第504話 禍根⑮氷のドレス
でも、待てよ。ヤーガンさまは平民を嫌っていると聞こえてきたけれど、実際したことといえば去年D組に退園しろって言っただけで、あとはバカにしただのひどいことをしただの話は聞いたことはなかった。
身分に徹底していると聞いたけれど、それも……もしかして、礼節を弁えることに厳しいだけだとしたら? 身分下の人をただ嫌っているわけではない?
伯爵令嬢ごときとは言われたことがある。
でもあの時、平民の多い寮でお山の大将を気取っているのかって言われたと思ったんだけど……、そんなことをする貴族の横暴さを嗜めようとしていたのなら?
わたしが好き勝手をしてドーン寮を、平民の寮長を困らせていると思って、貴族である総寮長がわたしに苦言しにきたんだとしたら? それでも意味が通る。
思い起こせば、すべてヤーガンさまの言ったことや行動は伝聞だった。ヤーガンさま本人から思いを聞いたことはなかった。
「そして退園が嫌なら、貴族と同じように社会貢献しろと言ったのも、そうすれば貴族と同じように胸が張れるからと、そう考えていらしたのよ」
!
ああ、本当に何から何まで、思っていたのと角度が違った。
ヤーガンさまは平民を嫌って意地悪で言っていたのではなく、ドーン寮のみんなのことを思って、平民だと萎縮するな、胸を張れって示唆していたんだ。
ただ、彼女のバックボーンとあの氷のような仮面とに意識がいってしまうからか、……いや、言葉が足りないのが一番だと思うけど、だからそんな意味だとはとても思えなくて……。
平民が嫌いで、一緒の空間にいるのが許せなくて、退園しろとか、社会貢献をしろと無理なことを言っているんだと思い込んでいたけれど、……それは違った。
違うなら違うと……。
あれ? 記憶をかすめる。
最初に絡まれた時、ちょっと突っかかって見せたら、反応していたのは取り巻きの人だった。……わたしはそれがヤーガンさまの気持ちを代弁しているのだと思った。
再戦を決めた時、煽ったので激昂した。激昂はしてた。けど……。
やっぱり、先に口を出したのは、お付きの人だった。
ヤーガンさまの周りには取り巻きがいる。ヤーガンさまに心酔して、尽くす人たちが。ヤーガンさまが何をいっても、何も疑わず、そのまま従っているように見える人たちが。
でも、それが、本当のヤーガンさまの気持ちをわかっていない行動だとしたら?
お友達もいらした。ヤーガンさまの心根をわかっていて友達でいるようだった。でもヤーガンさまの身分が上だからか、そんなふうに言ったら誤解されるとか、そういうことはしない方はいいとか、反対系意見はしてないように見えた。
ヤーガンさまの考えを確かめず、そうだろうと思うことでヤーガンさま像を作り上げていく親衛隊か、意見はしないご学友、そういう人たちに何重にも守られている。
ヤーガンさまの身分は公爵令嬢。しかも身分にうるさいというヤーガン公爵家。氷の鉄仮面で、厳しい言葉を投げかける。
誰もが思い描くだろう冷たい公爵令嬢の青写真そのままに、ヤーガン令嬢はそういう人だと思われていく……。
「私は本当にガンネだった。ちゃんと見えてなかった。
それもバカみたいに平民にこだわっているのは、私の方だったんだわ」
「……わたしも誤解していました」
ガネット先輩はクスッと笑う。
「そう、話を聞いてあなたも同じようにマリーさまの考えを誤解した。でもあなただけは違った。あなたは顔を上げた。誇りをかけて勝負を挑み、胸を張りたいって、あなたは言ったのでしょう?」
ガネット先輩に微笑まれる。
「伯爵家に身を置きながら、入園試験で最低の点数だったあなたを信用できないと思ってらしたみたいだけど、再勝負を持ちかけ、あなた一人だけが胸を張りたいと言ってきた。自分の行動が私たちにどう伝わり傷つけたかを知って自分に幻滅もされたそうだけど、嬉しかったのですって。あなただけが、どう思っていてもマリーさまに真っ向からぶつかっていったから。あなたに言われなかったら、自分の言ったことが、私たちにどう受け取られていたかも思いついていなかったそうよ」
ヤーガンさまはそんなふうに思ったんだ……。
「私ね、あなたに嫉妬していたみたい。でも、わかった。
同じように誤解しても、次に選ぶ行動や思いが、あなたと私では決定的に違った」
そう言い放つガネット先輩は、吹っ切れたような顔をしている。
「でも、マリーさまに言われたの。作文のこと、公爵さまに意見したのは、あなたも自分の作品に誇りがあるからだって。胸を張っていたいから、そうしてしまったのでしょう?って。私の中にもあったの。ちゃんとあったのよ、誇りが」
ガネット先輩は嬉しそうだった。
「私はその思いを大切にしようと思う」
ガネット先輩は胸の前で手を合わせて祈るように目を閉じた。
「だから、私、再戦に全力で挑むわ、マリーさまにもそう宣言した。みんなにも悪いことしたけど、私今度こそ、頑張るから」
凄いな、ヤーガンさまに宣戦布告したのか。
「ヤーガンさまはなんと?」
「受けて立ちますって。華やかに笑われたの。とても美しかったから、そんな場面なのにボーッと見ちゃったわ」
最初は歪な始まりだったふたりの友情が、形を変えていく。
ガネット先輩はわたしの手を取った。
「年末の試験、頑張ろうね! 1年生の魔法戦、そっちも頑張ってね! できることがあったら言って、なんでも協力する」
「あ、ありがとうございます」
「お礼を言うのは私だわ。私、少し前はちょっと辛かったけど。今、とても楽しいの。ものすごく楽しいの。D組の家族だけが大事だった時より、もっとね!」
ガネット先輩も今、華やかに笑っている。
「全部、シュタインさんのおかげよ、ありがとう。
寮のことも。マリーさまとのことも」
わたしは言った。
「でも、ヤーガンさまの心を開いたのは、間違いなくガネット先輩です」
え? と言う顔をしてから、大輪の花が綻ぶように笑う。
誰もが見つめるしかできなかった氷のドレスの纏っているヤーガンさまに、ガネット先輩だけが本当の気持ちに辿りつき、新しい関係を手に入れた。
本当に明日なにが起こるかなんて、誰にもわからないものだね。
こんな展開になるとは。
あとは心置きなく、年末の試験と魔法戦に取り組めばいい。




