第919話 Get up⑩ハード・ハーダー・ハーデスト
『リディア』
誰かに呼ばれてる?
「もふもふ?」
もふもふの声だ。目をこする。
『大丈夫か?』
大丈夫? えっとなんだっけ。ここは?
寮じゃない。王都の家でも町外れの家でもない。
『ここは王宮の地下だ。庭園でお前は悲鳴をあげ倒れた』
え?
あ、ああ。
「大丈夫でち?」
「アオ、大丈夫だよ。驚かせたね」
『リー』
『リー』
『顔色が悪いですよ』
ベアの言葉に顔を触る。触っても色はわからないんだけど。
『どうしたんだ、一体?』
「……アダムの顔を近くで見たら急に怖くなって……わ、わたし誰かを刺したことがあるのかもしれない。フランツが真っ赤に染まって。剣を刺した時の感触が」
両手を見ると、血に染まってはいないけれど微かに震えている。
それに、他にも倒れた誰か。動かなくなった誰か……。女の子の姿も……見えたような……。
「両手が血塗れに見えた。わ、わたし、それが怖くて、思い出せずにいるのかもしれない」
『それは違うよ』
「違う?」
『誤解は早いところといたほうがいい。な、主人さま?』
レオがもふもふに同意を求める。
『我もそう思う。奴らも心配しているし、そう話してみるのはどうだろう』
「みんなを呼んでくるでちか?」
「わたしが行くよ」
ベッドから降りる。
深呼吸する。手にどろっとした血の感触があった。
押し戻される抵抗を感じながらも、ズブっと入ったリアルな感覚。
わたしはみんなに支えてもらうようにして、先ほどの部屋へと赴く。
ノックをしてから入ると、みんながこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
駆け寄ってきてくれたのはお兄さまたち。わたしをソファーに導いてくれた。
「思い出した?」
イザークに首を横に振る。
「思い出してはいないのだけど、聞きたいことがあって」
「うん、どうした?」
ロサが促してくれる。
アダムとフランツはわたしから一番遠いところに腰掛ける。
明らかにふたりを見て、悲鳴をあげたもんな。
「思い出したわけじゃないんだけど、一瞬映像が浮かんだの」
聞こうとして手が震えだすと、もふもふがタンと膝に乗ってくる。
ぬいたちもわたしに寄り添ってくれた。
「わ、わ、わたし、人を……刺したんじゃないかしら。
け、剣で刺した時の、か、感覚と。血塗れの誰かと、血塗れのわたしの手が見えた。倒れた男女も……。わ、わたし誰かを刺して、死なせてしまって。それを忘れたくて記憶が戻らないのかも」
「それは違う!」
フランツが叫ぶように言った。
「リディー、私が怖いかな? 近くに行っていい?」
わたしは頷く。
フランツがわたしの足元で膝をおり、わたしの両手を掴んだ。
「リディーは悪くないんだ。リディーの心の傷を作ったのは私だったんだね。本当にごめん。違うんだ。私がリディーの剣を持つ手を持って、自分を刺したんだ」
「え?」
ど、どういう状況?
「君は苦手な瘴気に操られて、呪いのかかった剣を手にした。その剣は私を刺す呪いがかかっていた。君はそれに抗って。……私はその手を持って、自分を刺したんだ。
あの時私は、君に生きて欲しいと思って、その気持ちだけを優先して、君の気持ちを考えなかった。優しい君が、呪いだとしても私を刺してしまった後のことを思いやれなかった。生きていてくれればいいと思ったんだ。君が今も傷ついたままだとは思わなかった」
呪いの剣? 刺した?
ああ、やっぱりあの手の感触は、剣で人を刺したんだ。
目眩で倒れられたらいいのに。ぐわんと頭の中が回るような感覚に耐えながらきく。
「そ、その傷は大丈夫なの?」
「私が自分で刺した傷は、リディーが光魔法で治してくれた。リディーは何ひとつ悪くないんだ。私が自分で」
そう声を詰まらせたフランツの背中をロサが叩く。
「リディア嬢、フランツの言ったことは本当だ。
あの時は、君かフランツが……」
「私が間違ったんだ。リディーに深い傷を残してしまった」
フランツが遮るように大きな声を出す。
「もふもふ、ぬいたち、ふたりの言ったことは本当? わたしは他の誰かを刺して、死なせたりしてない?」
『ああ、フランツがリディアの持つ剣で自分を刺したんだ』
な、なんでそんなことを……。
いや、話は聞いたわけだけど。
わたしは立ち上がる。
「ごめん。いっぱいごめん。けど、寝る」
みんな目が大きくなった。
いや、意味わかんないよね。
わたしもわからないもん。でもキャパオーバー、消化できない。
もふもふたちに支えられながら、また部屋に戻る。
簡素なワンピースでよかった。ドレスだったら眠りづらい。
わたしはベッドに飛び込んだ。
「ごめん、本当に寝る。1時間ぐらいで起こしてくれる?」
アオが引き受けてくれた。
ベッドの中で目を瞑る。
呪いの剣って何よ、リディア、ハードすぎるでしょっ。
「リディア、1時間経ったでち。夕方でち。帰らないとでち。それとも泊まるでちか?」
泊まる? その単語で飛び起きる。
「起きた」
『大丈夫か?』
レオが不安そうな声だ。
フーと息を吐く。
「まだ混乱しているけど、落ち着いてきた。ごめん、心配かけたね。みんなにも謝らないと」
人を刺した件はとりあえずわかったけど、アダムが怖く思えたのはなんでだろう。いっつも守ってもらって、あの時も支えてもらったのに、すっごい失礼だった。
ノックをしてドアを開ける。
みんなの視線が集まる。みんな不安げな顔をしていた。
「ごめんなさい、心配かけて。
急に映像が見えて混乱しちゃったの。その過去の話、今じゃなくてもいいから詳しく教えて。ただ怯えるのは嫌だから」
そう言うと、アダムが弱々しく頷いた。




