造神ラテアスさまからもじったという「テラ」。太陽の周りを1年かけてまわっていて、また月がテラの周りをまわっている。ただそれより踏み込んだことは学ばない。恒星の概念だとか、距離は何光年あるのかとか、そういう疑問は出ないのかなんなのかわからないけど、ただそういうものだと教わる。そこより先は占星術になっていくんだろう。
ロビ兄はわたしたちを促して、庭先の柵に腰掛けさせた。




