第739話 ローレライの悪夢<中編>
家に帰ればハンナやピドリナが迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
「ただいま!」
「今日の学園はいかがでした?」
今日? ええと。
「いつもと同じで楽しかったよ」
「それはようございました。お風呂の用意ができていますよ」
もふもふ軍団も帰ってきたので、一緒にお風呂に入って、部屋着へと着替える。
「蜜は買えたの?」
尋ねると魔物用の蜜を最初出されたようだ。ウチは人族もみんなで食べるから人族用のものに替えてもらったという。ウチの子たちは買い物もできて偉い!
部屋のドアがノックされる。
「リディー」
兄さまだ。
「兄さま、お帰りなさい」
「ただいま、リディー」
上級生用の制服がとっても似合っている。
兄さまはわたしのおでこに口を寄せる。
「次の休みにアンドレさまがお茶会を催されるそうだ。招かれたんだけど、一緒に行ってくれる?」
アンドレさまって……。
「第1王子殿下のお茶会?」
「どうかした?」
「え? ううん、なんでもない。喜んで」
「ロサとアダムが珍しい菓子を持っていくから、絶対リディーを連れて来いって」
「珍しいお菓子? それは楽しみだわ」
なんだろう? なんかスッキリしないこの感じ。
おかしなことなど何もないのに。
日差しを感じて目を覚ます。
わたしの部屋のベッドの上だ。隣にはもふさまがいて、もふもふ軍団がそれぞれの定位置で眠っている。
『リディア、どうした? ぼうっとして』
「おはよう、もふさま。ボーッとしてる? 起きたてだからかな」
『胸が痛いのか?』
え?
もふさまに言われて、わたしは自分の手を胸に当てていることに気づいた。
「痛くないけど……」
もふさまは首を傾げる。
なんだか胸にポッカリ穴が空いているような気がする。
大切な何かをなくしてしまったような。
おかしいな。
ここにはみんないる。
家族も、もふさまも、もふもふ軍団も。友達も。
それなのに、なぜ、わたしは何かが足りないような気がしているんだろう。
わたしの大好きなもので溢れかえっているのに……。
「リディー、何かあったのか?」
「リー、元気がないね」
兄さまや、双子の兄にも心配させてしまった。
可愛い妹や弟が元気を出してって、エールを送ってくれる。
「お嬢さまの大好きなバケツプリンを作りましたよ!」
ピドリナとハンナも大好物を作ってくれた。
父さまと母さまからも甘やかしてもらう。
学園に行けば、いっぱいの友達と楽しく過ごす。
上級生とも仲良しだし、ここは聖樹さまの気が溢れているから心地いい。
学園は平民も貴族も王族も垣根がない。
みんなすっごく仲がいい。
楽しいのに、笑っているのに。
どこか空虚だ。
なんて説明すればいいのかわからないけど、わたしの中で警報が鳴っている。
警報? 警報ってなんだっけ?
大好きなものだけの恵まれた世界で、わたしは何を警戒しているのだろう??
「リディー、表情が暗いね?」
あれ、わたしの部屋だ。いつの間に学園から帰ってきたのだろう?
いつの間に、兄さまはわたしの部屋に入ってきたのだろう?
「え、そう? なんでもないよ」
「私には、隠し事をしないで欲しいな」
兄さまに言われて、少しだけ躊躇う。だって、理由はわからないし、大したことじゃない。でも心配そうに見つめられれば、言わずにいられない。
「……なんかね、忘れている気がするの」
「大事なこと?」
「……それもわからない。ただ、なんか気になって」
「大事なことなら、そのうち思い出すよ。思い出さないなら、それは取るに足らないような、どうでもいいことなんだ」
まぁ、そうなんだけど……。
「母さまが、お茶会用のドレスを新調するからって、リディーを呼んでくるように言われたんだった」
「ドレスなら、もういっぱいあるからいいのに」
「リディーは欲がないな。伯爵令嬢なんだから、ドレスはいくつあっても足りないくらいだよ。さあ、ほら」
兄さまが差し出してくれた手に、手を乗せる。
母さまの待つ部屋には、すでに色とりどりのドレスが揃っていた。絞り方や、カット、どれひとつとして似通ったものはない。
「アンドレ殿下のお茶会に招かれたのですって?」
母さまは、なんだか嬉しそうだ。
「それなら、とびきりのドレスで行かなくてはね」
「母さま、第1王子のお茶会だよ?」
はて、わたしはなんだって確かめているんだろう?
「そうよ。私の娘が王族からの覚えもめでたいなんて、嬉しいわ」
!
変だ。
「どうしたの、リディー?」
わたしは兄さまの呼びかけにも、返事をしないで部屋を飛び出した。そのまま、家からも出る。
変よ、変だわ。
何がって言われると自信がなくなるけど、何かが変なのよ。
『リディア』
もふさま!
『どうした?』
「何か変なの」
『何が変なんだ?』
「よく考えようとすると、わからなくなるの。でも何か変なのよ」
『変なのは、悪いことなのか?』
え?
『嫌なことがあるのか?』
うーうん、と首を横に振る。
『みんなリディアのことが大好きだ。そのリディアがよくわからない感情に振り回されていると心配になる』
「心配をかけたのね。ごめんなさい、もふさま」
『謝るな。我らが好きで心配しているのだ』
息を切らせて、兄さまが走ってきた。
「リディー、どうしたんだ?」
「兄さま」
兄さまに抱きしめられる。
「リディー、不安なんだね。ごめんね、気づいてあげられなくて。でも、大丈夫だ。ここには君を傷つけるものはひとつもない。君が大好きなものしかいない。
私が守るよ。悲しみ、苦しみ、すべての悪夢から君を守る。だから怯えないで。大好きなものに囲まれたまま、いつも笑顔でいて」
そう言って兄さまは、とてもきれいな顔で笑った。
言葉を受け取り、疑惑が確信に変わる。
「兄さまのフリをする、……あなたは誰?」




