第608話 死人に口無し
『リディア、それは楽しいのか?』
「楽しそうに見える?」
わたしは、パン生地をまな板に叩きつけ、引き締めながら、もふさまに尋ねた。
『いや、どう見ても楽しそうに見えないから聞いた』
「ええ、楽しくないわ! でもハラワタが煮えくりかえりそうなの。何かに八つ当たりしたいけど、それじゃパワーの無駄遣いでしょ? こうやってパン生地を引き締めるなら、パンもおいしいものになるし、合理的だと思ったのよ」
『合理的かもしれないが、もう寝た方がいいんじゃないか? 明日は王宮に行くのに、朝早くから支度をするのだろう?』
うーーー、その通りなんだけど。
もうパン生地は、十分引き締まってるね。
「そうだね、寝よっか」
わたしはバットの上にまあるくまとめたパン生地を乗せ、濡れ布巾をかけ、そのまま収納ポケットへと収めた。
割烹着を脱いで畳み、椅子の上に置く。
「ソックスは?」
『とっくに寝ている』
だよね。ああ、もう23時だ。
陛下との話し合いが13時。クジャクのおじいさまが迎えに来てくれるのが10時。6時起きで支度することになっている。陛下との秘密裏の謁見なので、着飾らなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、そういうわけにはいかないらしい。
わたしの死亡説が出たものの、シュタイン家からの反応はなし。そしてシュタイン家の知り合いも固く口を閉ざす。
呪術師たちは、わたしが死んだと確信を持ったみたいだ。
彼らは噂を次の段階へと発展させた。彼らは死人に口無しとばかりに、わたしに罪を被せ始めたのだ。
メロディー嬢のネコババ、コホン、公費着服事件。それはわたしがやらせたもの、らしい。
リディア・シュタインは、第1王子に懸想していたそうだ。その婚約者であるメロディー公爵令嬢を羨んだ。そしてどうすれば第1王子に近づけるかを考えた。
最初は婚約者であるメロディー公爵令嬢に近づく。
リディア・シュタインはコーデリア・メロディーを第1王子殿下の婚約者から引きずり下ろすために仲良くなり、その耳に囁いた。資金をもっと増やしたら第1王子さまはお喜びになるだろうと。そして彼女の能力を褒め称えるに違いないと。コーデリア嬢に与えられる、結婚資金を元手として商売をし、増やせばいいと、ペネロペ商会を紹介する。
街に一緒に買い物に行くぐらい親密になり(1回しか行ってないけどね!)、メロディー嬢はだんだんわたしを信頼するようになった。
最初は乗り気ではなかったメロディー嬢も、商売で儲けが出るようになると、王子のために資金を増やせると夢中になった。さらに多くしようと資金を注ぎ込んだところでリディア・シュタインはペネロペ商会を潰しにかかる。元々、リディア・シュタインが仕掛けた商売だ。商売がうまくいっているように見せかけるのも、潰すのもお手のものだった。コーデリア嬢の資金は全てが泡となって消えた。それが発覚して、コーデリア嬢は国外への追放となる。
一時期仲良くなっただろうわたしが、その後メロディー嬢と言い争いをしているのは、殿下のお茶会や学園で目撃されている。仲良くなったとことで突然牙を剥いたと聞いたときに、そんな様子を見たかもしれないと人々は思ったようだ。
コーデリア嬢を追い込むことに成功した、リディア・シュタインの次の標的は自分の婚約者だった。第1王子と婚姻を結ぶには、婚約者が邪魔になった。そこで、元婚約者が犯罪者と似ていることを利用して一芝居うつ。自分の出版本の記念パーティーで元婚約者を吊し上げた。証拠は出なかったので元婚約者が裁かれることはなかったが、婚約者は身を引いた。裏で手を回し、それでいながら世の中がそう動いていったのだとばかりに、自分の思い描いたシナリオに現実を変えていく。リディア・シュタインは12歳にして、稀代の悪女と噂がたった。
