第955話 わたしたちの王さま⑭ひとつの理
シュタイン領の小さい村。キートン夫人に面倒を見てもらっている、ユオブリアのバッカスで働かされていた子供たち。キノ、ベル、タイチ、プラ、サンド。
彼らは自立支援団体に登録して、自立できる道を探している。
玉にスキルを込めていたスペシャリスト。
わたしは領地にいるエリンたちに協力してもらい、フォンで子供たちと話をした。トラウマは大丈夫か注意深く確かめて、それからお願いをしてみた。
幸いみんな、玉にスキルを使い込めることに忌避はなく、〝玉〟を完成させてくれた。そしてスキルを入れても問題のない、〝玉〟を拵えることができ、わたしの理論は正しいひとつと証明できた。
ちなみに、その法則でいくと土台と同じなのでバランスを崩すことになる、神力、聖力、魔力、瘴気を入れる玉はできないと思った。聖樹さまに魔力玉をプレゼントすると言い切ったのに。でも、まだ試せてないのだが、考えていることはある。
中に神力や聖力、魔力、瘴気を入れたなら、器の魔力と同化してバランスが崩れ、器が壊れてしまう。けれど〝現象〟にすれば器とは同化しない。
聖力は水にのりやすい。聖水にすれば中に入れ込めると思う。多分お酒のほうがもっと乗りやすいだろうから、それも試してみたい。わたしならギフトを使い〝現象〟として聖水、聖酒を中に込められるだろう。恐らく魔力も。
神力は元々手に入れるのが神属性の雷、雹などの〝現象〟だから問題ない。
神属性のスキルを使って玉の中にぶっ放して貰えば、その玉ができるはず。
魔力と瘴気、この2つは古代から編み込んで術式にしてきたもの。魔具は術式を組み込んで作られたもの。使用する時の発端となる動作で発動するよう編まれている。例えば火を起こす魔具なら、魔力を込めてボタンを押す動作で術式が展開するように。
聖樹さまは学園の護りをアップデートした時、術式を世界樹の葉に描いていた。世界樹の葉は安定。術式を描くのにこれほど適したものはない気がする。そう、玉の中に術式で封印した魔力、瘴気を入れ込む。器がなくなったら展開するようにね。入れ込んだ玉となったものを、使用者が4つの何かのバランスをくずせば器は意味を持たなくなる。そうしたら発動だ。
ちなみに玉の概念がなくても魔具だったら魔力、瘴気を入れたものができそうなのでは?と思いもしたけど、普通の魔石だと魔力や瘴気そのものの術式は込められない。魔石では器として弱い。魔石は魔力だけで作られた土台だからだと思う。だから魔力や瘴気を入れられるとしたら、玉の器だからできることとなると思う。
早いとこ試したいのだけど、やることが多くてなかなか行き着けていない。
わたしが口早に説明すると、みんな呆けていた。
言葉を挟まず聞いてくれたと思ったけど、突飛過ぎたのかもしれない。
玉は作れたけど、土台の要素を入れ込めるかどうかは立証できてないから、推測の域を出ないしね。
みんなからも早いところ実験して欲しいと言われた。
わたしは頷く。
お次に考えたのが、人の器、土台のこと。これもバランスが重要。
神属性と聖属性がある。神力を使える人と聖力を使える人の違い。普通は同等に組み込まれている。だから人の器のバランスは神力と聖力が釣り合った状態だと思う。
人は魔力と瘴気を持って生まれてくると聞いた。わたしはそれは間違っているんじゃないかと思っている。なぜなら創世記の後半ともいう神聖国設立記に人族は登場している。瘴気ができるのはその後。だから人族が瘴気を持って生まれてくるっていうのはおかしいと思う。
これは初めて禁忌の神話だと思う13体の精霊の話を聞いたときに、え、それまで瘴気はなかったってこと?と不思議に思ったのだ。
そう言うと、みんな息をのんだ。
禁忌の神話については、記憶を失くした時のことを話したときに話した。みんな口が開きっぱなしになっていた。そして脱力した。ルシオも顔が硬っていた。けれど、彼は何となく予想していた気がする。
ソースを聞かれたけど、わたしは信じてもらうしかないけれど、確かな筋から聞いたことだと言葉を濁した。夢の中だからいいだろうってもふさまに教えてもらったことだからね。確かな筋からの情報ではあるけれど、人族には知らさないようにしていることなんだと思う。聖なる側はね。
禁忌の神話を禁忌としたのは人族らしい。聖なる側がどうして人族に言わないようにしているかはわからないけどね。ああ、また脱線。
ええと。なんだっけ。
そうそう、アダム、ありがとう。人族が魔力と瘴気を生まれ持ってくるというのは間違った認識だとわたしが思った話だった。
では、魔力と瘴気はいつ入り込むのか? わたしは魔力を解放させるとかいう5歳でやる祝福で、魔力を通すのではないかと思った。乱暴だけど、神力、聖力のあった場所に魔力を通すのではないかと。土台ができていれば、神力も聖力も普通は用済みだから。一般的には魔素が入り込み、同時に瘴気も入り込む。神力や聖力が残る人もいて、含有量で発現できることが変わってくる。
余談だけど、ツワイシプ大陸では魔力が多い人が多い。エレイブや他大陸では魔力量が少ないという。わたしはエレイブや他大陸は魔力が少ない代わりに瘴気が多いのではないかと思っている。瘴気を編み込んで使う呪術が廃れていったから瘴気の使い方がわかっていないけれど、それが広まったら、魔法士と同じくらい術師が増えていくのではないかと思う。
まぁ、そんなことを考えたり試したりしてきた下地があったからこそ、わたしは11代目聖女の覚書きでピンときたのだ。
「それが世界の理のひとつ!」
これが言いたかったのに、そこに行き着くまでのことが多すぎた。反省。
そ、人々からは聖なる方たちが忘れられがちとなっているけど、どちらも必要。土台は神と聖の両方が。神も聖霊も地上には降りられない。聖霊はどんどん忘れられている。けれど〝創世記〟には残されていた。神と聖霊が育てていったのが世界だと。何事にも意味があるのだ。喧嘩したり、人族いらなーいって滅ぼそうとしたことにクローズアップしちゃったけど。2大勢力に世界が育てられたことは、この世界において意味のあることなのだ。
「神力、聖力、魔力、瘴気。均等にあり、初めて土台となるわけか。
それはすごい発見だ」
「それは凄い!」
「よくわからないけど、玉できたってスッゲー!」
「わかっていないことにも、やはり意味があるものなのですね」
ルシオが何柱かの神さまの名前を祈るように唱えた。




