第745話 もふさまの悪夢④やがて裏切る少女
ノックスさまが何かを唱えると、次の瞬間、わたしはいつもの川原にいた。
いつもの川原?
急に体がギシギシと痛んだ。
わたしは自分を抱きしめる。
精神体になっただろうに、なんで痛いんだろう?
頭のどこかで、そんなことを冷静に考えていた。
頭に響く声。
スキル 呪詛回避発動ーー 変化の尻尾切りが施行されました。
え、ええ? 呪い? なんでぇ?
頭が痛い。これ、変化する!
目を瞑っても視界が赤い。体がビクビクっと痙攣した。
精神体で中に入ったはずなのに、トカゲになっちゃった。
な、な、なんで〜!
いや、人型でも魔法は使えなかったはずだから、人型でもトカゲでもあまり変わりはないか。
服が落ちてない。なんでだろう? 精神体だから? うー、そのくせ変化したの?
よくわからないが、そうなってしまったのだから、仕方ない。
ああ、でもこの姿での移動はあまり得意でないのに。
地べたを地道にペタペタと歩いていく。
大きいのや小さいの、とりどりの石があってデコボコしているから、大変移動しにくい。
あ、桃色の髪の娘だ。
自然の中で柔らかい色合いは目立たないはずなのに、光を振りまいているかのように、そこだけ輝いている気がする。
まだ7、8歳だろうけど、トカゲからすると大きすぎて、下からだとよく見えない。わたしは川辺に生えたひょろ長い木に登った。
小さいけど整った顔をしている。ピンクの髪で、整っていて可愛い顔立ちだからか、少しだけアイリス嬢と似ている気がした。
少女は身体中に傷痕があった。血が出ているところを、川の水で洗い流している。滲みるらしく、時々顔を顰める。
彼女が、もふさまの記憶を封印することになった原因の少女だろう。
現実が悪夢というキーワードで、もふさまはこの夢を見ているのだろうか?
「捨てられっ子、また転んだのか?」
「何もできないから、捨てられるんだ!」
土手上にあたる道を、子供たちが少女を囃し立てながら走っていく。
横に、もふさまがいた。
オーラが溢れている。大型犬サイズ?だけど、ものすごく怖い。
この川原にあまり動物がいないのが理解できた。
もふさまがジロリとこちらを見た。その迫力に驚いて、わたしはトカゲでありながら地面に落ちた。背中から落ちて、けっこう痛い。何で精神体なのに痛みがあるのよ。
ジタバタして仰向けからひっくり返ろうとするが、背中の痛みもあってうまくいかない。
ひっ。
もふさまがこちらに向かって手を伸ばしてきたのだ。
ころんとひっくり返される。
おお、動けるようにしてくれたのか。
「ありがとう」
お礼を言うと、もふさまは何も言わずに川に視線を戻した。
「……あの子、怪我をしているね」
そう話しかければ、もふさまは息をついた。
それだけの動作で、ちょっとビビる。トカゲの体が。
『ガキどもに、いじめられているようだ』
少女は歯を食いしばっている。泣くのを堪えているんだろう。
もふさまがのそっと、背中の方に首をやった。あ、収納から何か出すのか。
もふさまは果物をいくつか、少女の靴の横に置く。
その様子を見ていると、わたしにもグレーンの一粒を分けてくれた。
「あ、ありがとう」
もふさまは伏せをして、少女を見守っている。
わたしはそんなふたりを見ながら、グレーンにかぶりついた。
不思議だ。精神体なのに、食べられる。甘くて美味しい。
一粒が口よりずっと大きいんだもんな。トカゲになった時の楽しみは食事かもしれない。大きな大好物を、口いっぱいに頬張って食べられる幸せったらないよね。
あー、お腹いっぱい。ヤバイ、お腹が膨れあがっちゃった。
ぽこりと見事に丸呑みでもしたように膨らんだ。
おへっ?
もふさまの顔が近づいてきて、固まっていると、顔をベロンと舐められた。
グレーンまみれになった顔を、きれいにしてくれたみたいだ。
『お前は赤子だろう? 仲間とはぐれたのか?』
「赤子じゃない。……仲間は別の場所にいる」
『そういうのを、はぐれたというんだ』
違う!と否定しようと思ったけど、あれ、かえって都合いいかとお願いしてみることにする。
「はぐれたわけじゃないんだけど、あのさー、一緒にいてもいい?」
『……なぜ我と一緒にいたいのだ?』
「友達になりたくて……」
『友達? 我とお前が?』
「うん」
もふさまは思案顔だ。
『弱き者よ。我といて恐怖しかないだろう? それなのに我といたいなどと思うのはおかしなことだが……そうか、まだ自分で餌が取れぬのだな? 相、わかった。我が餌を取れるようにしてやろう』
え。それはなんか違うんだけど。わたしは慌てて言った。
「あのベジタリアンなので!」
『べじたりあんとは何ぞ?』
「肉や虫は食べられませんので、野菜や果物のありかを教えていただければ」
『何? 肉を食わないのか? だからお前はそんな痩せ細って小さいのだな。選り好みをして、仲間から追い出されたのだろう?』
ああ、もふさまの中で、わたしが残念なトカゲになっていってる……。
「虫を食べないのは正当な主張で!」
『ああ、わかった。あ、気づかれる、行くぞ』
え?
わたしはもふさまの尻尾に飛びついた。
もふさまは空を駆け上がった。
これ落ちたら、さっきの痛いどころじゃ、すまないんじゃない?
わたしがビクビクしていると、もふさまが器用にわたしを咥えて、自分の背中に置いてくれた。
ほっとひと息。
「ありがとう、もふさま」
『もふさま?』
「あ。もふもふだから、もふさま」
もふさまは首を器用に曲げて、背中のわたしを数秒見た。
『まぁ、よかろう』
と、前を向いた。
真っ白の長い毛にしっかり掴まっていたけれど、こんなつかまり方で飛ばされていないのは、もふさまが魔法でガードしてくれているんだろうなと思った。
もふさまは友達でもないトカゲにも優しかった。
聖域で休んだり、果物を採って食べたり、おしゃべりしたり。
時々、川に行き、桃色髪の子を見守った。
もふさまの夢の中で、少女はどんどん成長した。
最初、少女は話し相手を欲していた。
もふさまの言葉がわかり、話せることをとても喜んだ。
もふさまのお土産はどんどんグレードアップしていく。
少女と話すときは、それが〝記憶〟だからなのか、トカゲのわたしは忘れさられる。
もふさまの背中にずっといるんだけどね。
近くで見ると、可愛いらしい顔立ちをしていると、よくわかった。




