第592話 君の中のロマンチック②スッポン……
ぬくい。
「気がついた?」
……笑った。憂いなく。アイスブルーの瞳を緩めて。
「ふふ、目がおっきいなー。君、ひとりなの? 冬眠から起きたばかりで、まだぼーっとしてるのかな?」
に、兄さまだ。夢じゃない。本当に兄さまだ。
兄さまの手の中で、あたためてもらっていたみたいだ。
「わたしの知ってる子と同じ瞳だから、よろよろしている君を放っておけなかった」
……………………。
「お腹空いてる? 虫かな、食べるのは?」
わたしは我に返って、ブルブルと首を横に振った。
「え、首を横に振った? 君、私の言葉がわかるみたいだね」
クスクスと兄さまは笑う。
「仲間が今偵察に行ってるから、虫は取れそうもないんだけど、これ食べるかな?」
お、パンとハム?
わたしはアムアムと頬張る。
「よかった、パンが食べられるんだね」
兄さまは硬めの葉っぱに数滴水を垂らしてくれた。魔法の水だ。
わーい。と水をピチャピチャ飲む。
ありがとうと言ってみたけれど、副音声のように「キュー」と聞こえるだけだ。
でも兄さまは、まるでわかったように
「どういたしまして」
と言ってくれた。
クイとベアが戻ってきたら、話ができるかもしれない。
うう、それにしても室内でないとやはり寒いもんだね、とチラチラ見ていたら、兄さまが胸ポケットを叩いた。
「寒いのかな? ここに入る?」
わたしは頷いて、ポケットにおさまった。
あーー、最高にあったかい! やはり寒さは敵だ。さっき兄さまは冬眠から起きたばかりと言っていたから、野良トカゲは冬眠するのかもしれなかった。
「狭くて苦しくない?」
「ピーーー」
「本当に君、言葉がわかっているみたいな気がするよ」
わかってるよ。
クイたちが帰ってきたら通訳してくれるだろう。そしたら兄さまはどんな顔をするだろう。トカゲに向けてくれた優しい眼差しとは違う、迷惑顔になるのかな? 兄さまはわたしと会ったことに、拒否反応を起こすかもしれない。
でもこれは本当に偶然なんだよ。姿を変えて、会いにきたわけじゃない。でもでも頼み込んで、クイかベアに農場まで連れて行ってもらおう。あの場所で見知ったいくつものことをみんなに報告しなくちゃ。
トカゲの記憶力が心配だ。
なんかすっごくいろんなこと聞いたんだけど……。
そう、農場の主人は兄さまを犯人に仕立て上げるつもりだと。
でもそれもジャックたちがそう思っただけかもしれないけど……。
あいつらと兄さまを近づけちゃいけない。
ポケットの口が開く。兄さまが覗き込んでいる。
「私はここから移動するんだけど……君、どうする? 一緒に来る?」
「(お願いします!)ぴーーー」
うんうん頷きながら言うと、兄さまは軽く笑う。
「本当にわかっているみたいだな。ちょっと移動するよ。寝てていいからね」
馬に乗ったみたいだ。いい具合に揺れる。
いつの間にか揺れていなかった。と思って首を出してみると、辺りは薄暗く、焚き火がたかれていた。スープを作っているみたいだ。
「スープの匂いで起きたのかい? 食いしん坊なところもそっくりだ」
違うもん。食いしん坊じゃないもん。
兄さまはクスクスと笑っている。笑いながらも小さめのお皿にわたしのスープを用意してくれた。
う。これは食べるの難しい。お皿に手をかけたら、重みで傾いて中身をこぼしてしまう気がするし。
どこも同じ条件なのはわかっているのに、どこか食べられる場所はないかとぐるぐるしてしまう。
兄さまがわたしを掬い上げた。そして大きなスプーンをわたしの前に差し出す。
「ほら」
「(ありがとう)キューー」
スプーンに首を突っ込んでスープをいただく。
温かい。お腹にじんわりとくる。
お、葉物野菜も柔らかくなっている。
あっという間に飲み干すと、もう一度スプーンを掲げてくれた。
お肉も入っていて大満足だ。
「(ごちそうさまでした!)きゅっ」
ペコっとして顔の手入れをする。
兄さまの手の上だけど。
「あれ、もういいの? 少食だね」
わたしは膨れ上がったお腹を叩いた。ポンと軽いいい音がする。
兄さま、すっごく笑ってる。
「私は家族が多かったんだ。いつも誰かが話していて、とても騒がしかった。学園で寮に入ってもやっぱり騒がしい奴がいて。私は自分の口数が少ないから、騒がしいのは好きではないと思っていたけれど、そんなことはないようだ。今相棒たちが偵察に行っていて、私はとても淋しかったらしい。君の存在にこんなに救われている」
……兄さま。
兄さまは自分の鼻先とわたしの鼻を合わせた。親愛の情を見せるように……。
ここにいるトカゲがわたしじゃなかったら、違うトカゲに兄さま、こんなことしちゃったわけよね。一瞬、トカゲにそんな告白しちゃうのは、兄さまが追い詰められているように感じて案じもし、でもそれより大きく、自分以外の〝誰か〟が兄さまに寄り添うのは悔しく感じる。それがトカゲでも……。
ペタペタと兄さまの鼻を触ると、兄さまが笑う。
「はは、くすぐったいよ」
と、兄さまが顔を微かに横へと振った。
わたしはその動きの煽りを受け、足を滑らせて、その下にあった口に顔をぶつけた。
柔らかい口にわたしの口が当たり。
え。トカゲの姿でキスしちゃったよ!
兄さまの目がまんまるに見開かれた。
「なっ」
顔が朱に染まる。
トカゲとキスしちゃって、嫌だったのかしら。そりゃ嫌よね。
「ごめん、滑って……」
ん? 自分の声が耳に届く。
あれ? 手で顔を触る。硬い皮膚じゃなくて、人みたいな……もしかして。
手が人の手だ。ちびっちゃいヌメっとしたものではない。
「人に戻った?」
わたしは立ち上がって自分を見る。背中を通り越し腰に届きそうな髪もある。
戻った、人型に戻ったんだ! スッポンポンだけど!
スッポンポン?
え? 〝真っ赤な顔した〟兄さま……だった。
わたしは自身を抱え込む。
「見ないで!」
消えてしまいたいとばかりに、しゃがみこむ。
わたしに、兄さまのマントがふわりと、後ろからかけられた。




