第925話 Get up⑯アンナチュラル
みんなにおやすみの挨拶をして、ぬくぬくしながら目を閉じる。
結論が出ている思いのはずなのに、また心が彷徨いだす。
切なげに笑うのがうまい人。いつもわたしのことを見ている。
お兄さまたちもそうだけど、でも少し違うような気もする。
家族のように過ごしてきたから?
でもフランツには大切な人がいる。
最初はなんで睨んでくるのか、とか。やることなすことチェックされているようで不快に思ったこともあるけれど。
やっぱりわたしのためを思っていた。いつだって。
わたしのことをよく知っていて。わたしのわからない心の奥にある気持ちまでお見通しな人。
記憶をなくす前のわたしは、フランツのことをどう思っていたんだろう。
あの氷のような冴え冴えとした瞳をどんな思いで見ていたんだろう?
辛いことは思い出さなくていい、人生は今からでも始められる、そう言ってくれた人。
あー、またフランツのことで思考がぐるぐるしてる。
……〝嫉妬〟なんて期待させる言葉を使うから。
結論は出てるのに。これじゃあループだ。
これ完全に、わたしフランツのこと……。
過去のわたしはどうだったんだろう?
あーーーー、気になる。
わたしはフランツをどう思っていて、フランツからどう思われていたんだろう?
スキル 呪詛回避・発動ーー
頭の中に響く声。
え?
目を瞑っているのに視界が赤い。
あれ、体が動かない。
なんだこれ。
呪詛回避のレベルがBに上がり、解呪Fが可能に。
星読みの先駆者を発動させますか?
はい?
星読みの先駆者B・発動ーー
マスターの防衛反応により設定された呪いワードを解呪します
は?
赤いフィルターがかかった映像。
そこは……マルシェドラゴンのいた蓮の葉の地下。
目の前には普通すぎる、どこにでもいそうな男がいる。
上がり眉だけが特徴的。
「駄々っ子だねぇ。嫌だろうが駄目だろうが……これは全部お嬢ちゃんが引き起こしたことだ」
映像の中のわたしは、短剣を持つその男の腕に噛みついた。
男が手を払い、わたしは吹っとび、壁に激突!
少し先には血を吹き出すたびに、呼吸が弱くなるドラゴン。
「お前の願いは叶わない。お前のせいで、このドラゴンは死ぬ。お前が殺したんだ」
リディアは頭を振っている。そして、震える足で立ち上がった。
男がため息をついて、ポケットから何かをほおり投げる。
細い黒い煙がこよりとなり、リディアに向かっていく。
男はニヤリと笑っている。
「お前が殺したんだ。お前のせいだ」
目の前で吹き出すドラゴンの赤い血。
バラ線のようにところどころトゲをかかげ、リディアにまとわりついていく黒い煙。
《お前が殺した》
わたしが殺した。
《お前のせいだ》
わたしのせいだ。
場面が変わる。
……剣を向けているのに、とても穏やかで優しい青い瞳。
真っ直ぐなプラチナブロンド色の髪。
黒いメイド服をきた男性は手を伸ばし、剣を持つわたしの両手を包んだ。
「リディーは生きるんだ」
その手を強く自分に引き寄せる。
何かの抵抗を受けながらも、剣はブズズと入っていく。
こふっと兄さまが血を吹いた。
《お前が殺した》
わたしが殺した!
《お前のせいだ》
わたしのせいだ!
嘘だ!
