第90話 ファーストコンタクト①第二王子
泡立て器やケーキの型を試すのに、ピドリナさんにはスポンジケーキを作ってもらっている。その隣でわたしはカボッチャのパイを作っている。パイは型がなくても成形する方法がいくらでもあるからね。
ウチで育てたのは砂糖不要でいけるほど甘いカボッチャだったので、煮詰めてバターと卵と合わせた。寒くなってきたので、多少パイ生地作りが下手でも季節が手助けしてくれる。パイ生地は手が冷たい人と、寒い季節に慈悲をくれるのだ。
オーブンにパイを入れると、見計ったようなタイミングで『ビーーーーーーー』という機械音が家中に響いた。
な、何?
目を瞑って寝そべっていたもふさまも顔をあげる。
ピドリナさんに抱きあげられた。
「主人さま、ついてきてください」
「ピドリナさん?」
「お嬢さま〝さん〟はいりませんよ。ではなくて、フランツさまの部屋にいてください。大人が迎えに行くまで出てきてはいけません。主人さまお願いしますね」
階段にわたしを下ろすと、2階の兄さまの部屋へと促される。わたしは一段ずつ階段を登った。わたしの後ろをもふさまがついてくる。
ノックをしてわたしだと言うと、ドアを開けてくれて引っ張り込まれた。中にはアラ兄もロビ兄もいた。
「兄さま部屋、いるよう言われた。あの音、何?」
気になっていたことを尋ねる。
兄さまはドアを閉め鍵をかけた。兄さまの部屋には鍵をつけたのだ。2階の避難場所として。
「誰か、今まで家に来たことのない人が来たんだ」
「仕掛けだよ」
「? 動物の骨じゃなかった?」
「アルノルトが改良したんだ」
改良ってレベル!? しかもなんで機械音みたいのが存在するんだろう?
「多分、王子が来たんじゃないかな?」
兄さまの顔が強張っている。双子もどこか緊張している感じだ。
『敷地内に入ってきたぞ。確かにひとつ、凄まじい気を持つ者がいるな。隠しているようだが。それに魔力の高い者がゴロゴロいる。辺境伯の強さに届く者もいるな。近づかなくてもわかるぐらいだ。なかなかだ』
もふさまは嬉しそうだ。
マップを呼び出す。わらわらと青い点が敷地と周辺にあった。赤い点はないので、ひとまず胸を撫で下ろす。人数からいって、団体さまは王子と護衛という感じがする。
とうとう来たのかという思いと、本当に来たんだという思いが交錯する。目的はわたしと〝出会う〟ためだと推測されている。
ウチと王族は相性が悪い。母さまと母さまの姉さまと従姉妹に嫌がらせをしていたことでアウトだし。こちらとしては縁を持ちたくない。向こうはお構いなしにぐいぐいくるけど。
だから早いとこわたしを諦め、2度と関わらないで欲しい。
でも婚約済みなことは話が出てからしか言ってはいけないと言われている。あからさますぎるのは良くないそうだ。
あくまで、わたしたちは王子の訪問は思ってもみなかったことで、婚約話が出たら驚かなくてはならない。そして光栄なお話ではありますが、実はもう婚約しておりまして、お受けできないのです、としおらしく言わなければならないのだ。前もって知っていて、王子と婚約したくないから婚約者を先に決めましたとは不敬すぎるようだ。ましてや重たくとらえられ反逆と思われないよう、慎重に伝えなければいけない。何かあったら、煽りをくうのは領民になる。
ノック音とともに「ピドリナです」と名乗る声がした。ドアを開ければピドリナさんが部屋の中へと滑り込んできた。
「お客さまがいらっしゃいました。旦那さまが、失礼にならないような格好で下に降りてくるようにと」
そういってみんなに目を走らせ、わたしで目を止める。
うん、みんなお客さまの前に出てもおかしくない格好だ。わたしは今までお菓子を作っていたんだもん、当然、作業着だ。
「お嬢さま、着替えましょうね」
ピドリナさんに連れられて隣の部屋へと行った。薄い空色のワンピースだ。わりとハイウエストで切り替えがあり、手首のところはリボンで絞るタイプ。裾にはレースがあしらってあった。どうせ見えないのにペチコートはフリフリのすごいやつだ。ペチコートのボリュームでスカートはハイウエストから下に広がりを見せた。
髪の上の方で何かをしている。
兄さまの部屋に戻ると、3人はわたしをじーっと見た。
「ピドリナ、もう少しかわいくないようにできない?」
「そうだよ、もうちょっとダサくしないと」
双子が抗議するとピドリナさんは笑った。
「リディーは横髪をあげてもかわいいね」
兄さまに驚くほどの甘い笑みで言われた。10歳が5歳児に色気を振りまかないで。反則。顔が赤くなっていそうだ。毎日見ている美少年なのに、甘さも加わると破壊力が。
