第699話 はかられごと⑫止める
「先代の陛下は、妃をひとりとし、余しか子供をもうけなかった。
それもまた、その先代の陛下が夫人が多く、子供も多かったことから辛い目にあい、自分の伴侶はひとりで十分と貫いたからだ。
けれど、妃をひとりとしたことで、派閥争いが過激になり、お心が安まることはなかった。妃殿下もひとりしか世継ぎがいないことでいつも責められ、辛い時を過ごされた。おふたりが早逝したのはそのためだと思われる。
余は、妃も子どもも多くを願った。派閥の勢力が均衡を保つように、尽力した。
お前に王位継承権を持たせないと言ったのは、お前が政のできるような丈夫な身体ではなかったからだ。だが、王妃はそれを狂うからだと思い込んでしまった。ブレドが生まれるまで、王妃の実家の派閥が膨らみすぎたことも理由だ」
「今更、理由なんてどうでもいいよ。どうにしたって、父上は私を守ることはしなかった。だから自分で自分を守ることにした。
王位につきたいなんて思ったことはない。けれど、17年間生きてきて、ちっとも楽しくなかったなんて悔しいじゃないか。だから私の幸せの取り分を、受け取ろうと思っているだけ」
「影の身体を乗っ取ってか?」
「私の身体は後数ヶ月しかもたない。受け入れれば死があるのみ。他にどんな方法があるっていうのさ?」
「それは自分勝手というものだ」
「〝影〟を用意してくれたのは、母上たちじゃないか。黙認した父上も、だろ? それなのに何を今更?」
王子は軽く息をつく。
「でも、別にもうどうだっていいんだ過去のことは。私は今までの分の幸せを手に入れたいだけ。
私は不幸だとわかってしまった。だから取り戻したいだけなんだ。他に多くは望んでいない。だから反逆にも手を貸しはしてないし、計画の穴も指摘してやらなかった。
セイン国が馬鹿なことを考えていたのも、影が気づくようにしてことなきを得ただろ? あそことドンパチやったとして、そこから受ける経済的被害より、ペトリスの反逆による被害の方が小さいだろ。ちゃんと算出してるんだ」
ワーウィッツの女王事件は、セイン国が企てたことだったようだ。
アダムやロサ、そして陛下さえわかってなかったのに、事前にこの王子はわかっていたんだ、あらましが……。そして失敗するよう導いた。
代わりに反逆を止めるようなことはしなかったけれど、実際起こった場合の被害を想定して、自分がセイン国のことを止めなかった場合の被害よりいかないぐらいに抑える計算をしている。
この人の中では被害という置き換えた代名詞となっているだけで、その被害に涙を流したり辛い思いをした顔は見えてないんだ。
机上の空論で測っている……。
「……反逆が失敗するとわかっていたのですか?」
アダムが尋ねる。
「よほどの幸運がなければ成功しないだろうと思っていただけだ。だって自分たちじゃ気づけないことが山ほどあって、気づかさせてもらったのに、それにも気づかない連中だよ。無理だろ?
成功してもすぐに次生まれる勢力に潰される。私は反逆が成功しようが失敗しようが構わなかった。アダムの身体が手に入れば、あとは好きに生きていくつもりだったから」
「なぜ、アダムが身体を差し出さねばならん?」
陛下が幼い子に尋ねるように聞いた。
「私の毒殺を許したから。私を守るために生かされているのに、それを果たせなかったんだ。罰があって当然だ」
「身体を差し出すことが、当事者には罰となることだと、わかっているのだな……」
王子は一瞬口を噤む。
そうか、かっ飛んだ思考だけど、乗っ取ることは、つまり相手を死なせることであって、罰と呼ぶということは、それが良くないことだとはわかっているということだ。
「わかってるよ。でもアダムを用意してくれたのは父上や母上じゃないか」
「ああ、そうだな。だから余計に、アダムの命をゴットにくれてやるわけにはいかない」
陛下にそう言われて、アダムの口元が震えていた。
「父上はここでも、私を選ばないんだね」
王子はにこっと笑った。どこまでも、清々しく。完璧に。
完璧なのに、胸を打たれる。
「くれてやるわけにいかないと言われても、そうですかと引き下がれない。やっぱり実力行使しかないわけだ」
王子は天を仰いだ。そして続ける。
「アダムという器。それからリディアも必要だ」
陛下がわたしに目を走らせる。
「母上のしたことは、私のためじゃなかった。全部王妃という誇りを守りたかっただけだ。でも、それでもそれも愛情の一種だと思った。だから、その愛情ひとつで私は我慢する。リディアといられる、それだけでいい」
「お前の言い分は聞いた。お前をそうしてしまったのが余だということも理解した。けれど、一国の主として、また父として、余はゴットを止めなければならない」
「止める? 私が狂っているから?」
「いいや、ゴットが狂っているとも、狂うとも思わない。お前が狂うという言い伝えを信じたものたちが弱かっただけ」
「では、なぜ?」
「人の道に外れる思いは、止めなければならない。父としても、国の主としても」
「……人の道に外れる? 最初に狂うと位置づけたのも、影を用意したのも、私を殺害しようとした人たちを野放しにしているのも、全部、父上だよね? それは道を外れてないの?」
それは恨み言というより、純粋に疑問と思っているからのように聞こえた。
「その通りだ。だから、これ以上道を外すわけにはいかないのだ」
陛下が王子をしっかりと見据える。
「ゴットは余の第一子だ。小さな赤子は産声も小さかった。魔力が多すぎて、器が耐えきれるか、次の誕生日を迎えられるかわからないと言われた。泣き声は小さかったが、余の指を握る力は強かった。生きたい叫びだと思った。だからゴットに光魔法の魔法士をつけ、毎日光を注がせた。魔法士と相談して、魔力を排出するよう身体を整えた。それでも多すぎる魔はお前を蝕んだ」
誰も動かず、陛下の独白を聞いた。
「1歳を迎えられ喜べば、2歳を迎えられるかどうかわからないと言われた。
議会からは他にも世継ぎをという声が絶えなかった。王妃はそれが辛くて病んでいった。余はそれを支えるべきだったのに、王妃を叱った。国の母でもあるのだから、ゴットのことばかりにかまけず、王妃としての執務を果たせと言い募った。そうして余もまた王妃を追い詰めた。
王妃へと選ばれた彼女だ。できて当たり前だと思い、それができない彼女に辛くあたった。そしてある日、追い詰められた彼女はゴットに一層のことと手をかけようとしていた……そこでようやく余は自分が間違っていたことを知った」
陛下は王子に頭を下げた。
「すまなかった。間違えたことが、そのままお前へと流れていた」
陛下は続ける。
「余が間違えた。余が悪かった。だから、ゴット、お前を止めるしか、余には道が残っていない。器をやるわけにもいかないし、リディア嬢を渡すわけにもいかない。終わりにしよう。ゴットは法の裁きを受けるんだ」
そう言って、王子に視線を戻した陛下の目に、迷いはなかった。
王子の動きを止めるつもりなんだろう。そして法の裁きへ……。
もふさまがわたしを抱きこんだ。
陛下が片手をあげる。そこに光が集まっている。
魔力の圧が!
魔法士長が、神官長がやはり手を上げて何かしている。
あ、ドームだ。外に被害が出ないように魔力の障壁を張っている。
「……父上が始めたんだ、後悔するなよ? 面倒だからみんな一度にかかってきていいよ。言っとくけど、ここにいる誰も、私には勝てないよ?」




