第694話 はかられごと⑦幸せをあきらめない
「ハッ!」
アイラは怒りを含んだ声をあげた。
「馬鹿ね。同等、もしくはそれ以上の立場の者しか、取り引きってのは持ちかけられないのよ。あたくしからの取り引きならまだしも、あんたに何ができるって言うの?」
表情が驚くほど歪んでいる。
「ほんっと、何か持ってそうに見せる才だけはあるんでしょうね。あの方も、みんなあんたに騙されてる!」
「そうね、あなたにだけ見えない才能が、わたしにはあるのよ」
そうにっこり笑えば、アイラはさらに激昂だ。
棒をわたし目掛けて振り下ろしてきたから、その手をいなして、後ろ側に回る。
わたしより体が大きいから、長い時間をかけてのバトルになったら負ける。
「兄さまが危険なの。わたしを助けるわけじゃないわ。あなた、兄さまのこと昔好きだったでしょう?」
油を注いでみる。
「あんたの足で追いつける? それに止められやしないわ。でも覚えておくといいわ。あんたのせいでフランツさまは命を落とすのよ」
振り返って仕掛けてきた、攻撃をかわす。
「フランツさまもお気の毒だわ。でもあんたみたいのに惚れたのが悪いのよ、自業自得だわ」
わたしはアイラの右手首をつかみ、後ろに回って捻じ上げた。
アイラの顔が苦痛に歪む。
わたし、体力ないけど、魔法戦も成績〝5〟だから!
棒を落とし、左右の手首をタオルで縛る。
「ちょっと、解きなさいよ!」
「って言われて解くと思う?」
彼女を突き飛ばして床に転がす。その間に隣の部屋に行き。
おお、紐があった。
部屋に戻って、アイラを椅子に座らせ、紐で椅子と一緒にグルグル巻きつける。
「リディアのくせに! あんたが今から駆けつけたって、絶対に間に合わないわ」
「あなたとわたしの決定的な違いを証明してあげる。わたしは幸せをあきらめない」
わたしはアイラに言い捨てて、家の外に出た。誰もいないみたいだ。
アイラが信用されているのか……。
「もふさま?」
わたしは小さな声で呼んだ。
茂みがガザッと揺れて……もふさまだ。
ちっちゃなみんなもいる。
「無事でよかった」
わたしはみんなを抱きしめた。
もふさまがあんな奴らにやられるとは思えなかった。それにみんなも起こしたあとだったし。
様子を見るのに、眠らせられたふりをして、きっとついてきて近くにいてくれると思ってた。
『あの小童はどうしたんだ? 魔力が急に増えた。変だったぞ?』
もふさまが直前に言った〝変〟は囲まれたことじゃなくて、偽アダムのことだったんだ。
「アダムじゃないの。影のひとりなんだと思う。乗っ取り案を考えたのはあの影で、自分たちの願いを通すのに、ペトリス……ぺしゃんこ公の企てに所々便乗していたみたい」
『あいつは乗っ取り派か?』
「多分そう」
わたしはみんなにすがる。
「兄さまが危ないの。お願い助けて!」
『フランツが危ないとはどういうこと?』
「あの影が兄さまが邪魔者で、消すって」
みんなが目を合わせる。
『私が!』
レオを引き止める。
「兄さまは城の中。レオたちはダメ。もふさまが行ってくれる? レオたちはわたしをお城に運んで欲しい」
『リディアのことは任せたぞ』
もふさまがそう告げて、虎サイズになり、空を駆け出した。
レオも大きくなった。
「お城の近くまでお願い」
そこからは、みんなはまたぬいぐるみになってもらわないとだ。
レオに乗り込む。しっかり捕まる。ツルツルの皮膚はちょっと怖い。
でも落ちたこともないから、もふさま同様、飛んでいる時も魔法で落ちないようにしてくれているはず。
『でもどうして、フランツが邪魔なの?』
レオの背中の上でクイから言われる。
あーーーー、それね。
「影が変なの。わたしを生まれた時から愛してたとか言って。兄さまが邪魔だって」
『リーの番いなのか?』
『兄さまが番いじゃないの?』
「番いって結婚する相手という意味じゃない?」
ニュアンス的にちょっと違和感があり、ふたりに尋ねる。
『番いは魂の引き合う相手だよ。生涯寄り添う』
そういう意味か。
「人族は番いっていう括りはないかな。……でもそうね、あの影は運命的なそういう意味で、わたしを必要としてそうだった」
自分で言って鳥肌が立つ。
あの時はアドレナリンが出てて、何を言われているか深く考えられなかったけど、思い返すとずいぶん怖いこと言ってなかった?
空に上がれば、お城はすぐそこだった。他の地区と違って、明かりが夜遅くてもいっぱいついているからわかりやすい。4区の王都から一番外れぐらいにいたっぽいね。4区外れからお城までは馬で2時間ぐらい。魔法戦試験の時のあのアダムのスキル。高速で動くあれを影が持っていなければ、もふさまは間に合う。
辻馬車を囲んだ青い点。あの人たちも影についていったのかな、アイラの方にはついていなかったものね。呪術師ではなく、私兵、かな?
アダムが地下基地に帰ってきてればいいけど、そうじゃなかったら……。
地下基地に迷いなく入っていく影。結界のあるところで兄さまに声をかける。そして外に連れ出す、そんな映像が思い浮かぶ。
『リーから魔力が臭わない』
魔力って匂いなの?
「あ、魔力封じをされてるの」
『壊す魔具を作っただろう?』
「それがアガサ王女に渡してから、多分陛下に渡っていて、返してもらってなかったのと、どんな封じられ方をしたのかわからないんだけど、収納袋もポケットも呼び出せないの」
アリとクイから明るい表情が消える。
『カゲとかいうやつは、凄い魔の使い手だな』
『うん、空間に干渉できるのは、並の魔力じゃない。リー気をつけるんだ』
急降下。
『人がいっぱいいる。飛べるのはここまでだ』
レオが裏路地でおろしてくれた。見つかったら魔物が街中にって攻撃されちゃうからね。
1区だ。お城までちょっと距離がある。それにお城の門から地下基地までの道のりも遠い。
走るしかない。みんなを入れたリュックを肩にかけて走り出す。
こんな夜更けに馬の足音がした。わたしは端に寄りつつ、走り続ける。
馬がスピードを上げ、少し前まで行ったところで止まり、人が降りた。
「リディア嬢?」
ロサ?
わたしを認めて目が大きくなる。
「こんなところで何やってるんだ?」
怒りが含まれている。わたしは荒い息を整える。
「ロサ、ち、地下基地、に、急いで。兄さま危ない」
「フランツが危ないって?」
後ろから来た、もう一頭の馬がいなないた。
アダムだ。
「本物?」
わたしは尋ねる。彼は目を細めた。




