第691話 はかられごと④心配してる?
「ロサ殿下と一緒ではなかったのですか?」
てっきりふたりで神殿に向かうと思っていた。それがアイラとふたりで、アイラを自由にさせている。騎士もつけず、ひとりで行動するなんて危険すぎる。
「……ロサ? それなら、アンドレ」
「は?」
「ブレドをロサと呼ぶのなら、私のことはアンドレと呼ばないと」
何言ってんの? 今、言うこと? そんな余計な話をして、煙に巻こうとしている?
「なぜ、牢から出ているんです、その者は?」
「呪術師たちと引き合わせるんだ。そちらの調査を言いつかってね」
「手枷も外してですか?」
「呪術は封じているし、私が彼女に負けたり、逃したりすると思う? 騎士を増やしても面倒になるだけだし、担いだりなんだりも嫌だから自分で歩かせている。何か心配なら、一緒に来る?」
「……一緒に行くわ。けど、呪術師のところに行くなら、せめてトルマリンさんを連れて行った方がいいんじゃない?」
「ああ、もちろん先に行ってもらってるよ」
なんだ、そうなの? じゃあわたしが行く必要もなさそうだけど。
一度行くって言ってしまったので、ついて行くか。
アイラと一緒に行動するのは、それだけでストレスだけど。
裏門を守っていた騎士たちに門を開けさせると、辻馬車が用意されていた。
アイラを先に入れ、わたしを次に乗せてくれる。
遠いのかな。この馬車で、わたしのお尻がもつか心配だ。
「この馬車に長く乗るの?」
「1時間ぐらいかな」
絶望的だ。
行くなんて言わなければ良かった。
わたしの隣に、アダムは長い足を組んで座った。
わたしは膝にもふさまを乗せた。もふさまのリュックは、アリとクイとレオがぬいぐるみの姿で入っているはず。みっつの膨らみを上からそっと触って確かめる。ベアはサマリン伯についていて、アオはルシオについている。
「その犬、しっかり抱えててくださいよ」
アイラが鼻を鳴らす。犬じゃない。
もふさまもじっとアイラを見ている。
「場所はどこなの?」
「言ってもわからないだろ?」
アダムはにっこり笑う。
それはそうだけど。
馬車が動き出した。すごい揺れ。
「そちらは何人ぐらいいるの? それに対してひとりじゃ危険でしょ? あ、トルマリンさん以外にも応援がいるの?」
「……ひょっとして、私を心配してる?」
「あんた、わたしが氷の像かなんかだと思ってるの?」
心配するに決まってるでしょうが。
「リディアさま、殿下に、その言葉遣いはないんじゃないですか?」
アイラがまともなことを言う。
「アイリーンが気にすることではない。不快なら私が言う」
アダムがピシャッとはねつけると、アイラは視線をそらした。
アダムは横のわたしに微笑む。愛想が良くて気味が悪い。
『リディア、何か変だぞ』
もふさまが体をよじってわたしを見上げる。
あ、青い点に囲まれている。馬車が速度を落とした。
急な揺れに対応できないでいると、アダムが支えてくれた。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう。囲まれたんじゃない?」
アダムは一瞬驚いた顔をした。
「ああ、そのようだ」
馬車が完全に止まる。
「君はここにいるんだ」
アダムはドアを開け、アイラを引っ立てるようにして降りる。
「アンドレさま、気をつけて」
わたしが声をかけると、振り返って微笑んだ。
ドアが閉まってから、わたしはもふさまに言った。
「点は赤くないんだけど、……何かわかる?」
『いいや。リディア、皆を起こしておけ』
もふさまの背中のリュックを揺する。
「みんな、城から出ているから防御を解いていいわ。何か変なの。起きて!」
再びドアが勢いよく開いた。
え? 何か拳サイズのものが中に投げ込まれた。
シューッと何かが吹き出すような音が聞こえた気がして、そこでブラックアウトした。
目を開けると、あたりは薄暗い。
ぼんやりとした視界にピントが合ってきて、目の前にアダムのドアップがあった。
金髪に紫の瞳。王子さま仕様のアダムだ。
驚いて起き上がる。くらっとした。
「急に起き上がるから……大丈夫かい?」
宿屋の一室のような部屋だった。シンプルなベッドに転がされていたようだ、アダムと一緒に。
もう夜みたい。月明かりで、部屋の中は暗闇ではなかったけれど。
「何がどうなって?」
「私もついさっき目が覚めたばかりだ。……馬車から降りたら、私兵たちに囲まれた。顔に何か吹きつけられて、気付いたら、このベッドに君と転がされていた」
「で、起きて、あんたは何してたの?」
「君の寝顔を見てた」
あまりに、そのままの答えだったので怯む。
「ね、寝顔を見るなんて失礼よ!」
「ああ、そうなの? 可愛かったから、眺めてたんだ」
「何それ、新たな嫌がらせ?」
わたしはベッドから降りた。あ、足首に足輪がついてる。
「魔力を封じられた」
もう試したんだろう。アダムも魔力を封じられたようだ。
「もふさまたちのこと知らない?」
アダムが口ごもる。
「何?」
「眠らされる前にちょっと見えたんだけど、ぐったりしたお遣いさまが、道端に投げ捨てられていた」
もふさまが?
わたしがドアに走ろうとすると、手を引っ張られる。
「鍵がかかってる。やるにしてもそっとやりなよ。魔力も封じられているんだ、慎重に行動して」
まっとうな意見なんだけど、口がとんがる。
ぐったりしたもふさまって、どういうことだろう?
思うにあの拳大のものは、眠らせる何かだったのだろう。それで、もふさまも眠らされちゃったのかな? 聖獣であるもふさまが?
「ごめん。慎重に行動する」
アダムに謝れば、彼は頷いた。
そっとドアノブを回そうとしたけれど、アダムの言うように鍵がかかっているみたいで開かなかった。
「アイラは? どの勢力に捕まったんだろう、わたしたち」
「さあ、わからない。でも君には傷ひとつつけさせないから安心して」
一緒に捕まった奴が何を言う!
「魔力も封じられているのにどうするのよ?」
ちょっと、つっけんどんになってしまった。
「そりゃ、魔力が使えないなら、力技になるだろうね?」
アダムは窓に近づいていき、窓を開けた。
とっくに日が沈んだ暗がりから、冷たい風が入ってくる。
「あ、開くね。2階だし降りられそうだよ」
わたしも窓に行ってみたけど、どこが降りられそうなの? 月明かりがあると言っても、地面まではよく見えないし。
「む、無理でしょ」
って言うか、アダムができてもわたしには無理だ。
「それじゃあ、逃げ出そうか、お姫さま」
失礼と言ってアダムはわたしをお姫さま抱っこをし、窓から飛び降りた。
かろうじて、悲鳴を飲み込んだ。
こいつ、わたしを抱えたまま、2階から飛び降りやがった。
魔力も使えないのに、なんて身体能力だ。
アダムはそのまま早歩きで街を歩く。人とは出くわさなかった。
家や店があるけれど、どこも明かりを落としている。
少ししてから、アダムはわたしを下ろした。
地面に足をつけやっと安心できたのか、鳥肌立っていたのが、なんとか落ち着いた。
「あ、ありがとう」
お礼を言えば、アダムは微笑む。




