第843話 潜入⑦ 咎
「リ……この者はその願いを叶えると言いましたか?」
フランツがドラゴンに問いかける。
『……我を……屠って……くれ』
それには答えず、ドラゴンは願いを繰り返す。
軽いため息の後に、アダムが剣を抜いた。
え。
「ちょっと待ってくれ」
それをフランツが止める。
「トスカはどう思う?」
え、わたし?
「トスカはドラゴンの願いを叶えたいと思う?」
頭の中に声が響く。
ーー魔物を屠るのは当たり前のこと。
その通りだ。
……この有様は酷い。残酷で醜悪で汚くずるい。
光魔法って切り落とされた手足が生えてくるの?
もしそうじゃなかったら、壁から外されたとしても動くのが困難な、大変な状態なんじゃない?
元気になったとして、人族にやられたわけだから、よくもやってくれたなって襲ってくるかもしれないし。
何よりドラゴン自身が、屠ってと願っている。
わたしは恐る恐る頷く。
するとフランツはアダムの剣を奪って、柄の方をわたしに差し出した。
「「え?」」
わたしとアダムの声が重なる。
「君がそう思うなら、ドラゴンの望みを叶えよう」
「おい、彼女にそれをさせるのは酷ってものだろう」
アダムがフランツに声を荒げた。
「ひとりではさせない。私が同じ咎を負う」
迫力ある一喝にアダムは一歩下がる。
「君が考えて出した答えなら一緒にそれを背負う。だから流されるな。ちゃんと考えるんだ。自分がどうしたいかを。したいことが見つかったなら、それを全力で支える。だから怖がるな。君はそれができる」
剣を持たせられる。フランツも一緒に握っている。
フランツは本気だ。
ドラゴンの願いを叶えてやりたいと思うなら、わたし自身で止めをさせと言っている。自分も手を貸す、と。
急に暑くなったわけではない。けれど汗が出てきた。それなのに、身体の温度は冷えていく気がする。身体が冷たい。
わたしは首を横に振った。
「どうしたの? 願いを叶えたくないの?」
「ドラゴンは魔物なの」
「そうだ」
フランツは頷く。
視界がひどく狭まっていた。同じ剣を握っているフランツしか、この時見えていなかった。
「魔物を殺すのは当たり前のこと」
「……そうだな」
目の前のフランツは頷く。
「魔物は瘴気を減らすために、生まれた存在なんだから」
「……それで?」
フランツは目を少し細くしながら促す。
「人と魔物は共存できない。殺らなければ殺られるだけ」
「そうだな」
「魔物を屠るのは当然なの!」
「その通りだ」
「瘴気が蔓延すれば、みんな死んじゃう」
「そうだな」
「神さまは酷い。地上に干渉するのはタブーだからって、瘴気を蓄えられる魔物を創り出した。地に還る時、瘴気も消滅するように。そんな世界を救ってくれてる救世主の魔物を、人々は恐れながらも屠る」
「……君はいろんなことを知っているようだね」
一拍置いてから、フランツはそう言った。わたしは続ける。
「生まれたのに、死ぬことを望まれた存在」
「そう思うなら屠ればいいのに、さっきからどうして言い訳ばかりしているの?」
フランツに目を覗き込まれる。
言い訳?
「ドラゴンも願っているし、私たちも誰もそう思うことを責めていないよ? それなのにどうして君は言い訳ばかりしているの?」
「それは……」
「それは?」
「……生きて欲しいから」
「……それで?」
「こんな酷いことをした人族を許してなんて言えない」
「言えないね」
「切断された四肢を、光魔法でどうにかできるものなのかもわからない」
「そうだね、わからない」
「元気になったら、人族を許さないとも思う」
「そうだね」
「でも……。本当はそんな思いも、神さまのしたことも、関係なくて。
目の前でそんなふうに酷いことをされた子を、そのままになんてしたくない!」
フランツの声のトーンが変わる。
「……治せるかわからないし、元気になったら襲いかかってくるかもしれないよ? それでも助けたい?」
「元気になって、許せないと屠ろうとされたら、わたしも闘うわ。だって、それが道理でしょう?」
「そうだ。道理だ」
「けど……」
「けれど?」
「治してまた屠るのは、わたしのただの自己満足。辛い思いを長引かせるだけ」
「そうだね、人族の傲慢な気持ちだ」
フランツは容赦ない。けれど、それがありがたかった。
「だからこのまま屠るべきとも……」
迷う心に、フランツが切り込んでくる。
「欺瞞、傲慢、それでもいいよ。でも、君の最初の気持ちは何? このドラゴンに何をしたい?」
「……助けたい」
目頭が熱くなり、わたしは呟く。
「そうだ。それこそが、わたしの知ってるリディーだ」
「……リディー?」
「君はこの小部屋に入るのを怖がっていた。見てはいけないと我々に警告してきた。何が怖かったの?」
「知らない」
「いや、知ってるはずだよ」
「おい、フランツ」
今まで黙っていたロサが、フランツの肩を持って止める。
「このドラゴンが見ていた。君は弁護人と言い合っていた。それぐらいは思い出せるはずだ。何が怖いの?」
「怖くなんかない」
「そっか。怖くないんだね?」
「怖いけど、怖くない。怖がるのを喜ぶから」
「……君のせいだと言われたんだね?」
急に。のびやかに、意気揚々とした声が頭に響く。
ーーお前が殺したんだ。お前のせいだ
「わたしは殺してない。わたしのせいじゃない」
「そう言われたんだね? 君が殺した。君のせいだと」
熱いものが目からボロボロと落ちる。
「兄さま、いじめちゃ嫌でち」
『リー、泣いてる』
『リー、泣かないで』
フランツがわたしの手から剣を抜き取って、アダムに返した。
「大丈夫だ。よく見て。ドラゴンは生きてる。まだ間に合う。君は殺してない。君のせいじゃない」
わたしはドラゴンを殺してない? わたしのせいじゃない?
目の前の赤い塊は、話すのもやっとだけれど、生きている。
屠ってくれと懇願する……生きているから。
わたしは殺していなかった。わたしはドラゴンを殺していなかった。
「どういうことでち?」
アオがみんなを見上げる。
「マルシェドラゴンの話を聞いただろう? 途中で気を失ったから、トスカは最後まで見ていない。それをいいことに、トスカのせいでドラゴンは死んだと聞かされたんだ。だから、ここには死んだドラゴンがいると思った」
「それで怖くて、見てはいけないものだったんだな」
腕を組んで隣にいたイザークが続け、納得したとばかりに頷いた。




