第633話 王子殿下の婚約騒動③ポーカーフェイス
「リディア嬢、ごめんね」
アダムは歩きながら言った。
「(なんでアダムが謝るのよ)きゅきゅきゅっぴ」
あ、通訳のもふさま、いないんだっけ。
「急な変更で、君に聞かせなくていい言葉を聞かせた」
聞かせなくていい言葉?
あ、獣憑きか。
何でもないよと言おうとして、また気づく。
確かに衝撃を受けていた。言葉がどうとかじゃなくて、侮蔑だって心がわかったんだ。心が感じるんだね、侮辱されたと。
最初トカゲになっちゃった時は、どうしてトカゲに?と思ったし、戻れたからそう思えるのかもしれないけれど、そのおかげで死を免れたし、このスキルに感謝している。
だから今、トカゲになることに忌避はないけれど。忌避する側の気持ちもわかる。ただ侮辱されるって、直に心にくるんだなと思った。
そりゃ侮辱が痛みとなることは知っていた。それこそ容姿やら能力やらでいろいろ言われてきたし、落ち込んだことももちろんある。でもそれは自分自身のことだから当たり前だと思っていた。
だけど化身はスキルだ。わたしが身につけようと思ってしたことでもないし、わたしが選んだことでもない。だからそれについて何か言われても、わたしのせいじゃないっていうか、別物と自分の中で区分けされるかと思ってた。だけど言われてみれば、心がギュッとした。
ああ、だから母さま、父さまからしつこいぐらいに嫌な思いをすると説かれたのだなーと思い当たる。
「(大丈夫だよ)きゅぴっぴ」
アダムはわたしを見て、少し哀しい顔でわたしの頭を撫でた。
そのアダムが急に緊張して、振り返る。
3人の人影。
「道をお尋ねしたかったのだが……。これは、ユオブリアの第1王子殿下とお見受けする。我はガイン・キャンベル・ガゴチ。お初にお目にかかります」
知ってる声だ。首を微かに伸ばして見てみると、銀の短髪、ガゴチ将軍の孫だ。後ろのふたりはお付きの人。右側はやはり青い短髪の人で、左側は暗い赤の長髪の人だった。
「……こちらに迷い込まれるとは、おかしなもの。規制地区に他国の要人がいたとあれば国際問題にも発展しましょう。ここでは会わなかったことにして差し上げます。挨拶は再びまみえた時に」
「貸しを作るとおっしゃるか」
ガインの声が、聞いたことのないほど尖っている。
「ことを大きくするのをお望みでしたらそうしましょう。謁見も……来年度の入園もない話となりますが、よろしいか?」
え。その方が良くない?
わたしは打算的なことを考えた。
「なるほど。噂とはあてになりませんね」
ガインはそう言って、クスリと笑う。
はい?
アダムを見上げれば、スッと目が細まった。
「陛下との謁見の後、あなたの時間をいただきたい」
え?
「私は話すことはありませんが?」
アダムははねつける。
「あなたの探している方の、居場所を突き止めております。自分から利用されることを選んだようだが、危険が迫っている。このままだと、あなたの前に姿を現す時、全く違う彼女になっていることでしょう」
彼女? それって……。
アダムはポーカーフェイスを貫いている。
けれど、微かにソックスを抱く手に力が入った。
「私は何の取り引きにも応じません。……私はご存知の通り幽閉の決まっている身。伴侶以外は持つことを許されておりません。ゆえに取り引きできるようなものがないのです。では」
黙礼をし、身を翻そうとすれば。
「待たれよ。なぜ幽閉の道を選ぶ? 他にも道はありましょう?」
ガインの感情の入った声だ。
「初めてお会いする方が、私の何を知っているというのか」
アダムは口の端に、薄く笑みを浮かべる。
「私の嫁と決めている者が、何やら巻き込まれているのでね。回避するのにあなたの協力がいるのです」
アダムの目がますます細まった。
「そうするには、あなたは少し遅かったようだ」
アダムは身を翻した。
「それはどういうことだ?」
今度アダムは、歩みを止めなかった。
少し黙って歩いてから、唐突に言う。
「あの者は、君を本気で娶りたいと思っているようだね」
「(怖いこと言わないで)ぴきゅっぴ」
「王宮に来たのは、陛下への謁見ではなく、僕に用事があったのかもしれないね。今日のは〝見定め〟だ」
もし言葉が通じたら、いくつも聞きたいことがあるのに。
「彼は残念だったね、一足遅かった。君は僕の婚約者になったから」
アダムはガインの言った〝嫁に決めている者〟をわたしだと思ったようだ。
「ガゴチは武力の国と言われ、それも間違っていないけれど、情報戦も得意なんだ。隠密部隊がいて、様々な情報を探ってくる。そして取り引きを持ちかけ、自分たちの都合のいいような状況に追い込むのが上手い。弱味となる情報を山のように握っているときくよ」
そんな話をしているうちに、結界の中へと帰ってきた。
「お帰りなさいませ。問題はありませんでしたか?」
「いろいろあったよ。私は陛下のところに戻らなくてはならない。お遣いさまはシュタイン伯を守っているようだ。彼女たちを頼む。君もだけど、絶対にここからでないでくれ」
兄さまはひと礼する。
「承知致しました」
アダムはソックスごと兄さまに預け、わたしたちをひと撫でし、また玄関から出て行った。




