第829話 覚醒
「トスカ、ただ、聞いて欲しい。今のは多分、言葉か思いが君の過去に触れ、負荷がかかったんだと思います。だからなるべく早く、ユオブリアに行き、瘴気を取り除くことを勧めます」
ルシオは真摯で誠実な瞳をしていた。
わたしはそうかもしれないなと思って、ちゃんと頷いた。
あ。
わたしは顔を上げる。
同じように何かを感じたようで、ルシオも上の方を見た。
わたしは〝何か〟を感じた。それが何かはわからないけれど。
ルシオが立ち上がる。椅子が倒れた。
彼はそれを気にせず、天を見上げたまま胸の前で十字を切った。
「ルシオ?」
イザークが気遣うように名を呼んだ。
ルシオは胸の前で手を組み、天に向かい祈るようなポーズを続けた。
そしてため息をついて、わたしたちに視線を合わせる。
「聖女さまが覚醒された」
聖女さまが覚醒!?
「どういうことだ? 2年も早い!」
「このことが〝終焉〟に関係があるということ、なんだろうな」
仲間にだからか、ルシオの口調が砕けている。
イザークがなぜかわたしに目を走らせた。
なに? 終焉って恐ろしげな言葉だよね?
「そっちも、もうやってくるってことか?」
「それはわかりませんが……。でもそんなすぐには新たな力を使えないはずですし」
イザークが頭に手をやっている。痛みがあるとでもいうように。
「……ふたりは聖女さまを知っているの?」
わたしが不思議に思って尋ねると、イザークとルシオは静かに顔を見合わせた。
「聖女候補のアイリス嬢が聖女になると、僕たちは確信していました。その通り、アイリス嬢が聖女になられたので、特に伝えませんでした。イザークもそれで分かったのでしょう」
へー、神官になると、そんなこともわかるんだ。
「終焉ってなんの話?」
イザークたちは息をのむ。
「それは……トスカが瘴気を取り除いたら話す」
今は教えてもらえないみたいだ。
「僕はこれからちょっと忙しくなりそうです。
ユオブリアにもすぐに帰ることになりそうだ。その前にトスカに会えて良かった」
「わたしも。瘴気のことも、聖水もありがとう」
ルシオはにっこり微笑み、ポケットから包み紙を出した。
包み紙の中に何かを入れ、上で絞ってある。
それを渡してくれた。
「甘いものは好きですか? 雪砂糖です」
わたしはガサガサと包み紙を開いた。氷砂糖? 透き通ったような結晶の飴のように見える。
ひとつつまんで口の中に。
あっまーい。甘いのに、口の中がひんやりとする。
「あまーい。嬉しい!」
「それはよかった」
「ありがとう、ルシオ!」
イザークにもひとつ食べるか尋ねたけど、彼は眉を寄せて断る。甘いの好きじゃないのかな?
「次はユオブリアで会いましょう」
ルシオに手を出され、わたしは反射的にその手を握った。
ルシオはその手を自分のおでこにつけた。
「悪きものを払いたまえ。良きものは全てこの者の手に。神の使徒カルロが目の前のこの者に祝福を授ける」
おおおおおおお、これが神官の祝福か。
お布施とか払ってないのに、祝福してもらっちゃった。
ルシオがわたしから手を離すと、イザークに帽子を被せられた。
「また馬車に入るまで、話さないようにな」
わたしはウンウン頷く。
「ルシオ、聖女さまのこと、頼むぞ」
「……一足先に帰っているよ。そっちも気をつけて」
短い会話を終わらせ、魔具を回収し、ルシオが先頭にたち、ドアを開けてくれる。そこでルシオは立ち去るわたしたちに深くお辞儀をして、わたしはイザークのエスコートで歩きだす。
外に近づくにつれて、人とすれ違うようになってきた。
外への扉が見えてきた時、わたしの前をゆっくり歩いていたおばあさんが転ぶ。
驚いて、ひゃっと声が出てしまった。
イザークがわたしをおばあさんから遠ざけるようにしながら、大丈夫ですか?と尋ねて手を貸す。
おばあさんはその手を借りて立ち上がった。
「ありがとうございます」
と何度も頭を下げる。
「優しいご子息とご令嬢に、神のご加護がありますように」
そうわたしたちに向かって祈る。
イザークと顔を合わせ、ではと歩き出しすれ違った時、おばあさんはわたしの手の中に何かを滑り込ませた。
感じからいって紙だろう。
「スラプリコさま!」
そのまま歩きかけて、イザークはヤベッと思ったみたいで止まった。
架空のわたしたちの名前だった、かもしれない。
イザークはゆっくりと振り返った。
「スラプリコさま、担当の神官は、失礼がなかったでしょうか?」
少しお腹のでた中年の神官は、揉み手をしていた。
「ええ、とてもよくしていただきましたよ。お嬢さまも説教に胸を打たれたと言われて……」
そう言って、ちらりとわたしを見る。
わたしはにこりと笑ってみた。けれど、そうだ、ヴェールがあるから見えないね。
でも話すなって言われているし。
少し前でもお嬢さまとメイドさんが引き止められていた。なにやら神官と話し、そして令嬢はスカートを少しつまんで、挨拶をした。
あー、貴族令嬢の挨拶だ。なんだっけ、そうカーテシー。
わたしがそちらに気をとられている間も、イザークと神官は世間話をしていた。
そしてやっと終わり、神官は胸の前で十字をきって、そして手を組んだ。
あ、これはこちらも挨拶するのか?
イザークも胸に手を当て頭を下げる。
うっ。わたしは? お嬢さまという触れ込みだから、やっぱりカーテシー?
えっと、スカートをつまんで、足を……。
よし、ふらつかなかったし、なにも言われなかったぞ。
わたしたちは神官に怪しまれることなく、教会から出られた。
すぐにシモーネとガーシがわたしの警護に立った。




