第804話 笑うことを忘れた少女③脱出
それから奴隷商人が来るという話が出るまで、わたしたちはいつもの無気力か怯えたフリをして仕事を続けた。
ゴミの中から使えそうなものは、きれいにしてとっておくようにした。
外でも着のみ着のままではいられない。
食べるものだって確保しなくては。お金もいる。
わかっていても、うまいこと集められはしなかった。
外へのルートは覚える必要はない。
出入口はひとつ。食料の搬入とゴミ出しのために毎日行っているからだ。
扉は日中、閉ざされている。大きな錠前の鍵は上層部の看守が持っている。
扉が開くのは朝の食料の搬入の時と、幹部が出かけたりする時だけだ。
搬入の手伝いをしているけれど、扉より外に出るのは、ゴミを外のゴミ置き場に置きに行く時だけだ。搬入は大人たちが扉の内側に運んできたものを食糧庫に入れる。搬入の時、それより先の扉寄りにいると、目立つことになる。
ゴミを出しには出るけれど、その時は見張られている。
手伝いをするフリをしてそのまま外へというのは難しいだろう。いなくなったらすぐにバレて、探されてアウトだ。
とうとうその日がやってきた。
わたしたちが外に出るには、最初からその場にいる者ではない=手伝い要員ではないことが最低条件だ。そして出入口に人の目が向かないようにする必要がある。
そこでハプニングを起こすため、前日に発注品の桁をひとつ足しておいた。それもナマモノ。50個が500個だ。どちらの発注ミスだとしても、どちらも簡単には認めたくないだろう。
アリの巣側は金額だって恐ろしい額になるから、払いたくないし、商隊側もナマモノの返品、それも450個は痛すぎる。
取引自体に待ったがかかり、ゴタゴタをなすりつけあうだろう。その時がチャンスだ。
人が多いほど、言い合いで勝てると思っている巣の人たち。きっと喜び勇んで商隊の人たちに突っかかるはず。その隙に、扉の裏から外のゴミ置き場に隠れる。あそこにしゃがみ込んで、人がいなくなるのを待つ。それがわたしたちの立てた計画だ。
奴隷商人が来る前日の晩ご飯は、少しばかり豪華だった。パンにチーズがついてきた。わたしはそれを食べずにポケットの中にしまった。
明かりが消され、看守が出ていけば、朝まで誰もこない。
牢のような檻の鍵だって閉められたことはない。
でもわたしたちは入れと言われたら檻に入るし、出ろと言われるまで出たりしない。
檻から出ても行くところがないからだ。
でももっとひどい境遇になるのがわかっているなら、逃げ出すのは今しかない。
わたしたちは、暗闇の中で隠していた荷物を、大きめの布に風呂敷包みにして背負った。
鉄格子の扉を動かせばキーッと錆びた音が響く。
ジン、わたし、ミミ、エダ、シンガリはお調子者のマトンの順で歩く。
わたしたちは一歩ずつ、息を潜めて進んだ。
この近辺の穴には、わたしたちしかいない最下層。2階層上に上がれば通路には薄暗い明かりが灯されている。
ここは下っ端の人たちが暮らしているエリアだ。この階層の人たちも魔力が低く、そして摂取されまくっているのでいつも元気はない。
ここの人たちも眠るのは早いので静かだった。
次の階層は通路に夜でも普通の明かりが灯っている。
わたしたちは移動して、人のいない穴にこもる。ここで1時間ほど時間を潰そう。上に行くほど、夜遅くまで起きているから。
誰もちゃんと外に出たことがなかった。正確にはここに来る前、そして来た時は外からなのだが。わたしの場合は以前の記憶はないし、袋に入れられて運ばれてきたので、独房から独房の移動という認識しかない。どの大陸のどこにアリの巣があるのか、わたしたちは知らなかった。そこは不安だ。
といっても、どこだったらどう暮らせるとかノウハウがあるわけではないから、結局どこだったとしても同じではあるんだけど。
明け方が近くなり人が起きだしたのか、ざわざわしてきた。上の階層へと移動した。
マトンが後ろを気にする。気にしすぎてる。
マトンが手洗いに行くと言った。この階の共同トイレに。
わたしは送り出してから、ちょっと考えて、隣の部屋にみんなを移動させた。
みんな何で?という顔をしたけれど、したがってくれた。
