第857話 逃走劇⑨帰路
「トスカ、怒ってるわけじゃないから」
わたしはわかってるとフランツに頷いてから、慌てて言った。
「フランツもアダムも遊びに行ってきていいよ。わたし、もふもふとここにいるから。息抜きもしないと」
ふたりが黙り込んでしまう。お荷物は嫌われる。嫌われるのはイヤだ。
「……えっと、クラブとか、あ、スッキリするお店とか行ってきて」
「何を言ってる?」
眉を寄せたアダムがフランツを見て、フランツはおでこを手で支えている。
「何があったんだい?」
「件の女性が礼だと誘ってきてね」
「……そういうこと。で、スッキリするお店って?」
フランツはアダムに耳打ちするように何か話した。
アダムが目を大きくしている。何かに驚いているようだ。
「トスカの情報は間違っているよ」
アダムはにこりと笑う。
「間違ってる?」
「確かにそういう店はあるけど、誰もが当てはまるわけじゃない。一途な奴ほどね。それだけは覚えておいて。僕たちが今一番大切にしているのは君のことだ。何をおいてもね。だから今は余計なことは考えないで」
ふたりを見上げる。わたしのことは気にしないで、好きにしてくれていいんだって訴えかける。
「わたしお荷物になりたくない。だって、お荷物はイヤなものでしょ?」
わたしは続けた。
「守ってもらってるよ。十分だから! だから、宿にいる時ぐらいは自由にしていて」
ふたりは顔を見合わせて、軽く息をつく。
「トスカの言うことはわかったよ。自由にする。
でも私たちもトスカを大切に思ってる。好きで君を守っているんだ。お荷物なんて思ったことはない。それは君も心に刻んで」
フランツの目は真剣だ。
「それじゃあ、この話は終わりだ。……お腹空いたんじゃない? 食事にしようか」
ご飯のことを思い出したら、お腹が空いていたのを思い出した。
お腹がグーっとなる。
「わかった、食べる」
わたしは素直に食欲を優先させた。
次の日は朝一番に乗合馬車に乗った。乗客は3人。
急いでいると言って、聴取を夜に済ませてきたらしい。わたし眠っちゃったから知らなかったんだけど。
その道は護衛がついていて、別の意味で怖かった。一度山側から獣が降りて道を横切ったので、護衛の人たちがピリッとしたけど、トラブルらしきものはそれだけだった。
夕方前にはナミンコーワの街についた。
食事処兼居酒屋みたいなお店に入る。
ご飯かなーと思ったら、お店の中を通り過ぎて奥の入り口からそのまま出た。
周囲を警戒しながら、一軒の家に。
フランツがノッカーを鳴らす。
出てきたのは〝戦士〟の格好をした人だ。
中へとすぐ通された。
すぐその先にいたのは、高齢の男性。華美ではないけど、質のいいものを着ている。
薄い金髪に翠色っぽい瞳。背は高く、背筋がしゃんとしている。
わたしに視線を定める。その瞳がとても優しかった。
一歩一歩近づいてくる。おじいさんの瞳が潤んでいた。
わたしの前で屈み込む。
「小さなレディ、よく頑張ったね」
あ。フランツのお父さんと一緒だ。
とても温かい言葉。
あんまり頑張れてなくて助けてもらってばかりなんだけど、そう言われるとグッとくるものがある。
「……いっぱい助けてもらいました」
なんでだろう、言ってるうちに涙が出てくる。
あったかい腕に抱きしめられた。
「もう大丈夫だ。さ、ユオブリアに」
「トスカ、クジャクさまだ。転移で私たちをユオブリアに連れていってくださる」
わたしは涙を拭いた。
「あの、トスカです。わたしのためにありがとうございます。感謝します。よろしくお願いします」
「ワシのことはおじいさまと呼んでくれるか」
え。いいのかな?
「お……じいさま?」
わぁ。
もう一度おじいさまに抱きしめられる。
「孫ができたようで嬉しいよ」
「あの、わたしもおじいさまがいたら嬉しいです」
「そうか……では、トスカはワシの孫だ。ワシを頼っておくれ」
胸があったかくなる。
アダム、ロサ、フランツ、イザーク、ルシオ。ガーシ、シモーネ、フォンタナ家の戦士たち。
もふもふ、ぬいたち。
フランツのお父さんやクジャクのおじいさま。
わたし本当にいっぱいの人に助けてもらってる。守ってもらってる。
こんな恵まれてていいのかな?
その時、ドアがノックされた。
おじいさまが立ち上がる。
「みんな近くに来てくれ。一気に転移する」
おじいさまはわたしの手を持ったままそう言った。
激しいノックの後、体当たりしているような音がして。
ドアの方を見ようとしたら視界がブレた。
次にいたのは薄暗い部屋だ。
ふかっとした赤い絨毯。
すごい、瞬きしただけなのに景色が違う。
少しだけお腹辺りが落ち着かない。臓器が元の位置に戻ろうとでもしているかのような……。
フル武装の鎧の人が、おじいさまに向かって手を胸に当ててから60度に腰を曲げる。戻すときに足を踏み鳴らしたので驚いた。
「クジャク公爵さまで、お間違いないでしょうか?」
「そうだ」
コウシャク? 貴族ってこと?
「皆さま、隣の部屋にて待機していただきますよう、お願い申し上げます」
部屋は8角形で、辺にあたるその8箇所全てが扉だった。
鎧の人がそのひとつのドアを開けた。
そこにはロサとイザーク、そしてガーシとシモーネがいた。
「みんな!」
「無事、合流できたな」
ロサが笑うけど、なんか違和感。
「どうした、変な顔して?」
イザークに言われる。
「あれ、なんか?」
「ようこそ、ユオブリアへ」
ロサがにっこりする。
あ、そっか。ここはもうユオブリアで。
あれ? そういえば。言葉。あれ? あれれ?
「トスカはユオブリア語も堪能なようだ。よかったな」
と続けた。
そうだ。フォルガード語じゃない。
鎧の人もフォルガード語じゃなかった。
でも、わたし理解できた。それにわかる!




