第841話 潜入⑤失った記憶<後編>
「気に入られたのなら、ついでにそのドラゴンからも加護をもらってはどうだ? 君の持つ加護の力を封じ込めることが目的だから、ひとつ増える」
「加護の詳細を知らないくせに」
わたしも知らんけど。
男は嫌味たらしく笑った。
「実際の護りは関係ないのですよ。加護のある何かがあれば安心するものだ。
もうすでに、いくつかの王家から、加護玉に高値がついています」
需要があるってのが厄介なところね。
加護玉は新たな商品なのね。
新たな商品ってことは、今まではなかったもの。そう、新たな加護という原本が手に入ったということ。
見込みだけど、わたしの〝加護〟だ。
どれくらい時が経っているかはわからないけど、わたしが誘拐されたことは公けにされているだろう。つまり、加護玉の加護はわたしの加護から何かしたってわかりそうなもの。それなのに、高値をつける王家がいるわけね。
厄介だわー。
怖くないと言ったのは嘘だ。
こんなドラゴンの状態を見てしまったから、憤った怒りで強くいられたけど。
魔法も使えない状態で、たったひとりは心細すぎる。
残酷な団体……。わたしが生きているだけで加護の力を抜き取れるものとされたら、わたしも四肢を切り落とされて磔にされるかも。
わたしじゃ、どこか1ヶ所切られ血を10分も流せば御陀仏だろう。すぐ死んじゃうよ。組織の人たちは、それぐらい想像できる頭あるよね?
怖がっているのはバレちゃいけない。常に強気で、でもドラゴンが教えてくれたことを守って煽らずに。
「では、加護について話してもらいましょうか。魔法で取り込むことはできなかったようなので。〝詳細〟をあなたは知っているのでしょう?」
2歩、3歩と近づいてきた。
「嫌よ。わたしをこんな目に合わせた人のいうことは、意地でもきかないわ」
もう高値がついているということは、わたしの命は保証される。
加護の力が玉に込められるまでは。
気を失っている状態のわたしからは、加護を移せなかったようだから。
そしてそれは、どんな方法をとったとしても永遠にできない。
だって、わたしには加護なんてないんだから!
わたしにあるのは神獣・ノックスさまの祝福だ。
聖獣・もふさまにおいては一緒にいるだけで、加護や祝福をもらったりはしていない。
ただ時は有限。
実際の護りは関係ないって言っているから、あまりにもできなさそうだったら痺れを切らして、嘘の加護玉を作るかもしれない。
いつ豹変するか、わからない。もうお前いらないってなったらアウトだ。
でも最初は加護をこめられないかと四苦八苦することだろう。
っていうか、この場に誰もこないな。
この男、実はえらい人なのかもしれない。高位の何かがついている人。
この人に直で憑いているのか、バックについているのかはわからない。
「加護玉を作るのに協力するなら、このドラゴンを開放してもいいですよ」
手を変えてきた。何が目的?
「……どうしてそれが、わたしの利益になると思うの?」
「この数分、あなたとのおしゃべりを楽しんでいたわけではありません。
あなたの人となりを見ていたのです。あなたは魔物にも愛情を向けるタイプの人間だ。そしてこの状態のドラゴンが、あなたに手を出そうとした私に攻撃を仕掛けた。あなたたちにはわずかな時間で絆が生まれている。ということは、あなたもこのドラゴンを助けたいと思っているでしょう。違いますか?」
わたしが黙っていると続ける。
「助けるのはやめた方がいいと思いますね。力が少しでも戻ったら、すぐにやられますよ。人を恨んでいるでしょうから。100年もこうして生き血を注いでもらって、そろそろ変えようかと思っていたんです」
「100年?」
思わず反応してしまった。
痛々しいドラゴンを見上げる。こんな状態で100年も?
