第693話 はかられごと⑥幸せになれない
アイラは吹き出す。
「勢力って何よ。あの方の素晴らしい着目点に賛同して、共にあり、手伝っているのは確かね」
「それにどんな旨味があるの?」
「……聞いてどうするの?」
肩を押されて、椅子に座らされた。
椅子に座れって口で言えばいいのに。
「買収しようと思って」
アイラは笑い声をあげた。
「買収? 買収ですって? ほんっとリディアさまって面白いわ。あたくしはリディアさまが嫌いだし、あんたが喜ぶことは決してしないわ」
「じゃあ、魔力封じの足輪、これを外してはくれないわね」
「当たり前でしょ」
ダメか。
「嫌いなら目の前にわたしがいるの不愉快でしょ? 逃してくれない?」
アイラは会話するのはうんざりだと言いたげに、ため息を落とした。
わたしは話しながら、部屋の中を観察していた。武器にできそうなものはないかと思って。
さっきわたしに傷をつけるなと言われたのと、アイラはわたしを見下しているからだろう、手足も自由だ。
家の中はしんとしている。アイラしかいないっぽい。
最低限の備え付けられた家具しかなくて、物が置かれてもいなかった。あるのはテーブルと椅子2脚のみ。この椅子を振り上げるのは大変そうだ。テーブルも重たい。
わたしは腕をさすってお願いしてみる。
「……寒いの。ショールか毛布……手拭いでもいいから貸してもらえないかしら?」
アイラはすごい嫌な目つきでわたしを見た。
手をあげて親指と人差し指の平を擦り合わせて、思い出した顔をする。
術で何かしようとして、トルマリンさんに術を封じられていたことを思い出したのだろう。……ってことはまだ呪術師仲間には会ってないということだ。会っていたら、解呪してもらっているだろうから。
立ち上がり、渋々隣の部屋に入っていった。部屋の中は暗い。やっぱり人はいないようだ。
戻ってきたアイラがわたしに突き出す。ちょっとニヤッとしていると思ったら、薄いタオルだった。
寒さ対策ではなく、武器にしたかっただけなので、こちらはベストだ。毛布を持ってこられる方が困った。
「ありがとう」
お礼を言って、タオルを広げ肩にかけた。
早いとこ影を追いかけたい。兄さまを助けに行きたい。
もふさまたちがやられるはずはない。眠らされたふりをして、近くにいてくれていると思う。でも確証はない。
その場合ここがどこかわからず、魔法も使えない、物もお金も持ってない状況だ。闇雲に動いてもただ時間が過ぎるだけ。
落ち着け、落ち着いて考えろ。
アイラの言葉を頭の中で反芻する。影の素晴らしい着目点に賛同して、共にあり、手伝っていると言った。
影……、そりゃ乗っ取りだろうなー。あれだけアダムに似ているんだから乗っ取るなんてしなくても十分だと思うけど。あ、現、表に立ってるアダムにじゃなくて……意識がないという本物の王子殿下への乗っ取り。そっちの方があり得るか。いくら似ていても、彼らは本物とは違う。意識のない本物の王子殿下の身体に乗り移る。
着目点に賛同して……。影が乗り移り方を知ったんだ。そして呪術師集団と手を組んだ。
うまく乗り移ることができるよう、謀反を企てていたペトリス公に、要所だけ便乗していた。恐らくそんなところ。
「アイラはどうして……計画に賛同したの?」
「……素晴らしい案だからよ」
「人の身体を乗っ取ることが?」
「あたくしはね、うんと幸せになりたいの。でも生まれながらに幸せの量が決まっているなら……、もっと幸せの量の多い人に成り代わるしかないじゃない」
ああ、それがアイラの源道なんだね。
マルティンおじさんから言われた戒めの言葉が、アイラを掻き立てた。
「アイラっていう、身体の器が世の中からなくなるのに?」
アイラは暗い視線をわたしに投げかける。
「周りからただ守られて、なんでも与えられているお嬢さまにはわからないだろうけど、あたくしの器、特別に好きでもなんでもないわ。思い入れもないし。あなたみたいにただ幸せではなかったから。
あなたとあたくしは決定的に違うの」
「そうね、あなたとわたしは決定的に違うわ。あなたはきっと誰かになり代われても、幸せにはなれないわ」
アイラはふっと笑う。わたしは続けた。
「なぜなら、あなたは自分が何を幸せと感じるかわかっていないから。もしくは勘違いしているから」
「えっらそうに! あんた何様?」
アイラが立ち上がり、わたしに詰め寄る。
「怒りが湧いてくるのは、あなたも自分でわかっているからよ。わたしの言葉が真実だと」
服の首のところを持たれて、揺すられる。
「傷つけないだろうと高を括っているの? 傷つけても戻ってくるまでに薬で治せばいいだけよ。生意気なことを言うなら、痛めつける」
そう、手をあげようとした。
「あなたは自ら幸せを手放した。だから残念だけど、あなたが心からの幸せを感じ、満たされることはないのよ」
頬を打たれそうになったけど、シールドが発動した。アイラは驚いている。
「あの時、あんたをやっとけばよかった。そうすれば、二度とあんたに会わずにすんだのに!」
ガクガクと揺すられる。
「昔っからあんたが大嫌いだった。愚図でのろまで何もできないくせに、出自だけよくて甘やかされて。頭の回転が遅くて、言葉もでないのに、たまに言うことが真髄をついてるように受け取られて! あんたの目も嫌い。じっと見てくる、なんでも見透かすような気味の悪い翠の目!」
パッと手が離れた。流しのようなところに行って、何かをとった。菜箸みたいな細長い棒だ。
「あんたに乗り移るわけじゃないから、目が見えなくてもいいわね。あんたが暴れて自分で目をついたとでも言えばいいわ」
と棒を振り上げて迫ってきた。
わたしは椅子を間にするようにして、アイラから距離をとる。
肩にかけたタオルを手にする。
「激昂しているのは、アイラもわかっているからよ」
「うるさい!」
「あなたがわたしを嫌いなように、わたしもあなたが嫌いだから、あなたが幸せで満たされなくてもいいのよ。こんな計画に携わってなければ、あなたの幸せを望めたけどね。
でもそれも今更だわ。あなたは犯罪に手を染めてしまったし、わたしたちは再会してしまった。だけど、昔馴染みとして今一度、あなたに手を差し伸べる。わたしがここから出ていくことを見逃すのなら、あなたが幸せに気づく機会をあげる」




