第523話 狐福②群れの掟
「記録を見たって、誰が見たのかしら?」
わたしはなるべく優しそうな声を出してみる。成功しているかはわからないけれど。
「嘘つきには教えない」
子供の喧嘩かっ。
「あなた、わたしに何か話があるから、ここに来たのでしょう? だったら拗ねてないで話しなさいよ」
「す、拗ねてなんかいない! 私はお前に抗議を……」
尻尾と耳がうなだれる。
え。
子猫サイズのレオが、中型犬サイズの狐の首に噛みついた。
狐がギャッと声をあげる。
「レオ?」
『シュシュ族、お前も獣の属性があるならわかっているはずだ。この場で一番強いのは誰だ?』
狐は気の毒になるぐらい、ブルブル震えている。
「せ、聖獣さまです」
『次に強いのは?』
「シードラゴンさまです」
『次は?』
「べ、ベアです」
『次は?』
「ラ、ラッキーバードです」
『次は?』
「ベアの子供たちです」
『そうだ。お前は誰より弱い。お前より強いものたちみんなの頭がリディアだ。リディアがお前が弱っているからと優しくしているから、目をつむっていたが、人に汲みしすぎて掟がわからないのなら、ここから出ていけ!』
……わたし〝頭〟なんだ。
レオは子猫サイズで姿もかわいらしいのに、迫力があった。
狐は震えたまま、何度も頷いている。
「すみませんでした、掟に従います」
レオが狐から離れる。わたしは手を伸ばしてレオの頭を撫でた。
狐はすがるようにわたしを見る。
「先生って何歳なの?」
「27歳だ」
……それで、27なのか……。
『シュシュ族はどれくらい生きるんだ? お前は成人したのか?』
「長老が257歳です。私はあと23年したら成人します」
……子供か。
「わたしに話があってきたのよね? それは何?」
「……怒って来た」
不安そうに、目をパチパチさせている。
またレオに怒られるかと怯えているようだ。
「わたしが嘘をついたと思って、怒って来たのね?」
こくんと頷く。
「嘘はつかなかったけど、わたしはその〝女王〟とやらになりたくないから、あなたが勘違いしているのを、そのままにしたの」
狐の目に涙が溜まっていく。
「わ、私が勘違いして一族を散り散りにしてしまった……」
ウオーンと遠吠えするように泣き続ける。
う。
背中を撫でる。毛並みはずいぶん良くなったけど、ゴツゴツした骨に手が当たる。
ノックがあった。ドアを開け顔を覗かせたのはアルノルトだ。
わたしは大丈夫と合図を送った。
「……今の執事も強い……。お前は強い者たちに守られているのだな」
狐が涙にまみれ、鼻をすすりながら言う。
「そうよ、ありがたいことに、みんなに守ってもらってる。あったかいミルクでも飲む?」
狐は首を横に振る。
「あなたと一族に何があったの?」
わたしを見上げるが言いにくそうだ。
「記録を見たのは誰?」
ユニコーンの角の検査結果。
王宮に、秘密裏に保管されたはずの文書を、見たということだ。
「……依頼主。お前を女王にはできないと謀ったなと、一族が襲われた」
え。
狐は話しているうちに気が昂ったのか、早口になり、次々と言葉が溢れ出す。
「元々、受ける気はなかったんだ。シュシュ族を、神の御坐す場所を整えることができるのは、私たちだけということがわかる奴がいるのは嬉しかったけれど、もう何もかも手遅れだから。神や聖なる方は地上に降りてはこられないから。
でも、山で仲間が狩られて。請け負えば、あそこでは二度と狩りをしないっていうから引き受けたんだ。
お前が純潔じゃないって長老に告げたから、女王の条件に合わなかったって長老は報告した。他の、条件に合うものを探せって言われたけど、女王の素質があるものなんて、滅多にいない。探しまわったけど見つからなくて……。
そのうちに一族から、謀った罪だと山狩りをされてるから、お前は戻るなって。人として生きて行けって連絡を最後に……」
大粒な涙がまた落ちる。
なんかいろいろ情報過多なんだけど!
