第808話 笑うことを忘れた少女⑦頬擦り
「お前ら、待ちやがれ!」
わたしは振り返って水玉をお見舞いした。
壁に当たり割れた水玉は、ピンポン玉からとは思えない量の水を流した。
え、こんな蓄えられるの? 玉は普通、魔力を使って操作されるので、わたしは見たことしかなく、どんなものなのかよくわかってなかった。だから壁に投げたんだけど。
でも、これ、すっごい量。
ドバーっと音をたて、水が吹き出している。そして水は下に流れていく。
「お、お前、これ最大の……」
看守が呟く。
「おい、逃げるぞ」
え?
「崩壊する」
看守たちが言い合い、マジ勢いでわたしたちを追い越し、上へと走っていった。わたしたちが追いつけない速さだ。
「ど、どういうこと?」
「本当にまずい展開ってことじゃないかな?」
エダが控えめに言った。
「とにかく外に!」
ジンがまとめて、わたしたちは走り出した。
マトンが景気良く転ぶ。
え? み、水がこんなところまで。嘘、下を埋め尽くしたってこと?
『乗れ!』
え?
頭に声が響いた気がした。
もふもふ?
真っ白のもふもふが大きくなっていて、森の色の瞳で、わたしを見ていた。
「みんな、もふもふに乗って!」
わたしが乗り込み、ミミも後ろに乗った。エダとジンがマトンをもふもふに乗っけ、自分たちも乗り込んだ。
もふもふが駆け出す。狭い穴の通路を上へ上へと走っていく。
明るい!
もふもふは外へと飛び出した。
看守たちが勢揃いしている。
武器を持っている看守もいたけれど、もふもふはその人の壁を飛び越える。
「「「うわーーーーーー」」」
と叫んだのは、もふもふに乗っていたわたしたちだ。
もふもふはそのまますごい勢いで山に駆け込んだ。
反対の森方向の道から幌馬車がやってくるのが見えた。奴隷商人か?
もふもふが足を止めたと思ったら、そこは馬が休んでいる川のところだった。
もふもふが足を折って低くなってくれたので、わたしたちはふらつきながら、地へと降りた。
「もふもふ、ありがとう!」
わたしは近寄って、もふもふの首根っこにギュッとした。
やっぱり日向の匂いがする。安心する匂い。
もふもふはわたしの顔を舐めた。
さっきはもふもふと通じ合えたのか、声が聞こえたような気がした。
「もっと遠くに行こう」
ジンの提案にわたしたちは頷く。
馬には乗るのは諦め、馬を引いて山道を歩いた。
追ってくるかもしれないと思って何度も振り返ったけれど、山は静かだった。
薄暗くなってきて、どうしようと思っていると、もふもふが山道をそれ、こっちにこいというように鳴いた。
ついていくと、洞窟の入り口のように穴があいているところがあった。
奥まで入る勇気はないけれど、入り口のところなら風も遮れるからありがたい。
ここで休むことにしようとわたしたちは決める。
追手がきたら消さないとだけど、焚き火をたいた。
小さなお鍋で水を沸かす。
お腹が鳴った。
もふもふがわたしたちの前に何かを落とした。
え? 葉っぱに包まれたもので、人の手で包まれたものっぽい。
「くれるの?」
もふもふは頷く。
包みを開いてみると。
「お肉だ」
わたしが呟くと、みんな身を乗り出した。
「分厚い!」
「こんなのみたことない」
最下層のわたしたちの食事はいつも固いパンのかけらだった。
たまにチーズとか干し肉がつく。
それとお湯に野菜の端が浮かんだスープだ。
食事も階層によって違うから、それで上を目指させるために、そんなことをしているらしかった。魔力のないわたしたちは永遠に最下層だったろうけどね。
お肉の真ん中に串を刺してそれを薪に掲げた。
串は枝をナイフで削ったもの。マトンに作ってもらった。
鍋が入ってたからと荷物の中を探すと、ちゃんと塩が入っていた。
至れり尽せり。パンもちょっとだけとなったが分配する。肉汁が垂れてきたところで塩を振った。
もふもふには塩を振ってないやつを葉っぱの上に置いたのだが、塩をかけていいと言うような素振りをしたので、ちょっとだけかけた。
わたしたちも肉にかぶりついた。
おおおおお、おいしい。
肉って、おいしいな。なんか力が湧いてくる気がする。
噛み締めながら、ちょっと炙ったパンを口の中に放り込む。
一緒に食べるとさらにおいしい。
夜はミミと一緒にもふもふに抱きついて眠った。
追手は来なかった。
追手ではなかったみたいだけど、人がきた時はもふもふが教えてくれたので、わたしたちは道をそれて草木の間にしゃがんだ。そこで息を潜めてじっとして、人が通り過ぎるのを待った。馬も本当にお利口さんで、いうことを聞いてくれた。
もふもふの持っているリュックが不思議だ。時々話し声が聞こえたり、動いたりするように見えた。
じっともふもふをみると、もふもふは目を逸らす。
「中、見せてくれない?」
ある夜、もふもふに言ってみると、もふもふは伏せをした。
リュックに手を伸ばしても唸ったりしない。
とば口を開けてみると、中には小さなぬいぐるみが5つも入っていた。
か、可愛い! 可愛いすぎる!
ツルツルの生地の真っ青な怪獣みたいなドラゴン。
水色に近い青のペンギン。ざらっとした手触り。
それからアリクイのぬいぐるみが3つも!
ひとつだけ少し大きい。黒い部分が大きいのだけさらに濃い。
短めの毛だけれど、これもまたこれで手触りがいい。
わたしは全部一通り撫でてから、こっそりあたりを窺った。
よし、誰もみてない。
頬擦りしちゃう。
可愛い、可愛い、可愛い、可愛い!
なんて可愛いぬいぐるみたちなんだ。
そしてこれをいつも持っているもふもふも、壮絶に可愛い!
手触りも最高!
グリグリとぬいぐるみのお腹に顔に顔を擦りつける。
なんだろう、癒される……。
あ、まただ。なんで涙が出るんだろう?
わたしはその夜、もふもふから借りたぬいぐるみたちを抱き込んで眠ったようだ。もふもふとぬいぐるみにまみれて起きた、久しぶりにいい目覚めだった。というか久しぶりにちゃんと寝た感があった。
もふもふにありがとうを言って、みんなをリュックの中に入れて返した。
でも、なんで、もふもふはぬいぐるみを持っているんだろう?
途中で見えた通り、山から降りて2時間ぐらいのところに街があった。子供5人が連れ立っては目立つかもしれない。もしアリの巣から連絡が入っていて捕らえられるのも困る。それで、わたしとエダが偵察に行くことにした。
馬はジンたちに任せた。もふもふはわたしについてきた。




