第560話 〝その時は〟
「その前に聞くけど、君に覚悟はあるの?」
え?
「私は王子だ。アイリス嬢は、聖女候補。君はただの伯爵令嬢。お遣いさまに守られているかもしれないけど、それは学園で暮らす間だけだ。その加護がなくなったら、君はとても与し易い標的となる。
シュタイン伯が勢力を伸ばしたのも、親戚の方々が名乗りをあげシュタインの後ろ盾になると知らしめたのも、君たちがとても危うい立場にいるとわかっているからだ。守られているから自由でいられる君が、国を敵に回すような者と対峙していけると本当に思う? 守りきれなくて何かを無くすかもしれない覚悟はあるの? 足を引っ張らずに、やっていける余力があるの?」
正論だった。まさに言い当てられていて、ぐうの音も出ない。
挑む覚悟はある。けれど、わたし自身が何も持っていないのはその通りだ。
権力は父さまたちから、わたしの強みとなる人外からの情報も、もふさまやもふもふ軍団頼り。その声が聞こえるだけで、わたし自身はちっぽけだ。
泣きたいぐらいの気持ちになる。
「あるといえば、認めてくれるの?」
覚悟のことだけを言っているんじゃない。この件に関わる力量が自分にあると思っているのかと問われている。でも、そう尋ねてしまった。
ロサに排除されようとしている、そんな気がしたから。
「君はまだ1年生の女の子だ」
「いくつだって関係ない。終焉の時は近づいてきているの!」
「来年度はガゴチ将軍の孫が学園に入ってくる」
「そんなの別に……」
「この間はワーウィッツに狙われた。学園内でもA組に目をつけられた。そんな君が、自分のことで手一杯な君が、世界のためにできることがある?」
勢いで立ち上がっていた。
もふさまはシュタっと下に着地してわたしを見上げる。
ロサは冷静にわたしを見ている。
わたしはそのまま、生徒会室から走り出た。
『リディア、どうした?』
もふさまが走ってついてくる。
池まで来て、誰も周りにいないことを確かめ、わたしは絶叫する。
「悔しーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
『リ、リディア……』
「そりゃそうよ、守られまくりよ。学園内や領地では無敵に近いけど、それを見せられないのが残念だわ。それに限られたところだものね、もっともよ。王族や爵位が上の人たちには歯が立たないわよ! 聖女候補でもないんだから、権力には弱い部分もある! そんなのわかってるわよ。じゃあ、弱いからって何もするなっていうの? ユオブリアの未来や、世界を心配しちゃいけないの? 何かしちゃいけないの? できないって言いたいのね。わかるわよ、そうでしょうね、そうなんでしょうとも! でも……できるかもしれないじゃない。できないでいたら、何かを失うかもしれないじゃない。できようができまいが、やっていくのが人ってもんでしょう?」
もふさまを見れば、視線をそらす。
『我は人ではないから、それはわからないが』
ああ、もふさま人じゃなかった。
『そう泣くではない』
もふさまは涙が苦手って言ってたっけ、だからこんな距離をとっているのか。
すんすんと鼻をすすっていると、もふさまが迷ってから忍び寄ってきた。
『あの小僧は、リディアを危険な目に遭わせたくないのだろう』
「そんなの!」
『リディアを吐かせていた時、イセンジョウと言ったか? 医者がリディアに管を入れていた時、あの小僧は必死で、そして辛そうだった。見舞いにきた時も、痩せ細ったお前を見て胸を痛めていた』
………………………………。
『どこぞの王族が何かを企んで屋敷にきた時も、お前を助けるのに全力で立ち向っていた』
わかってる。ロサがどれだけのことをしてくれて、わたしのことを本気で心配してくれているのも。
でも……でも……。
『我も考えたのだが、今、お前がすべきことは、世界のことまで思いを馳せるのではなく、身近なことをなんとかするべきではないのか?』
「……身近なこと?」
尋ねれば、子犬姿のもふさまはコクンと頷く。
『ガゴチだったか? あの国の情報を、もっと集めておいた方がいい。なぜこの国に留学してくるのか、だな。
それからペネロペが、裁判以降おとなしい。あれも気にかかる。領地をあのペリーとかいう少女を使って調べていたんだろう? 何もつかめなかった? いや、我はそうは思わぬ。何かつかんでいてもう整っているのではないか?
あそこまで表に出ず裏で策を練っていた令嬢が、どうして簡単に証拠をつかませ、国外追放になった? もう、やりたいことは終えたからじゃないのか? 今はその時期を待っているとしか思えん』
……確かに、往生際の悪さはビルダの上をいきそうなペネロペが、裁判の結果を受け入れ、領地から撤退したのはおとなしすぎる。
それにメロディー嬢。たった今着服して、それが見つかったならわかるけど。ずっと前からだよね、着服は。今まで見つかってなかったのに、見つかった。
それは隠さなくなったから。……見つかってもよくなったから。やりたいことは終えたから……。そうも考えられる。
『リディアは今、世界に目を向ける時ではなく、そっちに集中するべきではないのか?』
「……そうだね。もふさま、ありがと。冷静になれた」
すくっと立ち上がるともふさまが言った。
『どうした?』
「行ってくる」
『どこに?』
「謝りに」
挨拶もせず、そのまま感情に任せて出てきてしまった。
時間を置くと謝りにくくなる。わたしはただ謝らなきゃという思いに突き動かされて、また走り出す。後ろをもふさまがついてくる。
生徒会室について、荒い息のままにロサ殿下はいらっしゃるかと尋ねれば、ロサがすごい勢いで部屋から出てきた。
「どうした?」
わたしをグイッと部屋の中に引っ張り入れて、わたしの背後を気にする。
どうしたって……。
あ。突き放そうとしているって感じたけれど、それはちょっと違った。
ロサは本当に心配してくれてるんだ。
あんなふうに飛び出したのに、再びやってきたわたしに何かあったのかと、部屋を飛び出してくるぐらい。
「……謝りに来ました」
「謝りに?」
「さっきは急に出て行ってしまってごめんなさい。ロサの言……殿下のおっしゃる通りでした。わたし、身近なことをまず片付けます。それでいつか、そちらに参戦します。そりゃあ何もできないかもしれないけど、何もせずにはいたくないんです。わたしだって、大切なものがいっぱいあるから」
わたしを心配してくれるように、わたしだってロサが大切だ。
紫色の瞳が和む。
「そうだな、その時は、一緒に大切なものを守ろう」
やっぱりロサは、終焉を簡単には信じない公平な目で、けれど可能性を無視するわけでなく、自分は動くつもりだったんだ。
わたしは今は入れてもらえないけれど、力をつける。
だって、やっぱり、大切なものを守りたいから。




