第679話 彼女のはかりごと⑭言霊
「何があった?」
地下基地で、居間のソファーに座らせてもらい、ロサがわたしの両頬を両手で挟む。
わたしはアイラに言われた通りの行動をしようとしていて、怖くなったのだと胸の内を話した。
わたし、また術をかけられた?
それとも魔石の欠片がいつの間にか入っていて、いうことを聞くようになっている?
それとも解呪しきれてなかった?
兄さまが琵琶茶を用意してくれて、もふさまに尋ねる。
「その時、お嬢さまはどんな様子でしたか?」
もふさまは魔石を触る。通訳の魔具だろう。
『少しぼーっとして見えた。フラフラと扉に寄っていくから吠えた。するとハッとしたようだ』
しばらくして、アダムと一緒に地下基地に入ってきたのは、トルマリンさんだった。
ロサたちが伝達魔法を使っていて、アダムに連絡をしているとは思ったけど。
トルマリンさんには、できたらしばらくの間、王都にいて欲しいと話をつけてあったらしい。呪術師を相手にするので、意見など聞くこともあるかと思ったそうだ。
トルマリンさんに診てもらう。
「呪術はかけられていませんし、解呪も問題なくされています」
状況を聞かれて話す。
トルマリンさんは、タン、タン、タターンと手を打った。
「話す時に、こういうリズムではありませんでしたか?」
リズム?
わたしは首を傾げる。リズムは意識してなかったから、思い出せそうにない。
「……そうですね。ちょっと実践してみましょうか。
シュタイン領はとてもいいところだと聞きました。領地が好きですか?」
実践? 急になんだと思ったが、わたしは答えた。
「……はい、好きです」
「長いお休みには、領地に帰られるんですか?」
「はい」
「帰ったら何をしたいですか?」
「ワラたち、あ、ウチのコッコたちに顔を埋めて、馬のケインとアニーとニルスの毛繕いをして。領地の隅々まで行って、みんなと話して、領地で取れた食材で食事を作りたいです」
最初にやりたいことである〝家族に甘える〟は、気恥ずかしいのでカットした。
「なるほど。そういえば、北の方で病が流行り出したと聞きましたが、ご領地は大丈夫ですか?」
え? 流行り病? そんなの聞いてないけど。
「近頃、連絡は取りました?」
「……連絡はありましたけど、そんなことは一言も……」
「心配かけないように、おっしゃらなかったのかもしれませんね。何でも家畜に甚大な被害があるとか……。コッコたち、心配ですね。あ、大変な時に余計なことを申し上げました」
病気なら母さまが光魔法で治してくれると思うけど……。
「お嬢さま、ものには〝期〟というのがございます。まさにその時と申しますか。これを逃すと、二度と会えないというね。お嬢さまは私から聞いて、今知り得た。これが〝期〟というものです。巡り合わせです。これを逃したら、二度とコッコと生きているうちに会えないかもしれません。
お嬢さま、コッコに会いに行くんです! 今、行きなさい!」
パン!
トルマリンさんが両手を打った音だった。
わたし、立ち上がってた。領地へ帰ろうとしていた?
わ、わたし、どうなっちゃったの?
「お嬢さまはとても素直でいらっしゃいますね。
申し訳ありません。北の流行病というのは、嘘でございます」
「嘘? ……よかった」
「すみませんでした。関心のあることが一番成功しやすいので」
力が抜ける。
病が嘘ならよかったけど、わたし言われるままに領地に帰ろうとしてた……。
「わ、わたしに何をしたんですか?」
トルマリンさんは、すまなそうな顔をしている。
「何かしたわけではありません、これはただの手法でございます。呪術とは編み込む言葉も大切となりますので、言霊をこめる修練をするのです。少し瘴気を動かします。訓練し習得すると、その気にさせるようなことができます」
彼は痩せこけた顔で、少しだけ微笑んだ。
「まず、驚くようなことを言われませんでしたか? それで、もっともなことを言われる。意表をつき、その上で信頼させる。そして、強い口調で後押しする。すぐに行動に移す方は稀ですが、なんどもそうやって重複して訴えかけると、頼ってこられるようになる方も。お嬢さまは瘴気も少ないから、効きがいいのだと思います」
「わたし、これからも、いつの間にかアイラの言霊に、はまっていたりするのでしょうか?」
彼は、微妙な顔をする。
「アイリーン術師は柔軟で腕がある。そして度胸もある。目的のためにはためらわない気概も感じます。瘴気の少ないお嬢さまと、相性が悪いと思います。
そうですね……。では、私が〝まじない〟をかけましょうか? 呪術ではありません。瘴気は使いません」
「かけてもらったらどうだ?」
ロサが言う。
「呪術でもなく、瘴気も使わないなら、いいのではありませんか?」
兄さまも言う。
「あの呪術師が怖いなら、寝込んだとでも言って、もう会わなければいい。あとのことは私たちに任せれば」
アダムが言った。
それは嫌だ。
アイラの言う通りにしていたり、頼っていたりするのも怖いけど、売られた喧嘩をただ人に解決してもらうのも嫌だ。それも、探れる機会を自分で蹴って。
「泣きごと言ってごめんなさい。知らないうちに術をかけられたと思ったら、ものすごく怖くなってしまったの。もう、大丈夫。でも念のため、トルマリンさん、まじないをお願いします」
彼は頷き、わたしの両手を取った。
そして、聞き取れなかったけど、何か唱えた。あの魔物の寝息のような不思議な音を出す。
「お嬢さま、その方と話すときは、親指を軽くでいいから握ってください。そうすれば、言霊に惑わされることはありません」
親指を握っていれば、アイラに惑わされることはない。ほっとした。
「ありがとうございます」
「それにしても、呪術だけではなく、呪符を作ったりもするし、まじない、それから言霊、呪術も多岐に渡るのだな」
アダムが腕を組んでいる。
そんなアダムを見上げ、トルマリンさんは言った。
「……皆さまは、呪術の成り立ちをご存知ですか?」




