第800話 閉じられなかったゲーム (前編)
手を強く引かれた。
いたた!
アスファルトに転がって、その前を派手なクラクションを鳴らしながら車が通過していく。
ハッとして見上げれば、わたしが渡ろうとしていた横断歩道は赤信号!
わたしの手を引っ張ってくれた人は、起き上がらせわたしを歩道まで導いたところで顔をあげた。
「あぶねーだろ、死ぬ気だったのか?」
わたしは高速に首を横に振った。
彼がわたしを引っ張ってくれたおかげで、車にひかれなくてすんだ。
今更ながら心臓がバクバクしてくる。
わたしはうるさい心臓を押さえながら頭を下げる。
「考え事をしていて。すみません、ありがとうございました」
顔をあげると、彼はどこかほっとした顔をしていた。
色白で少し上を向いた鼻。穏やかな目元に、えくぼ。
あれ、どこかで。
「お、お前!」
「あ、あなた!」
わたしたちは同時に指を相手に突き立てていた。
「舞中だよな?」
「そう、舞中!」
ええとゲーム好きの……教室の座っていた席や、発言や何やら思い出せるのに、名前だけ思い出せない。同じ中学の同級生だ。
「地元じゃなく、こんなとこで同中と会うなんて」
わたしも全く同じ気持ちだった。
遠巻きにわたしたちを気にしていた歩行者たちが、歩き出していく。
「舞中の子と連絡取ってる?」
「学生の時はとってたけど、今はな。そっちは?」
「わたしも年始のやりとりぐらい」
「だよなー。今、何してんの? あ、教師だっけ?」
どこかでわたしの就職先を聞いたのだろう。
「あー、2年で……辞めて、今はフリースクールのボランティア職員やってる」
「へーー。どうやって食ってってんの? あ、悪りぃ。俺、すぐ思ったこと口にしちゃうんだよな」
どこかの飲み会で、舞中の子のその後の話を聞いたことがある。高校の時に、女の子みたいと囃し立てられ、彼はあまり笑わなくなったと聞いた。
笑うとちゃんとえくぼができて、そこは昔のままで安心する。
「別に大丈夫だよ。元教育現場ライターって肩書き、けっこう仕事が来るんだよね。取材して記事書いて。出版社さんと繋がりができてからはコンスタントに仕事もらえたりして、暮らせてる感じかな。そっちは?」
「ゲーム会社、社長よ!」
「あ、やっぱり作ったんだ! ゲーム好きだったもんね。社長か、すごいね」
「つっても、あと数週間で倒産するんだけどね」
「え?」
彼は自嘲気味に笑う。
「まぁ、いろいろあるわけよ。お前は? 赤信号に気づかないほどの考え事ってなんだよ? 言いたくなければいいけど」
「フリースクールの子を見た気がしたの。この頃休んでて。それで追いかけて」
彼はわたしを見て、違う方を見てからまたわたしに視線を戻す。
「その場にくる以外は放っておいた方がいいんじゃないか? 追い詰められたように感じるかもしれないぞ?」
ああ、確かに……。
ふたりともこの後に予定があるわけではなく、横断歩道のところで話すのもなんなので、近くの公園まで場所を移した。この辺りにはファミレス、喫茶店のようなお茶を飲めるようなところはない。だだっ広いのがウリの公園のベンチに移動することにした。
途中にあった水飲み場で、擦りむいた手と脹脛のミミズ腫れを洗った。ハンカチで拭いたときまた痛んだけど、あとは自然乾燥だ。さっきも謝られた。あまり長くやっていると、また気にさせてしまう。
せめても助けてもらったお礼と言って、自動販売機で好きな飲み物を聞き、奢る。
名ばかりの秋の昼下がりの公園は日差しが強く、他に利用者はいなかった。
「さっき言ったことだけど、追い詰めたのは、俺の失敗でさ」
彼は人差し指で、自分の頬をかいた。
「え?」
「面接の時も普通にしゃべってたし、普段の業務でもなんも文句とかなかったからうまくやれてんだと思ってたんだよなー」
彼がいうには、10歳以上、歳の離れた新人ちゃん、昔から彼の作り出すゲームが大好きで志願してきたという。プログラマーとしてもアイデアもいいものを出すし、彼女はどんどん出世した。彼の会社では年や勤める年数に関係なく、キャリアアップできるのも謳い文句だったからだ。
でもそれが彼女には負担になっていた。もともと人前で話すのが好きではなく、毎週の進捗を伝え合う会議も彼女にはストレスだった。でも彼女はそんな素振りを少しも見せることもなく、そして誰かに伝えることもなかった。
ある日、チーフリーダーとして彼女が動かしていたゲームの展開に困った彼女は、タブーに手を出す。昔あったお蔵入りとなったゲームを参考にしたのだ。ゲームの全てではなく、一部だし、方式を参考にしただけだ。そこが発覚しにくい要因にもなった。
参考にするは普通にあることだが、お蔵入りしたものというところがネックになる。何かしらの問題があり、そういう結果になったのだから。
プロモーションもできて、あとは発表を待つばかりとなった時に、共同出資社の人から、この展開に見覚えがあると言われ、社内会議となった。
彼女が手掛けていたのは、女性をターゲットにした、女性が主人公となる恋愛シミュレーションゲーム。中世ヨーロッパに魔物や魔法が存在したような世界観。
主人公は孤児として生まれる。孤児院で慰問にきていた優しい夫人と仲良くなり、夫人は亡くなってしまうが、いずれその夫に引き取られ男爵家の養子となる。
学園にも通い、とても楽しく過ごすうちに、彼女は世界を救うといわれる〝聖女〟となる。学園に通う見目麗しく文武両道の攻略対象者と恋をし、世界の危機をも救うスーパーガールのシンデレラストーリーだそうだ。
シミュレーションゲームなので、主人公がどの攻略者と仲良くなりたいかにより、ストーリーは変わってくる。このゲームではその変わってくる部分を、攻略対象者の友達にシワを寄せるという方法で、攻略対象者の性格やら生い立ちなど変える必要なく進行させた。
つまり世界を救うには攻略者Bの魔法属性が必要だが、主人公が攻略者Aを選んだ時にその魔法属性をどうするかということになる。そんな時みんなの友人であるお便利キャラが、実は家庭の事情が複雑で知られてはいなかったが、この力を持っていると言った具合に。
いくつかの分岐例を聞かせてもらったけど、そのしわ寄せ具合で、主人公ではなく、そのしわ寄せされてる友人一人で世界救えるんじゃない?と思ってしまったのは内緒だ。
そして、その友人にひっかぶせる方法、それがまさしく彼女が参考にした方式であった。
その参考にされたゲームはというと、アップデート方式で高めていくタイプの女性主人公の恋愛シミュレーションゲームだったそうだが、そのしわ寄せ具合がすごくて、〝やりすぎ〟〝どのルートにいっても同じにしか感じられない〟などの評価がくだされ、一度のアップデートもしないまま消えることになったそうだ。
方式を参考にしたといっても、それはお蔵入りになるようなつまらないと烙印を押されたもの。そこから引っ張ったことは、手段だとしても称賛されることではない。過去にお蔵入りになった方式をよしとしたこと、それを認めた会社の責任も問われた。
共同出資者は潮が引くように消えていき、その恋愛シミュレーションゲームは未発売のまま消えることとなった。
ゲームの発売立ち消えはよくある話だが、一度出資者が離れてしまうとその信用を取り戻すのは難しい。
近いうちに発売予定だった2つのゲームも出資者を失い、彼のゲーム会社からは出すことが難しくなってしまった。
法的手続きを進めて、会社を畳むところだそうだ。