長い間って、そんなに? それは辛すぎる……。憎んで破壊したくなるのも当然で、むしろわたしを助けてくれたことが異例だ。
何で、なんで組織は、こんなひどいことができるんだ……。
ドラゴンは浅い息を繰り返す。
『……我を……屠る……人族よ。……弱き……者よ。……我……の息が……ある間……だけ……加護を……授けて……やろう』
驚いて壁を見上げる。痛々しい姿に、目の奥が熱くなる。
ここで声を出したら、話せることがわかってしまう。
「変えるって……?」
「そのドラゴンを用済みにして、新しい魔物に変えるんです。ちょっと魔物が用意できなくてと溢せば、融通するのを条件に、喜んで魔物を差し出してくれるでしょうからね」
男は笑みを浮かべる。
「醜悪でしょう、人間は? 滅びるべきは人族なんですよ」
クックックッと喉の奥で笑う。
軽い口調だったけど、重たく響く。
「なるほど、お嬢ちゃんにはこちらの方が効くんですね」
男は急にドラゴンに近寄った。
「ちょっと何する気」
わたしは走った。
『……マルシェ……ドラゴン……の……ホルクが……弱き……人族に……我の……護りを……永遠……に……』
「ダメです、やめてください!」
ドラゴンに叫ぶ。
そんな状態で加護なんて力を使ったら、絶対まずいでしょ。
あ、なんかわたしに降りかかっている。温かい〝気〟が。
男は振りかぶってドラゴンに短剣を突き立てようとした。
阻止しようと間に入ると、男は笑う。
「本当にこっちの方が効くんだな。
答えなければ、お前のせいで、このドラゴンは死ぬぞ?」
『我は……事……切れるのが……望み。……弱き……者よ、助けよ……うと……するな……』
「わたし決めたわ。ドラゴンを解放して傷を治す。あなたたちの組織を世界議会に突きつける。そして罪を償ってもらう」
「傷を治したら食われるのはまずお前だろう。そうなっても屠らないのか、食われてやるのか?」
楽しそうに聞いてくる。
「元気になった状態から、向かってくるなら倒すわ。それが道理ってものでしょう?」
キッパリ言い切ってやると、怯んでいる。
わたしが答えを出せなくて、メソメソするとでも思ったか?
「泣いて戸惑うなら可愛げがあるってものだが、意思が強すぎてつまんねーな。
それに腹に信念がある奴は、自分に何があってもゼッテー口を割ったりしない」
わかってるじゃないか。
口調が砕けてきたな。きっとこっちが地だろう。
「お嬢ちゃんから聞き出すのは無理だ。加護を玉に込めるやり方はこちらであみだそう。
さて。こいつは用済みだ」
男は再び短剣を持つ手を振り上げた。
「やめて!」
「これはお嬢ちゃんへの罰だよ。お嬢ちゃんのせいで、このドラゴンは用済みとなる」
『惑わ……される……な。……我は……それが……望み……』
男が何度も剣を突き立てる。
魔法を使っているんだろう、短剣がのめり込み引き出すときに、一瞬だけ血が吹き出す。
「もう血も少ねーから血管が細くてな、吹き出すのは一瞬だけなんだ」
何度も何度も。
わたしはその手にしがみつく。
『弱き……者よ……、我の……望みを……叶えよ。……我を……屠って……くれ』
「いやだって言ってんでしょ! こんなのが最期の記憶なんて、そんなのダメ!」
「駄々っ子だねぇ。嫌だろうが駄目だろうが……これは全部お嬢ちゃんが引き起こしたことだ」
そんなわけあるか!
わたしは短剣を持つその腕に噛みついた。
男が手を払い、わたしは吹っとび、壁に激突した。
目の前が霞む。
血を吹き出すたびに、呼吸が弱くなるドラゴン。
「お前の願いは叶わない。お前のせいで、このドラゴンは死ぬ。お前が殺したんだ」
頭を振る。視界が揺れるけど、そんな場合じゃない。
魔力はまだ使えない。震える足で立ち上がる。
再び突進しようとしたわたしに、男はため息をついて、ポケットから何かを放り投げる。細い黒い煙がこよりとなり、わたしに向かってくる。
「お前が殺したんだ。お前のせいだ」
目の前で吹き出す赤い血。
茨のようにところどころトゲをかかげ、わたしにまとわりついてくる黒い煙。
《お前が殺した》
わたしじゃない。
《お前のせいだ》
違う。
《お前が殺した。殺していいんだ。だって瘴気を多く宿す魔物なんだから》
違う!
《お前は当たり前のことをしている。だって魔物は人に害をなすのだから》
そうとは言い切れない。
わたしは知ってる。レオも、アオも、アリ、クイ、ベア。みんなのことを知ってる。
《屠っていい魔物とそうじゃない魔物の差はなんだ?》
……こちらが捕食の対象かどうか。
《本当にそれだけか?》
それだけだ。
《いいように決定づけてないか?》
…………。
《ずるいな》
《非道なのは誰だ?》
《残酷なのは誰?》
《一番悪いのは誰?》
《見ないフリしている人》
《わからないフリしている人》
《心の内の醜さに、気づかないフリしている人!》
「いやーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
「瘴気も効くか……」
誰かに覗き込まれている。
「お前は悪い子だ。ドラゴンを殺したのはお前だ」
……わたしは悪い子で、わたしはドラゴンを殺した。
視界が黒い煙に埋め尽くされ、あとは何もわからなくなった。




