第703話 はかられごと⑯絶対はない
「わかったわ」
「え?」
「3ヶ月一緒にいる。乗り移るのはなしよ?」
そう口にしていた。
脅されたわけじゃない。何かを盾に取られたわけでもない。
同情した? それは少しはあるかもしれない。でもそれだけではなくて。
……この人の心からの願いだと思えたから。
自分を終える時に、一緒にいてくれる人が欲しいのだろう。
その願いをわたしが叶える謂れも、なにもないんだけど。
この人はウチに酷い仕打ちをしてきたんだと、湧き立ってくる気持ちもあるのに。
自分でもなんでOKしているんだ?とも思っているんだけど。
わたしはなぜか、そう口にしていた。
王子は目を大きくした。
「それは、了承ってこと?」
「二言はないけど、一緒にいるだけよ。それに乗り移りは絶対にしないで」
王子はアダムに似ていない驚いた顔で言う。
「……報告通りだ。絆されやすいね。そして感情移入しやすいんだよね、君」
「殿下、あたくしたちを裏切るつもりですか?」
それまで口を噤んでいたアイラが、王子に問う。
王子は座ったまま、アイラを振り仰ぐ。
「残りの時間で、君たちを逃すよ」
「器を乗り換えないつもりなのですか?」
硬い声のアイラ。
「ユオブリアにある魔石は回収された。ペトリスが、いや配下が全部話すだろうし、核の作り方まで辿り着かれてしまっているから、どうしようもないだろうね」
あ……、乗り移るって言ってたけど、物理的に難しくなっていたのか。
「殿下はあたくしたちの新しい人生を約束してくださったじゃないですか、それは裏切りです!」
アイラがキッとわたしを睨みつける。
「やっぱりあんたがいると、ろくなことがない!」
アイラの手には小さなナイフが握られていた。
え。
アイラは大きく振りかぶった。
わたしは反射的に目をつむる。
あれ、痛くない。あー、シールドか?と思った時、何かが倒れかかってきた。
王子だ。え? 王子はわたしを押すようにして、ゴロンと横に転がった。
服のお腹のあたりに染みが広がる……。
! わたしを庇った?
こほっと音がして、見上げると、身体を丸めたアイラが、……ナイフで王子を刺したはずのアイラが口から血を流した。
え?
「……次はないと言ったのに。こうなるとわかっていただろ? 死にたかったのか?」
王子がアイラに言葉を投げた。
「……殿下はあたくしに何も……くださいませんでした。だから、ひとつぐらい……欲しかった……。あなたからの……ものが」
それが死というものであっても?
アイラがお腹を押さえたまま、ゆっくりと倒れる。
え、嘘。そんな……。
アイラの瞳にわたしは映ってなかった。王子だけを見ていた。
アイラは第1王子を本気で好きだったんだ。
アイラは王妃になりたいのだろうと言ったら、ある意味当たっていると言った。
彼女はメロディー嬢になりたかったわけではなくて、王子の妃になりたかったんだ。王子が器を変えるから、アイラも自分という器を変えるのに問題なかったんだ。
魔力が68じゃ、ふたりにはなにも効かないかもしれない。その思いで一拍遅れた。
光魔法を使おうと思った時には、アイラは王子を見つめたまま、こときれていた。
王子はしばらく、目を開けたまま動かなくなったアイラを見ていた。
わたしも動けずにいた。鮮烈な死を目の当たりにして。
陛下が呻き声をあげて、現実に引き戻される。
嘘、アイラが、アイラが……。
「……数時間は起き上がれないと……思ったけど、さすが父上だ。聖獣に……魔物3体。それから上位の魔法士たちに……同時攻撃をしたんだ、……こんなもんか」
陛下が起き上がろうとしている。
「……おかしいな。……これが世の中に……絶対はないって……ことか」
自嘲気味に言って、王子はふふっと笑う。
「私が負ける可能性なんて……万にひとつもなかったのに、たったひとつ誤算があった。……君だ。酷い…………ことをしたし、これから……するかもしれない……のに、君は丸ごと……信じて許す……んだ。許そうと……するんだ」
「許してないわ!」
「……光魔法……使おうとして……いるのに?」
「今死なれちゃ、法の裁きを受けられないからよ」
許せない人に庇われ、怪我を負わせてしまった。その事実が、わたしを苛立たせる。
「君みたいな……人って……本当にいたんだね。本当に……頭の中がひっくり……返るぐらい……驚いたよ」
王子はわたしをチラリと見る。
「君と過ごす……3ヶ月、すごく……楽しいだろうなー。でも君は……その後、とても辛く……なるんだろう。……大嫌いな……私を許し、私のした……酷いことも飲み込んで……、きっと逝く命……を悲しむ人……なんだろう。アイリーンに……涙する……ように」
ああ、頬が冷たいと思ったのは、涙だったのか。
「君を……悲しませたく……なくなった。きっと……時を重ねれば……思い出が多くなって、より君を……傷つける気がする……だから。次は絶対……私の妹になってね。ああ、絶対なんてない……ってわかったばかり……なのに」
王子は半分身体を起こして、わたしの額に口を寄せた。
わたしが光魔法を使おうとしたのを、王子は手で止める。
その手が濡れていて、血だとわかる。
「アダムも……君も……すぐに騙される。私に同情……してる。本当に……馬鹿だな」
「馬鹿なのはあなただわ」
後ろの方では、次々にピクッとして身を起こし出す。
王子はお腹を押さえながら、立ち上がった。
「みんな弱いんだからさ、……いっぺんに……力を合わせて……やってよ」
「駄目です。攻撃しないで!」
今の彼なら、罪を償うでいい。
大きな声を出したつもりなのに、声が届かない。
急に引っ張られる。陛下や騎士からの盾にするように、わたしを立ち上がらせる。
「リディアに……あてないように……してくれよ?」
「ちょっと、何を?」
「君を盾に……している」
手を挙げて投降しているところを見せればいいだけなのに……そうか、攻撃されるつもりだ。
「ゴット、リディア嬢を離しなさい」
陛下が頭を振って意識をはっきりさせるようにしている。
わたしは首を横に振る。
「陛下、王子は怪我……」
口を塞がれる。
わたしはそれでも喚いた。
ほとんどの者が倒れていて。アイラも倒れている。
そして王子はわたしを盾にしている。
起き上がったばかりの人たちに、この光景は残酷なものに映るだろう。
「わかった。離す。……父上、最後の……〝対話〟だ。……父として、王……として、私を……止めなよ」
!
そう言って、わたしから一歩、二歩と距離を取った。




