第741話 悪夢の落とし物
え?
名前を呼ばれた気がした。
もふさま?
『リディア、我はここにいる!』
光に包まれて、わたしの目の前に、もふさまが降り立つ。
本物?
わたしは恐る恐る手を伸ばし、もふさまに触れた。
あったかい、気がした。本物だ。本物のもふさまだ。
「もふさま、無事だったのね」
よかった!
「貴様、どうやってここに入った?」
少女が怒りの声を上げる。
『我は聖獣。リディアの友だ。リディアが我を望めば、いつでも共にある』
もふさま!
「いかに聖獣といえども、ここは私の内なるフィールド。招き入れていない者など、取るに値しない」
もふさまが唸る。
「お前など呼んでいない」
少女が片手をあげた。
もふさまが苦しそうに唸る。
「もふさま!」
もふさまに抱きつく。
「やめて! もふさまを攻撃しないで!」
ローレライは手を下ろした。
こんな場面でも、わたしには攻撃はしないのね。そこに何か意味がある?
「わたしの魔力が気にいったの?」
ハウスさんにも、海の主人さまにも、聖樹さまにも心地いいと言われたことがある。もふもふ軍団にもだ。
「そうだ。お前が魔力をこれからも供給するというなら、こっちの聖獣は助けてやろう」
『リディア、お前の体は元の場所で眠ったような状態だ。我はこやつの中に閉じ込められた、お前の魂を助けるために中に入ってきた。我の魂を無理矢理、介入させているだけ。ゆえに、この魔物を内側から倒すことはできない。お前はなんとかして外に』
もふさまがグフっと唸って、苦しそうに地面に頭をつける。
わたしはキッとローレライを睨みつけた。
ありがとう、もふさま、そういうことか。
ここはまだローレライの内側なのね、わたしも精神体なんだ。
「わかったわ。好きなだけ、わたしの魔力をあげる。だからもふさまを攻撃しないで」
『リディア、だめだ、魔力がなくなれば、人族は滅してしまう』
「それでも、わたしのために、もふさまが傷つくよりマシよ」
にやっとローレライは笑った。
「ミニーの顔で、そんな嫌な笑い方をしないで」
魔物は素直に姿を変える。今度はピドリナを模している。
「またわたしの記憶から人の姿を形どっているのね? ねぇ、あなたの本当の姿を見せて」
「そんなことをする必要はない」
さっきからこっそりこのフィールドに対して魔法を使っているのだけれど、発動しなかった。ローレライの言うとおり、ここはローレライの内側のフィールドで、わたしに力はないのだろう。だから、あちらも焦って攻撃などしないし、わたしたちを自由にさせている。でも。
「あなた、わたしの魔力が欲しいんでしょ? でも死んでしまうと魔力は得られないんじゃない?」
それが推測したことだ。ローレライは屍からは養分を取れないのだ。だから生かしたまま夢を見させて、閉じ込め、魔力を奪う。それが彼女の戦い方。
「だったら、なんだというんだ?」
わたしは収納ポケットからナイフを呼び出して、それを自分の首につきつけた。精神体だから思ったこと何でも具現化すると思ったけど、そう都合よくはいかなかった。では、と、試しに収納ポケットを思い浮かべたら、物を出すことができた。意識に根付いていることだからかな?
