第681話 彼女のはかりごと⑯まだ〝必要〟
わたしは何度も自分の両頬を叩いて、気合を入れた。
昨日はアダムの帰りが遅かったので、わたしと兄さまは先に休ませてもらった。
朝も朝でそこまで話し込む余裕もなく、午前中にできたら、城内のわたしの部屋で会議をすることになっている。陛下からの話と合わせて、今後の作戦をたてると。
アイラがわたしに言霊を仕掛けてきたのは、焦れているからでもあるだろう。
思惑通りロサの胸に飛び込んだわけだから、流れとしては、わたしはアイラに一気に傾倒しているぐらいのはず。
対アイラへの心意気のことだけを考えていたら、朝一でメラノ公がお見舞いに来てくれて、わたしは困惑した。
アリがベッドの中に入ってきたので、気づかれないよう撫で回した。
クイはぺしゃんこ、じゃない、ペトリス候についているんだね。
アリは、今日、メラノ公が何かするつもりだと教えてくれた。
わたしは構える。
「お加減はいかがですかな?」
優しい笑みを携えて、わたしに尋ねる。
「はい、おかげさまで、回復しました。起きていても大丈夫なのですが……その、殿下からまだ休んでいるように言われて……」
ロサと熱々なのをアピールしなくては。白いなみなみじぃじも、ロサとわたしにくっついて欲しかったみたいだもんね。
乗っ取り派なら、窓口を増やすためとわかりやすいけど、そうではないなら、どうしてわたしとロサをくっつけたがるのかわからないな。
「その……殿下とはどちらの?」
わたしはハッとしたフリをして、口を閉ざす。
「リディア嬢、若い時は、時が永遠に続くように思われるでしょう? だがそれはただの錯覚なのです。人に与えられる時間は有限。
若い頃、よく言われました。我慢なさい、時を待ちなさい、と。
いずれ望んだ時はやってくる。その期を待ちなさい、と。
でも、いずれなんて時はやってこないのです。ただ待っているだけでは何も変わらない。そう教えてくれた人がいました。行動したら、思い描くように、ことが動くようになりました。
ですから、リディア嬢、心のままに行動しなされ。あなたが動くことで、世の中は変わる」
微笑まれているのに、どうしてわたしは怖いと感じているのだろう?
「そう、……ですね。命は有限。わたしも思うように動いてみようと思います。大変ためになるご教授、ありがとうございました」
「いやいや、年寄りが説教くさいことをしてしまいましたな。お許しくだされ。
けれど、心のままに奔放に生きなされ。あなたにはそんな生き方が似合う」
アリ付きのメラノ公をお送りして、部屋にひとりにしてもらう。
心のまま、奔放に生きる……。この流れだと、わたしがロサに乗り換えるということだ。第1王子と婚約までして、散々騒ぎまくって、第2王子に乗り換える。
敵の動きを知るための芝居であるからやっているけど、本当にそんなことしているとしたら、奔放すぎるだろ、それ。まだ一般貴族ならともかく、次代の王族を手玉にとってると揶揄られても仕方ないぐらいのことだ。
それに、呪いで一回だけということにしたとしても猫になっていたんだぞ? 猫だよ、猫。獣憑きに未だ忌避があるユオブリアで、王族に獣憑きだぞ。
わたしも奔放すぎるけど、王子殿下たちもそんなのに惑わされるように見えるだろうし、愚かに映るよね。そしてそれを許す陛下も……。
婚約式の時のあの困惑していた目を思い出す。
それだ!
メラノ公が謀反の一派なら、王族が愚かだとみんなに絶望させるのが目的だ。そんな次代の殿下にはついていけないと、新たな王をたてる気だ。
ロサへの乗り換えは中止だ。危険すぎる。
わたしはアリから得た、今日動きがあることの報告も含めて、アダムに手紙を書いた。
アイラがノックの後に入ってきた。
おい、部屋に入るのを許していないのに。
もう依存しているって思い込んでいるのかしら?
「あ、ごめんなさい。もう少しひとりにしてもらえないかしら?」
手紙はとりあえず送ったものの、アイラに対して、まだどうするべきか、考えがまとまっていない。
「時間なんです。もうすぐ正午ですから。
昨日は、どうだったんですか? 第2王子殿下とお話しされたんですよね? 第2王子殿下が大切にリディアさまを抱きかかえて運ばれるところを、使用人たち、貴族たちが見ていましたわ。とても素敵でした!」
ああ、まずった。反乱分子を煽ったことだろう。
「リディアさまのお城での評判、最悪ですよ」
アイラは嬉しそうに言う。わたしは自分の親指を軽く握る。
「伯爵令嬢が何様のつもり?って。第1王子殿下に擦り寄って、振られそうになったら、第2王子殿下に尻尾を振ったって。あ、うまいこと言いますよね。猫だったから尻尾を振ったって言われたんですよ、わかります?」
アイラ、楽しそう。
『この者はうるさいな。足でも齧ってやろうか?』
わたしはもふさまの背中に手を置いて、静かに首を小さく振る。
けど、うわー、演技でもこんなやつに〝尻尾振る〟の嫌だわ。
でも、通らないとならない道。
わたしは心配しないでと、もふさまの背中を軽く撫でてから、顔を両手で覆った。
「わたしの行いが、殿下たちの評判をも下げているのね」
泣きそうなフリをする。
「あら、やっと気づきました? もう遅いですよ。リディアさまはいるだけで迷惑なんです。何もできないくせに、またでしゃばって。本当にしょうもないお方ですね。でも、あたくしが味方になってさしあげます。リディアさまを嫌う人たちから守ってさしあげます」
ここはうるうる瞳で見上げるところだろうけど、わたしは方針を変える事にした。無理。演技でもアイラに陶酔するように依存するのは無理。
諦めて、全てが嫌になって、でも話すのはアイラだけ、ぐらいにしておこう。
「本当に?」
わたしは冷たい声で尋ねた。
アイラの茶色い瞳が少しだけ大きくなった。
「本当にわたしを守れるの?」
「え、ええ。リディアさまはまだ〝必要〟なんですって。だから、守ってさしあげますわ」
まだ必要? 聞き捨てならないわね。でも、それは事実なんだろう。
アイラは誰かに従っている、その誰かがわたしはまだ必要だと言ったのだ。だからそれまで守る、と。
『リディア、城に嫌な気が紛れ込んでいるぞ』
嫌な気? メラノ公が何かするって言ったことに関係することかな?
わたしは探索をオンにする。点がいっぱいあるけれど、今のところ赤い色は見えなかった。この部屋の中の点も。
「アイラはわたしを嫌いよね?」
アイラが訝しんだ目を向けた。あれ、術がまだ完全に効いてないのか?の顔だ。
すがるような目を向ければ、クスッと笑う。なんだ、やっぱり、効いてると思ったようだ。
「嫌いに決まっているじゃないですか。リディアさまさえいなければ、あたくしは砦で幸せになれたのに。でも許してあげます。死なないでくれて助かったんです。全く運がいいんだから。
嫌いだけど、中身が違くなれば、気にならなくなるでしょう」
やっぱり、わたしを乗っ取ろうとしている。でもそれはアイラではないんだ。
もっと言葉の意味を考えたいけど、それより無表情でいることに神経を使った。
バックに誰がいるのか、それを突き止めたい。それまでは、術が効いているフリをしなくては。




