第845話 潜入⑨なんどきも
『我は屠れと言ったはずだ。なぜ助けた?』
マルシェドラゴンから、静かに問いかけられる。
「それがこの者の願いだからです」
後ろから支えてくれている、フランツが言った。
「……あなたを待っている誰かのところに、帰り着いて欲しいから」
言ってしっくりきた。
瞬間的に助けたいと思ったことを伝えるのは、難しい気がした。
わたしは記憶を失っているけれど、感情は今までの経験則からできあがったものだ。わたしはそれを覚えていないし、ドラゴンとは考え方が大きく違うだろう。
でも、大きく違っても重なるところがあって……。
だから再生している時、わたしを気遣う発言が飛び出したのだし、人を憎みたくないって言ったんだろう。
真っ黒な瞳で、わたしを見つめていた。
「……人族がごめんなさい。人族を憎むのは当然よ。
でもごめん、死にたくないから、戦うというなら、助けておいてなんだけど、全力で闘う。
だから、その翼であなたを待つ仲間のところに帰って」
勝手な言い草だけど。
ドラゴンは長寿だろう。だからきっと仲間がいる。
もう人族とはかかわらないで、生きてくれたらと思う。
『我らドラゴンもいろいろなものがいる。人族とて同じだろう。
とても許せるものではないが、お前たちには感謝する。
元の姿に戻れるとは思わなかった。再び空に還れる時が来るとは』
ドラゴンは一歩二歩と前に歩み出た。
敵意はないと判断したのだろう。ガーシが、シモーネが。アダムとロサ、イザークも道を空けた。
歩み寄ってきた赤いドラゴンは、器用にわたしの頬に顔を寄せる。
「ごめんね」
わたしは力を込めて、その大きな口にギュッとした。
憎まずに死なせてくれと言った、優しいドラゴン。
人族が長い間あなたを苦しめた。本当にごめんなさい。
マルシェドラゴンは鼻先でわたしにちょんと触れる。
ブワッと力が湧いてくる。
『ドラゴンは人族に与しないが、我の加護のある其方の窮地には駆けつけようぞ。我は誇り高きマルシェドラゴンのホルク。何時も名を呼ぶことを許す』
そう言って、羽を大きく広げた。その大きさに驚いた。
そしてここの天井が高かったことに気づく。
ここは地下だ。
そうか、この高さを出すための地下だったんだ。
跳躍した。
天井をものともせず飛び立つ。
天井が壁が落ちてくる。
もふもふが大きくなって、わたしたちを覆った。
すごい音と地響き。
他の階に人がいたはずだけど……。
崩落がおさまり、そろそろともふもふの下から這い出た。
ぽっかり空いた天井の穴から空が見える。
赤いドラゴンは青い空に吸い込まれるように、あっという間に小さくなり、点となった。
「イザーク、幻影を張れるか?」
ロサに言われ、イザークは頷く。
「ここが壊れていないようにだな?」
ロサが頷く。
「もふもふ、ありがとう」
崩れ落ちてくる壁から守ってくれたもふもふに、お礼が相次ぐ。
そして、支えてくれたフランツにもお礼を言う。
ドラゴンが力をくれたので、ひとりで立っていられそうだ。
「ここは陥落。玉はもうないって知らしめないの?」
イザークにこの天井がなんでもないように幻影を見せるって意味は? 不思議に思って尋ねる。
「マルシェドラゴンが言ってただろ。マルシェドラゴンをこの組織に渡したのはどこぞの王族だと」
そんなようなことを言っていたね。それが?
「ここを潰せば玉を作ることができない、そんな確証がなく、高位の魔物の……生き血で浸せばできるものなら、この場所がなくなっても、高位の魔物を捕らえても作れてしまう、そう思うものが出るかもしれない。ここのトップが捕らえられないうちは」
あ、そっか。
「ここのトップを捕まえて、〝玉〟を絶対に作れない状態にする。玉の作り方を知っている人たちを一網打尽にする。とにかく玉が作り出せないって状況にしないと、誰かに作られたり、新たな他の場所で作られたら、手がかりがなくて探れなくなっちゃうのか」
「そういうこと」
「〝記憶を失う前〟のトスカと話していた弁護人が、ここのトップであった可能性が高いな。あと作り方をどれだけの者が知っているか……」
「でもなるべく秘密にしていただろう? 誰もが作れたら、価値が下がる」
「高位の魔物はそれなりにいるだろうけど、世界樹もいっぱいあるモノなの?」
わたしは尋ねる。
「世界樹? あれは世界にひとつだろうね。想像の産物かもしれないけど」
ロサが笑う。
「トスカ、なぜ世界樹のことが急に出てきたの?」
フランツに尋ねられた。
「え? この部屋に入ってきたすぐのところ、カーテン地帯の先の樽の畑があったでしょう? あの漬け込まれてる葉っぱは世界樹の葉だから、高位魔物の血もだけど、世界樹の葉っぱも必要なんだと思って」
「世界樹の葉?」
もふもふが小部屋を出て走っていった。もふもふぬいたちもそれを追った。
「なに?」
不安になったけど、もふもふたちはすぐに戻ってきた。
『本当だ。樽の中には世界樹の葉が入っていた』
もふもふの言葉をアオが通訳する。
「トスカはなぜあれが世界樹の葉ってわかったんだい? 弁護人に言われた? 思い出した?」
「え、……わからない。ただそう思っただけ」
わたしが申し訳なく下を向くと、アダムが軽く息をつく。
「世界樹は世界にひとつ。架空のものでないのなら、世界樹は許した者としか会わないはずだし、大量の葉を用意できるなんてことはないはずなんだが」
ロサとアダムが考えこむ。
「あの……いいか」
控え目にフランツが挙手をしていた。
「なんだ?」
「世界樹とは、ここにいるみんな、会ったことがあるよ」
「は?」
いくつもの〝は?〟が重なった。
「学園の聖樹さまが、世界樹だ」
ロサとアダム、イザーク、ガーシもシモーネも口が開きっぱなしになった。
「せ、聖樹さまが世界樹!?」
茫然としている。
ロサが口元を親指と人差し指で触っている。
「それが本当なら、……いや、本当なんだろう」
チラリとみんなからの視線がわたしに届く。
「アダム、学園長に連絡を取ってくれ。聖樹さまに聞いて欲しいと」
「葉が大量に犯罪に使われている。その心当たりがないか、だね?」
ロサは頷いた。
世界樹を保有する学園、か。すごいところだな。