映像にヒビが入る。
マルシェドラゴンは生きていた。翼を再生して、仲間のところに飛んで行った。
ヒビが広がっていく。
フランツも生きている。わたしの光魔法で治ったって言った。
ヒビが遠慮なく広がって、映像が赤いフィルターごとパリーンと音を立てて砕けた。
解呪、クリア
ドキドキしていた鼓動が、少しずつ緩んでいく。
空気が体の隅々まで行き渡っていくような、不思議な感覚。
映像が浮かぶ。でも色のフィルターはかかっていない。
兄さまがわたしの前で跪く。そしてわたしの手を取る。
「リディア嬢、私はあなたが好きです。強いところも弱いところも、あなたの全てが愛おしく、愛しています。
私は今は侯爵の地位を賜っていますが、いずれ当主を降りるつもりで、その後のことは決まっていません。私が何者になるかは決まっていません。ただひとつわかるのは、私が何者になってもあなたを愛し続けることだけです。今までどんなことがあっても、それだけは変わらなかったように。
こんな私ですが、あなたとこれから一緒に時を刻みたい。そうするためのできることはなんでもします。
どうか、私と婚姻を結んでください」
すがるように、不安げにわたしを見上げた兄さま。
映像が移り変わる。
もっと過去に。
兄さまのアイスブルーの瞳にわたしが映る。
「リディーが私を知らなかったと思うなら、これからの2年で私を知って?」
またまた兄さまのドアップ。
「わたしの知ってる子と同じ瞳だから、よろよろしている君を放っておけなかった」
アイスブルーの瞳にトカゲ姿のわたしが映っていた。
兄さまの指が見えた。わたしの髪の先っぽが巻きついている。
「君はいつだって明日に向かって走り出せる娘だ。だから昨日までにしがみついちゃいけない。私とはここでお別れだ」
その髪先に口づける。
真っ白のタキシードのような装いの兄さま。そこにプラチナブロンドの輝く髪が美しい。
同じ真っ白のタイに、わたしの瞳と同じ翠の宝石が輝いていた。前髪を半分後ろにあげるようにしていた。
「リディー、雪の精みたいだ。消えてしまわないか不安になるよ」
わたしの頬に兄さまが手を寄せる。
兄さまと目が合う。
押されて壁に背中がぶつかる。
再び顔が近づいてきて、唇を食べられる。食い尽くすような勢いで迫られ、頭は壁についているし、顔は手でホールドされているし逃げ道はひとつもなく焦った。ますます探られ、息もしづらいし。
その焦りもいつしかボーッとしてきて何がなんだかわからなくなる。
カクッと足に力が入らなくなった時、兄さまに支えられた。
兄さまの口が離れていく。見上げれば
「……物足りない顔してる」
頬が上気していた。
「私はねメロディー嬢から、元婚約者から〝憎まれて〟いたんだとわかって、ほっとしたんだ。……酷いだろう? 醜悪だ」
顔を歪ませた兄さま。
「リディア・シュタインに、私はとっくに恋してた」
わたしの目を見て、キッパリそう言った。
「リディーは私のリードは下手だと思う?」
茶目っ気たっぷりに言われたのに、どこか責められたように感じた。
目が変になったかと思って目を擦った。
だっているはずないもの。
目を開けると、見間違いではなかった。わたしを認めると一目散に走ってくる。
兄さまに、ぎゅーっと抱きしめられる。ものすごい強い力で。苦しいと言おうとした途端、わたしの肩を持ってわたしを離す。え?
「ご、ごめん。力が入っちゃって」
兄さまの顔が赤かった。
「父上の無念さや、義母への反抗心、いろいろ思うことはあったけれど、そんな私の中で大きなことも、自然の中では何も通用しなくて、弱ければ死を待つだけ。死を覚悟した。思いなど関係なく、寒ければ死ぬだけなんだって思い知らされたのに。そんな大自然の凍てつかせた氷も、小さなリディーのよだれに溶かされてしまうんだと思ったら……つきものが落ちたように、全てを受け入れられるようになったんだ。私の中で、リディーのよだれは最強だ」
あの時、切実にそのことは忘れて欲しいと思った。
「君、だれ? リディーじゃないよね?」
それまで味方だった兄さまに、初めてきつい目を向けられ、わたしは心がギュッとして動けなくなった。
「リ、リディー大丈夫? 転んでも泣かなかったね、偉いぞ!」
青い瞳は忙しなく動き、わたしの隅々まで怪我をしていないか探っていた。
プラチナブロンドのクセのない髪。
アイスブルーの澄んだ瞳。
筋が通った鼻に、形のいい唇はほのかに赤い。
冷たい人形のように整った顔。ふと視線が動き、わたしをフレームに収めた時、よく知ってる〝顔〟となる。
頬を染めて、暖かく眦を下げて、愛おしそうに名を呼ばれた。
「リディー!」
兄さまだ。
兄さまで、婚約者で、わたしの大切なひと。
一等、大切なひと。