「うん、リー、すっごくかわいいよ」
ロビ兄がほっぺにちゅっとしてきた。
「な」
挨拶のちゅっはずいぶん慣れてきたが、こちとら日本人の感覚が根強くあり、恥ずかしさが頭をもたげてくるのだ。
反対側をアラ兄がちゅっとしてくる。
「かわいいからおまじない。変なのに引っかからないようにね」
「そういうことなら、私も」
兄さまがおでこにちゅっとしてくる。
最後にもふさまも飛びついてきて、抱き留めると、わたしのほっぺに湿った鼻をつけてきた。
わたしとピドリナさんは目を合わせて苦笑した。
ピドリナさんの先導で下におり、アルノルトさんとバトンタッチ。
居間のドアをノックして入り、父さまにわたしたちの入室の許可をとる。父さまと誰かのやりとりの後、わたしたちは促され居間へと足を踏み入れた。
居間の前にも騎士っぽい格好をした人がいたので、居心地が悪く感じたが、部屋の中はもっとだった。ドア前には2人の騎士っぽい人が控え、正面には金髪の子供が座っていた。その左右に口うるさそうな中年の方とどっしりしたふんぞり返った人が固め、その隣にふたりの若めの人たち。侍女がひとり。父さまと母さまは立ったままだ。
「第二王子殿下が狩りに行くのに、挨拶に寄ってくださったんだ。ご挨拶をさせていただきなさい」
父さまはわたしたちにそう言って、椅子に座った子供に向き直る。
「私どもの子どもたちです」
「許すから、普通の挨拶でいいよ」
機嫌良さげな声だ。
「ありがとう存じます」
父さまが子どもに頭を下げる。
王さまの目は見ちゃいけないらしい。許しがあるまでは見ても話しかけてもいけなくて、頭を下げじっとしているしかないそうだ。王族に対してそんな縛りがある。
尊すぎて、直接みると目が潰れちゃうんだって。許されてからなら目は潰れない。見るなという威嚇ではなく、尊いお方が酌量して許してくれるから目が潰れないで済むという、お優しい配慮としておきたいらしいよ。そしていつの間にか、それは王に対してだけでなく、その血統の方々にも同じように接する不文律ができたとか。
だから第二王子殿下は、許しを与え、普通の挨拶でいいと言ったのだろう。
兄さまが足を揃え胸に手をおいた。少し足をずらしてもう片方の手の甲を腰の後ろに当て〝礼〟をとる。
「フランツです」
アラ兄も完璧な礼をとった。
「アランです」
ロビ兄もだ。
「ロビンです」
わたしもカーテシーをする。何せ認めたくないが運動音痴のようなので、バランスをとるのも下手で、大変危なっかしーのは自覚している。
「リディアです」
「顔をあげて」
言われて顔をあげて王子殿下を見れば、あちらも大変見目麗しかった。
柔らかそうな金髪に王族の証という紫水晶のような瞳。鼻筋は通り、気品のある端正な顔立ちだ。子どもなのにかっこいいもの、絶対にイケメンになるだろう。全体的に涼やかな印象だが、好奇心旺盛なのか興味深げにわたしたちを見て瞳を輝かせていると、余計に目をひく感じだ。
「フランツは何歳だ?」
「7歳です」
「もっと上かと思ったが、同い年か。双子は何歳だ?」
「6歳です」
アラ兄が答えた。
「リディア嬢は何歳だ?」
「5歳です」
絶対、知ってるはずだよなと思いながら、しおらしく答える。
「兄たちは大きいが、リディア嬢は小さいな」
似てないといいたいんだね、別にいいけど。
「シュタイン伯に頼みがある」
「なんでございましょう?」
「ご子息やご令嬢と一緒に過ごしたい、屋敷の滞在を許可してくれぬか?」
様子見か?
さっさと婚約話を出せばいいのに。そしたら話はすぐに終わるのに。
「殿下に申し上げます。見ての通り、我が家は広さもなく、使用人も執事と料理人のみ、申し訳ありませんが、とても殿下に過ごしていただけるような環境にはございません」
わたしは初めて、貧乏でかした!と思った。
「そんな気遣いは要らぬ」
なんですと?
「元々、狩りが目的。野営で過ごすつもりだった。道中テントで何日も過ごした。なんなら庭先にテントを張らせてくれるのでも構わない。同年代と過ごす機会は少ないから貴重なんだ」
そうにっこり笑った。その笑みは完璧だ。誰もを魅了し、和ませ、助けたいと思わせる、身についていて、本人もどう人に思われるかもわかってやっている。
うわー、子どもっぽく装っているけど、こいつ侮れないやつだ。
「……恥ずかしながら、客間は5つしかありません。警備の方などは柵の外で野営していただきたく存じます」
父さまは丁寧に頭を下げた。