第678話 彼女のはかりごと⑬乗り換えなさいませ
決意したサマリン伯が颯爽と部屋から出て行って、わたしはふたりに明日からの予定を話す。そろそろアイラに依存していかないとだから、みんなとの接触を絶っていくことを。夜は地下基地で会えるから問題はないと思うけど、他に話しておくことはないかと思いを巡らせる。
わたしたちの三角関係については、アダムとわたしには溝ができたと話をもっていくことにした。
『あれは言わなくていいのか?』
もふさまに言われて聞き返す。
「あれって?」
『フランツの父と音の師匠に、繋がりがどうとか言っておったろう?』
ああ、前バイエルン侯とキートン夫人に共通項があるんじゃないかって話ね。
わたしはその話をアダムたちにしてみた。
ふたりとも鼻や口に握った片手の人差し指を当てていて、同じポーズだったので笑ってしまった。
ふたりはわたしが急に笑ったので驚いている。なんでもないと終わらせる。
「その可能性も……、フランツにも聞いてみよう」
わたしは頷いた。
「先ほどのメイドのことは何かわかったのですか?」
「女が入れようとしていたのは眠り薬。弟が拐われ、これをお遣いさまの飲み水に入れたら弟を返すと家に封書があったと言っている。……弟は行方不明。それ以上のことはわかっていない。女がどこかの団体に与しているのかもまだ不明だ」
とばっちりで巻き込まれたのなら、気の毒だ。
もふさまを眠らせ、わたしと引き離すのが目的なのかな?
考え込むと、ロサに頭を撫でられた。あまり悲壮になるなと言いたげに。
アイラの就業時間は残り30分ぐらいか。
その頃また迎えにくるとアダムたちは言って、多分、アイラは耳をおかしくしていると思うけど、何事も気づいていないフリをするよう念を押され、わたしは頷いた。
アダムとロサが出て行って、アイラとレオが入ってきた。
「アイラ、具合が悪いんじゃない? 顔が青いわ」
本当に顔色が青かったので、声をかける。
「いえ、なんでもないです」
「もう休んでもいいのよ。もともと後30分もないわ、あなたのお仕事の時間は」
「ありがとうございます。でも本当になんでもありません。さっきのメイドのことは何かわかったのですか?」
「お遣いさまの飲み水に眠り薬を入れようとしていたみたい。あとのことはまだよくわかっていないそうよ」
アイラは眉を八の字にした。そうですか、と頷いてから調子を明るく変える。
「王子殿下たちとお話は十分できましたか?」
えっと、アダムと亀裂が入ったんだから。
視線を落として見せる。
「リディアさま?」
「ゴットさまは猫をお嫌いではないそうよ。でも……ずっと猫だったり、人だったりするならなんでもないけれど、隣で眠っていたのに、起きたら妻が猫になっているのは、気持ちが追いつかないっておっしゃっていたわ。
呪いで一度だけ変化したのならいいけれど、わたしがこれからも猫になるかどうかはわからない。どうしても生理的に受けつけないってことってあるわよね。……わたし誰とも婚姻できないかもしれないわね……」
「リディアさまぁー、そんなことないですわ。第2王子殿下は? 第2王子殿下も変化するのは嫌だと?」
「ロサさまは慰めてくださるわ。ゴットさまのことも、連れ添っていれば、気持ちも変わっていくとも」
「……リディアさま、乗り換えなさいませ」
へ?
わたしは素で驚いた。全てを取っ払った、身も蓋もない発言に。
「長く連れ添って変わっていくこともあります。でも、第1王子殿下は〝変化〟に忌避があるのでしょう。そういう根本の思いは変わっていくことはありません。本当にリディアさまのことを思ってくださっているかは、そういうリディアさまが本当に困った時にわかることです。呪いを受けたり変化して一番傷ついているのはリディアさまです。その時に優しくしてくださったのはどなたですか?」
素直にストンと心に落ちてくる。それは真理だからだ。
トカゲになった時もだけど、わたしが呪われたり、悪評が立って追い込まれている時、優しくしてくれた人たち……。
みんなだった。誰も気持ち悪がったり、火のないところに煙は立たないとばかりに辛いことを言われることもなく、とばっちりを食うかもしれないのに、みんなが寄り添ってくれた。
今悪者にしちゃってるけど、アダムも。そしてロサも。生徒会のメンバーも。……兄さまも。心配して、そして助けようとしてくれている。
目尻が熱かった。
「……リディアさま……。ええ、おっしゃらなくてもいいんです。胸の中でわかっていれば。その方を大切にするのです。その方の胸に飛び込むのです。後は王子殿下が全てうまくやってくださるでしょう。リディアさまのすることは、第2王子殿下の胸に飛び込み、気持ちを伝えることだけです」
「アイラはどうして、そんなにわたしのことを思ってくれるの?」
「リディアさまを思ってのことではありません。あたくしにはわかっていることがひとつあります。〝不幸〟って連鎖するんです」
「不幸の連鎖?」
「はい。リディアさまは乗り換えることを酷いと思われたんでしょう? そういう顔してました」
うん、ちょっと言葉の威力で、酷いことのように思えた。
「でも、リディアさまが被害者ヅラして第1王子殿下と一緒になっても、いいことなんかひとつもありません。それを許容したことで今度は加害者ですよ。第1王子殿下こそ真の被害者になります」
被害者ヅラって、あんた……。面と向かってよくもまぁ。
「そうやって妥協したふんわりとした幸せは、向き合ってないゆえに仮初の幸せ。すぐに本来の姿を取り戻して不幸となり、その不幸は連鎖するんです。第1王子殿下を不幸にします。第1王子殿下の幸せを、リディアさまが踏みにじろうとしているんです!」
「わたしがゴットさまを不幸に……?」
「そうです。気持ちが第1王子殿下に向いていないなら、改めるべきです。貴族同士の婚姻は気持ちだけではどうにもならないものと知っています。でもリディアさまの次のお相手もまた王子殿下。天が味方をしてくれているようではないですか。天の采配です。この乗り換えは何の問題もなく、そしてみんな幸せになれる方法です。リディアさま、第2王子の手を取るんです! 胸に飛び込みなさい!」
ワン!
ハッとする。
もふさまが尻尾を振っている。我に返る。
……わたしドアに向かってた……。
「リディアさま、どうなさいました?」
後ろからアイラの声がする。
心臓がバクバクしている。わたしに術はかかってないはずなのに。
わたしは魔石のかけらを口にしていないはずなのに。
ここにいたくない。
わたしは部屋を飛び出した。
続き部屋から廊下に出る。部屋の前の衛兵が出てきたわたしを見てギョッとしている。
『リディア、どうした?』
人がいるからもふさまに答えることはできない。
そしてわたし部屋着だ。部屋着で外に出た。それも王宮で。
でもアイラのいる部屋には戻りたくない。足がもつれる。
「リディア嬢? どうした?」
ロサだ。
「リディアさまぁ?」
後ろからまた、アイラの声。
図らず、ロサの胸に飛び込む形になる。
「……リディア嬢?」
ロサの服を握りしめる。
ロサがわたしを抱き上げた。
「私の部屋に行こう」
わたしにそう言って、アイラと衛兵に声をかける。
「リディア嬢は私が預かる」




