第935話 Get up㉖フランツとデート<後編>
「君は素晴らしい人だ。
君はとても優しくて、強くあろうとする人。
君の周りには味方がいっぱいいて、愛されている。
記憶をなくす前の君はそんな人だ。
……記憶をなくした君。
トスカとして辛い生き方をしていた。
けれど、君はそんな境遇にも負けなかった」
「……負けそうだったよ」
「そうだね、でも最後は負けなかった。
仲間と手を組んで立ち向かい、自由を手に入れた。
そうだな。前世の記憶が強いみたいだけど、考えや行動にあまり違いはないように思った。記憶がなくても優しくて情に厚くて、好奇心が旺盛で、聡明。信じたことを貫き通し、脇目も振らず走っていく。
記憶をなくす前の君も、失くした後の君も、私にはとても眩しい。いつも愛おしくなり、同時に尊敬もしている」
気がついたら立ち上がってた。
フランツの前に行くと、フランツも立ち上がる。
わたしはその胸に抱きついた。
「本当に? 本当にわたしを好きになった? フランツのこともぜーんぶ忘れちゃったわたしなのに?」
フランツがわたしの背中をそっと抱きとめて、トントンと叩く。
「フランツ、いつもわたしを睨んでた。
袖をもっとまくらないと、水浸しになっちゃうとか」
抱きついた先のフランツがピクッとする。
「……だってきちんと袖をまくっておかないと、水仕事をしているうちに落ちてきて濡らしてしまうだろう? 君はそんなことぐらいでは着替えないだろうから、冷たい思いをして風邪をひいてしまうよ」
「テーブルに落としたお芋を食べたら、すっごい目で見た」
「それは……。君は前世の記憶を取り戻した頃〝3秒ルール〟だとわけのわからないことを言って、テーブルに落としてしまった物を口に入れようとしたから、母さまにすごく怒られてやっと直していったんだよ。
トスカの時は食事をまともにもらえなかったから行動としてはわかるんだ。けれど、それを母さまが見たら、食事も十分に与えられなかったんだって思いあたって泣き出すと思える。だから家に帰るまでに直せないかと思った。傷つけたなら、ごめん」
「わたしが掃除した後、拭き直したでしょ?」
「さ、最初の頃だよね? あの時、君は掌を怪我していたから、……布をしっかり絞れなかったんだろう。濡れていると危ないから、水分をとっただけだよ」
「わたしが何もできないから、呆れてた!」
「それは誤解だ。君の歳で、今までの記憶がなくて。魔力がないと虐げられて。それであんなにいろいろなことができていて驚いたぐらいだ」
「なにもできないわたしが嫌なんじゃないの? それで婚約者だと言わなかったんじゃないの?」
自由になったのはわたしだけじゃない、同時にフランツもだ。
わたしはフランツのことも忘れたんだもの。
外国まで探しにきてくれて、助けてくれた。
婚約は破棄されてなかった。でも、フランツはわたしに婚約者だと言わなかった。
本当はわたしが思い出さなかったら、それでいいとも思っていたんじゃないの?
フランツがわたしをグイッと自分から引き離すようにして、わたしの顔を覗き込む。
「リディー……。それじゃあ、君は私が婚約者だと知って、どう思った?」
「……フランツの気持ちを知りたいと思った」
「私の気持ち?」
「フランツとわたしは家族のように暮らしていた。フランツには大事な人がいて。婚約者は記憶をなくす前のわたし」
「……ああ、ごめん。不安にさせたんだね。え、ということは、君は婚約者が私でいいの?」
わたしは何をどう言えば伝わるのだろうと、フランツを見上げる。
「さっき聞いたことはそのまま受け止めていいの? わたしと婚約を破棄するつもりで言わなかったわけじゃない? もし本当は破棄するつもりなら、今言って。わたしはフランツに無理矢理婚約者でいてほしくないから」
『フランツはリーが好きで、リーもフランツが好きなのに、なんで何度も聞くんだ?』
クイの声がする。
『人族は口にして確めあわないと不安になるのですよ』
『めんどーだな』
『番っちゃえばいいのに』
「アリ、何を言うでち?」
フランツの目がアオを捕らえる。
『子狐が言ってたぞ。番えば全部わかるって』
子狐のやつ、自分も子供のくせに、アリたちに何を教えてるのよ。
『でも、いいんじゃないか。リディア、番えばいい』
か、簡単に言うなぁ、レオ。
アオの言うこと以外は、フランツに聞こえてないのが救いだ。
フランツが優しくわたしを離し跪く。
「私が愛しているのは、目の前のあなたです」
わたしの手を取って指先にくちづける。
『おお、そのまま番っちゃえ!』
『……クイは番う意味を知っているのか?』
もふさまが尋ねる。
『子狐から聞いた。番いと番う。子供を作るんだ。交尾する!』
子狐め!