そんな噂に肉付けがされ、真実味が加わったのは、噂を面白いと思ったのか、それとも計略なのか、名前を変更されただけのお芝居が公演されたからだ。陥れられる悲劇の公爵令嬢の物語は、王都で大人気! 誰だか知らないけど、なかなかのエンターテイナーだ。お芝居ではあるけれど、実際の出来事が所々重なって、誰を当てはめ、思い浮かべるかは言わずと知れたこと。余談だが、その結末、陥れた伯爵令嬢は全てを詳らかにされ、断罪され惨めったらしい最期を迎える。
そのお芝居により、噂でしかなかったことが、まるで誰もが目にした事実のように、広がっていったのだ。
この噂で思い浮かべる、メロディー家、シュタイン家、バイエルン家はノーコメント。無言を貫いている。
一瞬、呪術師の裏に国外追放されたメロディー嬢がいるのかと思ったけど、メロディー家が話にのっていないことから、違うのかなとも思うし、ずっと注視していたペリーにも動きはなかった。現時点では、メロディー家もコマにされているだけという見通しが強い。メロディー嬢の作戦としては違和感しかないってのが一番大きいけれど。
噂は海を渡った外国にも届き、主にわたしに婚約を望んでいた人たちが、ユオブリアという国に問い合わせを始めた。ここまで広がってしまうとというか、陛下から釈明しに来いと連絡が来てしまったのである。
新学期がもうすぐ始まる。学園を休みたくないから、ちょうどいいって言えばちょうど良かった。動きがあるのをひたすら待つには、苦しくなっていたから。
噂が出た時、そしてお芝居のストーリーを聞いた時も、怒りが込み上げた。客観的に考えるようにした。もちろんそれで落ち着けるはずもなく。考えないようにしてきた。けれど、明日は王宮に行き、向き合わなければならない。そのために思い出して、また怒りが再燃焼だ。
でも奇妙でさ。
わたしに呪術を施したってことは、わたしを亡き者にしようとしたってことだ。シュタイン家か、わたしという存在が許せない。だからコトを起こした。納得はできないけど、それはわかる。
でもじゃあさ、罪を被せる意味は何? それも追放になった令嬢は唆されていただけって、誰得なの? メロディー家の? もし唆されたとしても、行動を起こしてしまったのは、結局のところ愚かしい令嬢だったからだと記憶に残る。平民には可哀想な悲劇の令嬢と思えたとしても、貴族の評価は違う。誰かがメロディー嬢の知らないところで着服をしたってのなら、何も知らなかったのだということになると思うけど。
たとえ唆されたのだとしても。メロディー嬢が手を汚したことは変わりがないからだ。だから自分で着服を考えたよりは、唆された方が外聞はいいかもしれないけど、愚かさの軍配が上がってしまう。
兄さまのことにしてもそうだ。わたしがそんな騒ぎを起こし、兄さまを思い通り婚約者から外す。これだって、少しばかり兄さまがひどい目にあって可哀想と気の毒がられはするだろうけど、それだけだ。誰の、何の得になるっていうんだ?
死んでから、わたしを貶めたい? それこそなんの得があるの?
意味がわからないから、余計に腹立たしい。
あー。考えるとイラつくから、考えたくないのにっ!
布団の中でもふさまに抱きつき、考えない考えないと唱えても、なかなか眠気は降りてこない……。怒りを止めると、ふとネガティブな気持ちが浮上してくる。
わたしはそんな噂のようなことは一つもしていないけれど、もししていると思われたら、牢屋に入れられるのかな? わたしだけの問題では済まなくて、父さまたちにも何かあったらどうしよう? 父さまは堂々としていていいんだというけれど、わたしの中では怒りと不安が渦巻いてくる。
陛下もうちだけに聞くってことはないだろう。
後の2家がわたしのことをどう言っているかで、陛下の印象は変わってくるだろうし。父さまと知っていることは話そうということに結論づいているけれど。
あーあ、謁見はどうなることやら。
考えないようにしても、不安と苛立ちでなかなか眠ることはできなかった。




