第819話 笑うことを忘れた少女⑱幾重ものヴェールを纏って
思い描いたものと違うみたいだ。
「テンジモノってどういう意味?」
わたしは尋ねた。
「聖女さまは知ってる?」
聖女……聞いたことがある。
「ええと、その時の危機に必要な、女神さまの聖なる力を授かる人のこと?」
記憶にヒットしたので、嬉しくなってわたしは告げた。
あれ? でも女神さまからってことは神属性なのに、なんで聖なる力になるんだろう?
「……女神さまの聖なる力?」
「違った?」
そうだった気がするんだけど。
「いや、そうなのかもしれないね。聖女はその時の〝危機を丸ごと〟浄化できる力を授かる女性のことだ。
もちろん危機を免れる。救われるわけだけど、聖女が現れた時は歴史が大きく動くとも言われている。
聖女が現れたわけではないのに、やっぱりそうやって歴史が動く時があって。
聖女のようなそういう力があるわけではないけれど、世の中を刷新するような考えを持つ者が現れる。その斬新な思いで世界を変えていく者をテンジモノっていうんだ。
テンジモノが現れると一気に文明が発展する。
古い書物にあるテンジモノを検証している人たちが、一部では聖女の男性版をそう呼ぶのではないか、とか、他の世界からきたんじゃないかと、その記憶を持っている人なんじゃないかって意見も出ている」
「他の世界?」
胸の中で何かがコトンと音をたてた。
「創世記……は知っているかな?」
創世記……神さまと魔物と女神さまと聖霊王。
フランツに支えられた。
頭が痛い。急な痛みに頭を押さえていた。
「ゆっくり息をして。大丈夫。何も怖いことはないよ。私……たちがいるからね」
優しい声音に、そんな声も出せるんだと思いながら見上げる。
呼吸が少しずつ落ち着いてきた。
「君は息苦しくなったのが、何故だかわかる?」
アダムに聞かれて、わたしは首を横に振る。
ふるふると動かしたら気持ち悪くなった。思わず口元を押さえる。
「そうなった時、何を考えていた?」
何を考えていたって、創世記のことだ。
「創世記?のことだと思う」
3人は目を合わせている。
フランツがわたしの前に回り込む。
「君は記憶をなくしている。そのことで頭に負荷がかかっていると思うんだ。そんな時に頭に必要以上に働きかけると、負担がかかりすぎて頭が痛くなったりするそうだ。無理してはいけないよ。〝痛み〟は体が拒否している叫びだと思って。無理は絶対にダメだ」
わかった?と確かめられて、頷く。
「創世記に記述があるんだけど、異界は存在する。成り立ちが違うし、世界の成長速度だって違う。魔法がもっと進んでいる世界だってあるだろう。
その進んだ文明の世界の記憶を持つものが、この世界で生まれる。そういう人がテンジモノではないかという意見もある。
僕はそれが正しいのではないかと思う。君は異界の記憶を持ったテンジモノなんじゃないかって」
「わたしが異界の記憶を持ってると思うの?
それはどうか知らないけど、今は記憶をなくしているから、それもわからない」
そうだね、とアダムは笑った。
「テンジモノだと、捕まるとか、何かあるの?」
わたしは下からアダムの目を見る。
「……知られたら、知識に群がる人が出てくるかもしれないね」
「たとえば、悪いことに使おうとして? わたしがテンジモノで、その知識をバッカスの悪事に使ったって言ってる?」
アダムは思ってもみなかったことを言われて驚いたように、目を大きくしている。
わたしはみんなから何かを言われるのが嫌で、先に言った。
「わたしはバッカスで何か悪いことをしたかもしれない。でもこれは本当。何をしたか覚えてない」
せめて嘘をついているわけじゃないと、言い訳のように言い募った。
「なんでそんなふうに思ったんだい?」
ロサに優しく尋ねられる。彼は続けた。
「だって、君は魔力も少ないんだよね?」
「今はないって看守が言ってた。
〝アリの巣〟を崩落させた原因で怒っているなら、全員を捕まえるか、わたしたちを殺そうとしたはずだと思う。でも、どっちかというと、殺そうとしたんじゃなくて捕えようとしていた気がする」
だって矢は射られたけど、威嚇だった。
「捕えて売るつもりなのかもしれないけど……。それに全員じゃなくて、わたしを狙ってた。ターゲットなのだとしたら、わたしになんらかの利用価値があるってことでしょ?
親に力があってわたしを人質にしたいからかとも思ったけど、捨てられたんだから、その可能性は低い。だとしたら、わたし自身に何かしら力があるから。必要とされることがあるから。
わたしは何か悪いことをしてたのかもしれない。今はできなくなっているけど、またそれをできるって思われているのかもしれない。
……わたしがピンポイントに狙われて、すぐにみんなとわたしを引き離したってことは、何か思いついているんでしょ?」
顔を合わせている。
「話の腰を折って悪いけど、ぴんぽいんと、とは?」
「ええと……狭まらせた狙い目? って感じ」
3人は鷹揚に頷いたけれど、ガーシは首を傾げている。
「……誤解させたようだね。君が悪いことをしたとは思ってないし、悪いことはしていないはずだ」
「なぜわかるの? わたし、記憶がないんだよ? 何したかわからない」
「……やったかどうかもわからないことで胸を痛める人は、何があったとしても、悪いことに手を染めない」
目の奥がじんとした。
「君は実は繊細なんだね。いつもふてぶてしかったり、興味のないフリをする態度で、何重にも自分を包んで守っていたんだ」
自分を守っていた? ふてぶてしい態度や、興味のないフリで?
少しだけ思い当たる。
弱い自分を見せるのは嫌だ。それで弱いと指を突きつけられてしまったら、もう何もできなくなってしまうから。
〝アリの巣〟で何か思うことがあっても、何か思ったことをわからないように繕っていた。
興味もないし動じない自分を作り上げていた。
それがいいとか悪いとかはわからないけど、今のロサの言葉でわたしは自分を守ろうとしていたことを知った。