っていうか、わたしは聞こえてない。聞こえてない。
耳がもふもふ軍団の会話を拾ってしまうが、会話に入っていったら脱線すること間違いなしなので、聞こえてないと自分に言い聞かせる。
「リディア、君の気持ちを聞かせて」
フランツが手を取ったまま、わたしを見上げる。
わたしの気持ちは……。
「すべてを忘れ、とても惨めな境遇のトスカになって。
助けにきてくれたみんなはヒーローだった。
みんなかっこいいし、人柄もなにもかもとても素敵だし。
お年頃だからか、みんなに惹かれたよ。
今は優しさだってわかるけど、フランツだけはわたしに厳しくもあった。
睨まれているとも思ったし、嫌われてると思った」
「え?」
「でも、マルシェドラゴンのことを諦めさせないでくれてありがとう。
わたし、あの時、自分の気持ちわかってなかった。あの時、諦めなくて本当によかった。自分でもわからなかった気持ちに、なんでフランツは気づいてくれたんだろうって気になった。
フランツに大切な人がいるって聞いて苦い思いがした。
大人の女性とフランツが色気振りまいて話しているのを聞いて、なんか……ショックだった」
「あ、あれは違うんだ。あれは……」
「いいの、フランツは大人の男性なんだもの。大人のお付き合いもあるのだとも思ったし」
「だから、それ違うから」
『なんだ、フランツは浮気してたのか?』
『浮気って何?』
『浮気とは、番い以外に心移りをすることです』
『えー、フランツが心移りしたの?』
『まさか、フランツが? リーにあんなに惚れ込んでいるのに?』
『人族の男は移り気って聞いたことがある……』
なんで魔物がそんな情報持ってるの??
ああ、気が削がれて何が言いたいのかわからなくなってきた。
「ええと、つまり、わたし、フランツがわたしをどう思っているのか。
記憶のあるわたしがフランツをどう思っていたのか。
フランツからどう思われていたのか、気がつくと考えてぐるぐるしちゃってた」
「リディー、それは……」
フランツの頬が少し色づく。
「どうしても知りたいって思っていたら魔法が解けた。……兄さま」
「リ……リディー、まさか? そうなの? 記憶が……。ああ、リディー、思い出したのか? リディー」
兄さまが立ち上がってわたしを抱きしめる。
もふもふ軍団たちがなぜか拍手をしていた。
「そうだったんだね、思い出した……」
呟きながらわたしの頬を両手で挟み込む。
「そしてまっさらな状態でも、君は私を選んでくれた、そういうことでいいんだよね?」
兄さまに確かめられる。
頷くと、もう一度ぎゅーっと抱きしめられた。
「リディー、もっと触れていい?」
もうぴったりくっついて、なんならのめり込んでいるから、触れまくっていると思うんだけど……。
なんと言えば?と見上げれば、頬に優しい口づけが降りてくる。
それからおでこにワープして。鼻の頭に。そして最後に口づけられる。
優しくチョンチョンと啄まれ、一気に深く探られる。
『リーを食べてる』
ち、違うから、アリ。
でもなんていうか、みんないるのに。
と思いながらも、だからって突き放せなくて。
だんだん口づけに酔っていく。
『大丈夫ですよ、食べているわけではないですからね』
「アリは知らなかったでちね、あれが子作りでちよ」
兄さまの〝進撃〟が唐突にやむ。
密着に隙間ができる。ふらっとしたわたしを、兄さまは支えた。
「アオ、これは子作りではないよ」
兄さまがアオの知識を正す。
「違うんでちか」
「うん、もっと先。まだ全然だよ」
兄さま……。
兄さまはわたしに向き直る。
「記憶を取り戻したこと、みんなには?」
「兄さまに一番初めに言いたかったから言ってない」
そう伝えれば、兄さまは一等素敵な笑顔になった。




