第939話 グレーンの王さま④酒の神
「バッカスというのですか?」
「はい。ちょっと、風格漂う樹なんですよ。収穫は終わっていますが、ご覧になりますか?」
兄さまは頷く。
わたしたちは奇妙な偶然に、気持ちがふわふわしていた。
バッカスとはこちら側がつけた名前だ。
組織の人たちはバッカスの花を模した絵を体に描いていたから。
バッカスってグレーンの一種だったんだ。……そういえばそうだった気がする。グレーンの花かって思った気が……。
それがわかったからどうってことはないのだけど、なんか胸がざわざわする。
農園の一角にその樹はあった。他のグレーンの樹より幹がツルツルしている気がする。そのわりに枝がカクッカクッとしているかな。確かに風格があるっていうか、偉そうっていうか……。
「なんか偉そうでしょう? それに味が良くて献上するのにふさわしいと二重の意味を持たせて、神のグレーン、グレーンの王さまなどと呼ばれております」
実は大粒で正円に近い形だそうだ。それがいくつもたわわに実り房となる。
「それでバッカスと名づけた」
「それで、とは?」
「ああ、ご存知ないですか。いや、知らないのは無理もないですな。享楽神・バッカスさまの名をいただいたのですよ」
「僕は神官です。享楽神、それから神・バッカスという名前も聞いたことはありません」
「神官さまでしたか。耳にしたことがないのは、まあ、そうかもしれませんな。酒を司っていたこともありとても雅やかな方だったそうですが、享楽的すぎて神の名を剥奪されたそうですから。酒の神がいなくなってしまったから、酒はなかなか発展しなかったそうですよ。剥奪された名なら不敬にはなるまいと、強い酒を作るのに適したこのグレーンをバッカスとしたとか」
ルシオを見ると、ショックを受けているようだ。
そうだよね、神さまの専門家なのに、名前も逸話も知らなかったんだもの。
お土産も買ったことだし、お仕事もあるだろうから、お礼を言ってバルドさんとは別れた。
お腹もそんな空いてないのでお茶で休憩、その後、町の収穫祭を見にいくことにした。
従業員名簿を見て、話したい人は押さえてある。
そうボイラー室で貴重な情報を落としていった男の人。
おじいさんがカザエルの飯炊きをしていたと。
名前は知らなかったんだけど、ボイラー室に一緒にきた女性があのトカゲ殲滅隊長となった人で、そうすると名前はミランダさんのはず。
名簿を見れば、班長をしているのがパッセさんで、よくよく聞いてみるとミランダさんと結婚しそうだと言う。それでボイラー室のふたりだとあたりをつけた。顔を見れば、……多分わかると思う。
収穫祭の間、ほとんどの従業員は収穫祭に繰り出し、このふたりもそうだというので、町で奇跡的に会えたら話せないかとは思っている。
ダニエルが紅茶を入れてくれた。
「リディア嬢も見たんだよな? そのバッカスの組織印を」
わたしは頷く。
バッカスの組織はほぼ潰したとは思われながら、得体のしれない静けさを感じる。弁護士が捕まってないからかな。
「最初は子供たちが球に刻印してくれたサインで。組織の人が見せあっていた印って聞いたの。
そして裁判の後、廊下で弁護士とすれ違って。……弁護人の手首のところにあの花の絵を見た。それで組織の人だったんだって思ったところで瘴気を使われた。そこら辺はこの前話した通りよ」
わたしが記憶を取り戻したと告げるのに、ダンジョンの帰りに王宮につきあってもらい、地下基地でその話をしたのだ。
拐われてから記憶をなくすまでのことを順を追って話した。
裁判所で意識をなくし、次に起きたらどこかの施設だった。簡素なベッドに寝かされていた。白いノースリーブのワンピース姿で、誰が着替えさせたんだよっとイラッとしたっけ。録画の魔具のネックレスを取られていたのが悔しくて。
魔法が使えなくて焦った。何かつけられていたわけじゃないのに魔法が使えなくて、部屋に魔力が使えないようにしてあるのか、わたしにかけられているのかはわからなかった。
薬草学の実習室みたいな部屋で、わたしは実験対象なんじゃないかと思えて抜け出した。それでマルシェドラゴンを見つけ衝撃を受けているところを弁護士に見つかる。
言葉巧みにわたしは追い詰められ策に嵌り、そして自分で防衛した。
わたしの能力の数値が上がったことにより、呪詛回避のレベルが上がり、その中の解呪がFになったようだ。
呪詛回避とは言葉通り呪詛系を回避する能力。
星読みの先駆者というのは、能力の説明をしてくれる機能を備えているんだと思う。
わたしは瘴気と言葉で弁護士に責められた。その言葉から身を防衛するように、呪いワードを設定した。その言葉に傷つかないようにする防衛手段、それが忘れることだったのかもしれない。
わたしのスキルはイレギュラーなので、本当のところはわからないけれど、この時にわたしが自身を守るために、呪い系回避のスキルでできた最大のことが忘れることだったんだと思う。
弁護士は記憶をなくしたわたしに喜んだのか、持て余したのか。
意識のない間に、わたしの能力やら祝福を玉に入れることはできなかったんじゃないかと思う。加護はもともとないしね。
プラスも他のスキルなどもわたしのは使いにくいとも思うし。知らないから取れなかったのか。そもそも他人の力を引き出す能力があるのかも知らないけど。
でも恐らくできなくて、記憶をなくし情報も取れなくて。いずれ何かしら利用価値があるかもしれないから始末することもできず、ただの厄介者になりアリの巣に送られた。
そんなところじゃないかと思う。
弁護士とのやり取りをわたしの見解を合わせて告げると、みんなも同じように思ったようだった。