「な、何をしている?」
「あなたは本来の姿を見せるだけでいいの。そうしたらわたしの魔力を好きなだけあげる。でも見せてくれないのなら、わたしは命を断つ」
命を断つっていうのは、ポーズだけど。
ローレライは息を呑んだ。もふさまもだ。
「なぜ、私の姿を見たいのだ?」
「戦いって命をかけるのよ? 全てを曝け出すってことだわ。全力で、相手と対峙すること。敬意を持って戦うのが道理だと思う。わたしの魔力が欲しいなら、あなたも曝け出すべきよ。わたしの記憶ばかりをさらってないで」
彼女はピドリナに似た〝風貌〟を模したまま、固まっている。
「見せれば魔力が手に入り、見せなければ、わたしは養分となり得ないだけ。あなたが選んでいいわ」
彼女は迷っている。
自分でやっていながら、首へと向けたナイフは気持ちのいいものではないけれど、この魔物が純真であるからこその作戦だと、こそっと思う。
魔使いさんが空っぽダンジョンをミラーダンジョンにした時から、人の出入りはなかっただろう。だから、外部からの魔力を得るのは久しぶり。それに人というものを〝記憶〟の中でしか知らない。
そりゃそうだ。敵が部屋にやってきたら、歌声で眠らせ、自分の中のフィールドに呼び込んだのだろうから。そして甘い夢を見させて魔力を奪う。甘い夢、その記憶の中の〝人〟しか知らないのだ。多面性のある気持ちが揺れ動くのが〝人〟と分かっていないのだ。
ローレライの〝物語〟を知る。これがこの階をクリアする鍵のはず。
だから揺すぶる。彼女を知るために。
「お前のために偽った姿でいてやるのだ」
「わたしのため?」
「私の姿は醜悪だ」
そのセリフには苦い思いが込められていた。
わたしは思い出した。この階はアンデッドたちが巣食う階。
ローレライも、アンデッドだったんだ。地に還れなかった哀しい魔物。
還れない現実……。
「あなたが夢に閉じ込めるのは、それが幸せだと思うからなのね。あなたにとって現実は、閉じ込められるよりもっと辛いことなのね」
これがきっと、ローレライのストーリーだ。
「だ、黙れ!」
ピドリナの容姿の彼女の、白目の部分が真っ赤に染まり、目自体も大きくなっていく。
料理を作るのに適した滑らかな手が、緑色のボコボコの皮膚に。
「黙れ、黙れ! お前はただ魔力を寄こすだけでいいんだ!」
怒りを孕んだ大きな声。
下半身が魚。やっぱり人魚だったんだ、生きている時は。
所々鱗が剥がれ、中の肉は腐り、そして骨まで見えているところもある。
顔も腐ってずれ落ちているところもある。
固まっていたり、ごそっと抜け落ちている、長い深緑色の髪。
所々にあるのは真珠の飾りだった欠片?
生きている時は、とても美しく、そして装いも綺麗にしていたんじゃないかと思う。装飾品が残骸となっているのも、余計に哀しかった。
人魚のアンデッド。
「本当の姿を見せてくれたから、わたしの魔力を好きなだけあげるわ」
『リディア!』
「大丈夫よ、もふさま。わたしの魔力はいっぱいあるから」
魔力の放出って難しい。
あ。そうだ、音と共に魔力を放出しよう。
わたしは歌う。歌詞は覚えてないから、メロディーを。
このフィールドを作った日本人、いっぱい要素を詰め込んだね。
ローレライというこの曲も。本人に歌わせるなんて。
皮肉を効かせたのかしら?
「なぜ、お前がその歌を……」
魔法?
キラキラとアンデッドローレライが光を纏った。
あ、錆びたような色合いの体が、色鮮やかになっていく。
落ち窪んだところが盛り上がってきて、滑らかな肌になる。
鱗が綺麗に塞がって、緑色の長い髪。そこには壮絶に美しい人魚がいた。
額にも髪にも、首にも真珠と宝石がキラキラと輝く。
いつの間にか、目の前には湖が広がっていて、人魚は呼ばれたように後ろを振り返る。そして水の中に飛び込み、驚きの早さで湖を泳ぎまくる。
こちらのことなんか忘れてしまったかのようだ。
人魚を見遣りながら、もふさまが言った。
『リディアよ、どうして無茶をした?』
「無茶なんかしてないよ。ただ現実が悪夢だなんて、それは辛いだろうと思ったから、わたしの魔力で少しでもましになればいいと思っただけ」
もふさまはわたしから湖に視線を戻した。
ローレライにはやっぱりストーリーが潜んでいた。そりゃ、彼女が満たされれば、この階はクリアとなるはずって打算もあったけど。彼女が辛くなくなればいいのにと思ったのも本当だ。
わたしの手の中にドロップ品が現れた。
拾ったとか、そんなんじゃない。本当にわたしの手の中に飛び込んできたのだ。
小さな、小さな箱には名前があった〝hope〟。
わたしは思わず笑ってしまった。この階を作った人、ごちゃ混ぜにしすぎ! パンドラの箱まで混ざってるよ。
光が差し込んできた。
瞬きをすると、目の前まで美しい湖が広がっていた。
大きな何かが遠くの水上で跳ねた。人魚だ。髪を長く伸ばし、下半身が魚の尾と同じの……。はっきりした景色だったのに、視界がぼやけてくる。
ああ、……ローレライの現実という悪夢は終わったんだ。
ぼんやりと、わたしはそう思った。