符合しすぎる……。
わたしはごくんと飲み込んで、それから尋ねた。
「あなたたちシュシュ族の住処はバンデス山? 依頼主はワーウィッツの王族ね?」
「な、なんでわかった?」
やっぱり、そうか。
ヒイロ公爵家のセイヤくんは、嘘を言ったわけじゃなかったんだ。
本当にシュシュ族が狩られて、襟巻きになってるんだ……。
目の前が暗くなる気がした。クラッとくる。
何はともあれ、狩られる前に、逃げるのが先決だ。
「バンデス山に住んでいるのは理由があるの?」
「え?」
「引っ越せない理由があるの?」
「聖なる方が……いらしたことのある場所だから……」
聖なる方がいらしたことのある場所……。
閃く。
いつ聞いたんだっけ。もふさまだ!
〝聖域の出来損ない〟と、もふさまが言った。
彼らは聖女がいれば神聖国を建て直せると思っていて、聖女が力を発現すれば証が輝くと言っていた。
シュシュ族は神聖国を建てることができるのは女性であり、聖霊王が降りてくる条件に合うものだという。
あそこは元神聖国の一角。出来損ないの聖域……。
聖霊王が降りてこなかったから、出来損なった聖域……。
誘拐犯たちが言っていた、証が輝くとは聖域になることを言いたかった?
聖女の力を使用すれば命を脅かす、神官長は答えた。聖域で使えば命は削られないのだと。
聖霊王が降り立った場所が聖域になる……そういうことなんじゃない?
「もふさま、……答えられないかもしれないけど……、聖なる方がいらしたことのある場所が〝聖域〟ね?」
『……ああ、そうだ』
!
ちょっと感動したし、もっと考えたいこともあるけれど、今はシュシュ族だ。
「シュシュ族は、バンデス山の聖域を守るように言われているの?」
「……わからない。でも、ずっと守ってきた」
その目には誇りが宿っている。
姿が見えなくても、伝聞でしか聞いたことがなくても、ひたすら信仰し続ける種族。神さまや聖なる方は猫っかわいがりしてしまったのではないかと思う。
だって、こんなに率直に一途に慕われたら、目をかけちゃうよね。
「聖域は他にもある。たとえば落ち着くまで、散り散りになった一族は、他の場所に移り住むのはどう?」
「我らは暑いところでは生きられない。私みたいな子供はまだしも、長老たちには無理だ」
「ツワイシプ大陸も北は寒いよ。それに高い山もある。ねー、もふさま。シュタイン領の後ろにある山脈、あそこにも聖域があるんだね?」
もふさまが息を飲む。
いろいろ繋がったかもしれない。北にない転移門。王都を守るためかと思ったけれど、それが逆だったら? 一番強いとされる辺境伯を北に配置するのはなぜ?
海の主人さまの住処、聖域はゲルンの街からが近い。
もふさまの水浴びの聖域はシュタイン領の近く。住処はちょっと離れていると言ったけれど、北であることは間違いないだろう。
元々、北に守る何かがあるんだ。天然の要塞を利用して。そこから離れたところに王都を作った。
「ユオブリアにも聖域があるのか?」
「もちろんある」
狐はうずうずしている。
「聖水のお風呂、気持ちよかったでしょ?」
先ほどとは違い、気が傾いたのが丸わかり。
目がキラキラしてる。……騙されやすそうだなー。
嘘はついていないのに、悪いことを持ちかけている気持ちになるよ。そう素直だと。
「私はいいと思うけど、みんながどう思うかはわからない。それにエレイブ大陸からツワイシプ大陸に来るのは私だってキツかったから、みんなは無理だ」
「タニカ共和国に移動はできる?」
「タニカ? あ、ああ。行ったことある」
「山にいるシュシュ族と連絡は取れる?」




