第664話 トルマリンの懺悔③お願いと取り引き
トルマリン氏がいきなり床に土下座をした。床に頭を擦り付ける勢いで謝った。
「申し訳ございません。申し訳ございません。私は術師でありながら、それまで術のことをよく考えたことがなかったのでございます。
術による人の生死も、呪ったり呪われたりする者が悪いのであり、自分は仕事を請け負っているだけで、それ以上のことは考えたことがなかったのでございます」
顔をあげずに、トルマリン氏は続ける。
「7年前、ある依頼を受けました。依頼人が亡くなったと聞きました。その後から、私は呪術を行おうと思うと、身体中が痒くていてもたってもいられなくなりました。術ではないけれど、呪い返しをされたとのだろうと、他の呪術師から言われました。呪術ではないから解呪も効かないと。
それから私は、私にこの術ではない何かで呪い返しをした人を探しました。恐らく時期的に、その亡くなった依頼人のお相手だと思いました。呪術の依頼は秘密裏にやるものゆえ、依頼人の名前も、術が送られる先も私は知りませんでした。でもどうしても呪い返しを解いてほしくて、私は依頼人を探しました。
依頼人を突き止めるまでに2年をかけました。そのお相手を知るのはまた容易ではなく、さらに時間をかけ、その相手がシュタイン伯夫人だったと知ったのです。夫人は光の使い手。夫人が私に呪い返しをしたのだと思いました。
呪術を使えなくなって。そして使えないながらも調べていくうちに、呪術の恐ろしさ、それから私が浅はかだったことを理解しました。呪い返しを受けたのは当然だと思いました。
でも、私は呪術しか知らなかった。呪術以外のことは全く知りませんでした。呪術にしがみついているしかなかった。
呪術とかかわり、呪い返しを解く方法を探していました。
そんな時、シュタイン家のお嬢さまが呪術で困っている話を聞いたのです。もしお嬢さまに何かお手伝いができたら、シュタイン夫人に呪い返しを解いてもらえるのではないかと思ったのです」
「呪い返しを解いたら、あなたはまた人を呪うの?」
尋ねると、ゆっくりと彼は顔をあげた。
「呪うこともあるかもしれません。でも、呪術にはいいところもあるのです。呪術で救えることもあるのです。信じていただけないとは思いますが、私はこれから、私の信じられたものにしか呪術を使わないつもりです。命をかけて判断をするつもりです」
「……そうなのですね。それでも、わたしには呪術の良さはわかりそうにありません」
そういうと、彼は視線を落とした。
「家族とわたしは、呪術に翻弄されていますから」
そういうと、彼はハッとしたように顔をあげた。
「わたしは元々瘴気が少ないので、身体に瘴気が残っているのは厳しいのです」
そう伝えれば、彼は重たく頷いた。
「あなたに呪い返しをかけたのは、母ではなくわたしです。あなたの呪いを解くのはわたししかできません。ですから、父と母に会いたいという願いは取り下げてほしいのです。とりわけ母に近寄ってほしくありませんし、あの呪術を編んだのがあなただということも伝えないでほしいのです。母に知ってほしくありません」
彼は視線を落とした。
「はい。重ねて申し訳ございません。伯爵夫妻にお会いしたい願いは取り下げます。また私の気持ちを優先して、ご家族を傷つけるところでした」
うなだれている。
「……ここまでがお願いで、ここからが取り引きです」
「と、取り引き?」
「あなたにやってもらいたいことがあります。それを叶えてくれるというなら、あなたの呪いを解きます」
彼は目を見開いた。そして顔をくしゃっとさせた。
「私のやることを先にお聞かせください。受けるかどうかは、それを聞いてからでないと判断できません」
彼はこれからの物事に対する姿勢を見せてくれた。けれど、少し、悪ノリする。
「わたしはユオブリアの第1王子殿下の婚約者です。取り引きとせず、あなたをどのようにでもすることができます。もう一度聞くわ。わたしの願いを叶えてくれる?」
「呪いを解き、私の呪術で何かをお望みなのですよね? でしたら、内容を聞いてからではないと、私はお受けできません」
「あなたが無礼を働いたと、一生強制労働させることもできるのよ? わたしがそう言ったら、わたしの婚約者がそんなまどろっこしいことをせずともと、あなたの首をはねてしまうかもしれないわ」
「申し訳ございません。内容を聞いてからではないと、お受け致しかねます」
「……わかったわ」
しばらくして、へ? 聞き違い?という感じに、そろそろと彼は頭をあげた。
「今から、あなたの呪いを解きます」
「え?」
わたしはトルマリン氏に向かって掌をむけた。
確証はなかった。でも、できない気もしなかった。
目を閉じ、心の中で呟く。
わたしのギフト・プラスにプラスする。その名はマイナス。
目を開けると、わたしの周りにいろんな色が乱舞していた。
彼もいろんな色で構成されていて、胸のあたりのある色がわたしが加味したものだとわかる。
わたしが彼にプラスした、呪術を使おうとすると痒みとなって反応する工程をマイナスするよ。
彼の中からその翠に似た色が身体を巡って排出される。
マイナス、できた。
少し疲れを感じて、目を瞑る。
『リディア、大丈夫か?』
『リー、大丈夫?』
もふさまと、トルマリン氏の偵察隊だったアリが気遣ってくれる。
「解けました。あなたはもう呪術が使えるはずです。試してみては?」
彼は恐る恐る、親指と人差し指を擦り合わせる。すると水の球が浮かんだ。
驚愕の顔が……涙いっぱいになり、また床に頭を擦り合わせた。
「ありがとうございます。ありがとうございます。でも……なぜ?」