少しするとバタバタと足音が聞こえた。
隣の穴に入っていって、いませんという確認しあう声が聞こえる。
わたしは息をのんだミミの口を押さえた。
「あんのガキ、嘘いいやがって!」
ジンとエダの瞳が暗くなる。何が起こったのか理解したんだろう。
大人たちは来た道を戻っていく。足音が遠ざかっていく。
ここにいなかったものの、最下層を見に行き、わたしたちがいないことがわかれば、出入口は塞がれる。
あ。わたしは隣の隣の部屋へと移動した。
朝の食材配達の時、代わりに出ていくものがある。それがゴミだ。
ずた袋のゴミの中に入るようにミミに指示する。何で?と小さな声。涙目だ。
「動くな。わたしたちはゴミだ。ゴミになって外に出るんだ。わたしが大丈夫と言うまで動くな。そして声をあげるな」
ジンとエダは、お互いにゴミを装う手助けをした。
わたしは、ゴミの箱の中に入り込んだ。
臭くて暑くて最悪だが、ここにいて売られるよりはマシなはず。
発注量のことですったもんだあったみたいで、ずいぶん時間が経った。だから隠れる余裕があったんだと思う。
目論見通りわたしたちは外のゴミ置き場に出された。
ざわざわしている。文句が凄い。
わたしたちがいなかったから、もうちょっと上のランクの人が、手伝い要員に駆り出されたようだ。文句を言いながら、食糧庫に食材を運び込み、ゴミは外に出すことも言いつけられたようだ。
口を手で押さえて声を出さないよう気をつけた。
落とされたらアウトだったと思う。
わたしはまだ箱だからいいけど、袋の3人は衝撃がもっと直に伝わったはずだから、悪かったなと思う。でもわたしぐらいのサイズじゃないと、箱には入らないと思ったのだ。
運んだ人たちは、ゴミがこんなに重いとは思わなかったと悪態をついている。普段やってないから、いつもよりかなり重くてもおかしいと思わなかったみたい。助かった。
辺りが静かになり少ししてから、わたしはそっと箱の蓋を開ける。大丈夫、誰もいない。
箱から出て、小さな声で3人を呼んだ。声をあげ動き出した袋を開けていく。3人とも無事だった。
それにしてもお互いすごい匂い。臭くて嫌になる。
ジンに引っ張られ、わたしたちは4人かたまって身を低くした。
「まだ見つからないのか?」
「ああ。外には出られないから、どっかの穴にいるんだろう。総出で探すって」
新たなゴミを置きに来たようだ。
袋をゴミ置き場に投げ入れて、ふたりは戻っていった。
周りには建物などはなかった。
少し先に森のようなものが見え、そこまで道が続いている。
反対側は乾いた山に続くようだ。山と森。子供が選びそうなのは森だから、反対の山へと行きたい。けれど、水も食べ物も持っていない子供4人で、山を超えることが可能だろうか?
ここは森に行くしかないか。
「おい」
背中に声がかかり、わたしたちはつかまりあって息をのんだ。
「無事、脱出したか。やるじゃん」
賭けを持ちかけてきた少年だった。
わたしたちは少年を見上げる。
少年の両肩にそれぞれ鳥とネズミがいたので、マジマジと見てしまった。
動物使い?
「賭けの報酬だ。馬をやる2頭だ。これで遠くに行け」
少年はわたしを馬にのせた。その後ろにジンが乗るよう指示する。
もう一頭の馬にはミミとエダを乗せた。
「この馬たちは頭がいい。ただ落ちないようにしがみつけ、行け」
わたしたちに何も言う暇を与えず、馬の尻を叩いたのではないかと思う。
パシンと小気味のいい音がすると、馬が走り出す。
ジンがわたしに覆いかぶさるようにして馬に伏せった。
馬は山道を登って行く。ジンが抱え込んでくれてなかったら、わたしは落ちたと思う。長い間走っていて、中腹辺りの川のところで馬は走るのをやめた。
わたしたちは馬から転げるように降りた。足がガクガクしている。
しばらく誰も口を聞けず座り込んだ。みんな馬に乗ったのも初体験だった。
よく誰も落ちなかったものだ。
馬は草を食んでいる。わたしたちは川で体を洗った。服ごと入って服も一緒に洗う。暑い日だったことに感謝だ。
馬は鞍の後ろに荷物をぶら下げていた。
そこには食べ物と水、それから5人分の着替え、そして小銭が入っていた。
余った5つ目の服を見て、急に胸が重たくなった。




