第466話 火種⑤予測不能
「わたし、水を見ていると落ち着くんです」
「……本当に授業に出ないつもり?」
ガネット先輩、やっぱり顔色が悪い。
「ひとつ、どうしても聞きたいことが」
「…………………………」
青白いガネット先輩の表情が固くなる。
「チャド・リームの、どこがいいんですか?」
「なっ」
ガネット先輩の顔が赤く染まった。
気を削ぐことに成功した。張り詰めていた雰囲気が、違う方向に爆発したみたいだ。
「リズとのことを、聞くんじゃないの?」
「それは先輩が話したくなったらお願いします。……それより知りたいのはチャド・リームです」
「リームさまは5年生よ、敬意を持って」
「チャド・リームさまのどこがいいんですか?」
敬意を示して、再び尋ねる。
ガネット先輩は、池の淵に座る。
わたしも隣に座った。
「私の住む領地の領主さまのご子息よ。話したでしょ、子供の頃、身分とかわからずに、一緒に遊びまわったの。私ね、不思議と思うことがいっぱいあったの。空はどこまでが空なのか。魔法の意味、魔素の不思議。みんなに聞きたがり屋だって、からかわれた。けれど、答えを教えてくれる人はいなかった。からかったり、ばかにするだけ。そんな中、リームさまだけが調べてくれたの。わからない時は、調べたけどここまでしかわからなかった、とね。私はそんなリームさまを尊敬しているの。だから、変な思いじゃないのよ。勘違いしないで」
ふーん、そうだったんだ。いいところもあるんだね。
「ガネット先輩は魔法の意味、わかったんですか?」
「リームさまに教わったわ。魔法とは魔の法則を編むことよ」
その時わたしは衝撃を受けた。雷を受けたぐらいの! って雷を受けたことないんだけど。でも頭にガツンと何かがわたしに突き刺さった。
「……リーム領って王都からどの方向ですか?」
「え? 西よ。王都から5日ね。途中、転移門を使えば1日半よ」
いいな、西もあるんだ。東もあるって聞いたから、本当に北方面だけないんだね。どんだけ栄えてなかったかがわかるってもんだ。……切実に北側にも転移門を作って欲しい。
「あなたって予測不能だわ」
ガネット先輩はクスッと笑った。
「ねぇ、もふさま、だったわよね。触らせてもらってもいいかな?」
「もふさま、いい?」
もふさまは一回しっぽを揺らして、わたしとガネット先輩の間に座り直した。
「いいみたいです」
告げると、ガネット先輩はそうっともふさまの背中に手を当てた。そしてゆっくりと動かす。
「すっごく柔らかい毛なのね。……体が熱いところは、他の動物と一緒だわ」
顎の辺りを撫でている。もふもふ上級者だね。
『この娘も迷い子だな』
「ふふふ、気持ちいい?」
もふさまの声を、喉を鳴らしたと思ったようだ。
再戦は決まったのに、ガネット先輩は未だ浮上できていない。
他の先輩たちは寄付金を学園祭で集めると決めてから、ずいぶん落ち着いた。
再戦の結果も勝負に負けた方がひと月、何もかもを削った生活をするだけだ。
いつまで続くかわからないとなれば辛いかもしれないけど、期間もひと月と設けてある。一度経験があるだけに、それなら、がむしゃらに勝負すればいいだけと腹をくくったようだった。
そんなふうにみんなが出来事に決着をつけ、新しい何かに目を向け始めても、ガネット先輩だけはずっと辛そうだった。
試験という言葉が出るたびに、痛みを覚えるようだ。トップだっただけにみんなに悪くて、その思いから立ち直れなくて、先輩の傷が癒えるには、みんなよりずっと時間がかかってしまうのかと思っていた。でも、それだけじゃないのかもしれない……。
それがヤーガンさまとの何かなのかな?
それともチャド・リームに関する? いいや、チャド・リームの話をした時、特別に感情の揺れはないように感じたけど……。
「私、前寮長に、次の寮長になってくれって言われた時、すごく嬉しかった。認められたんだって思って。ガネットガンネが人の上に立てるなんて、誇らしかった。けれど、私は上に立つ器じゃなかった。シュタインさん、あなたみたいな人が上に立つ人なんだわ」
壊れそうに笑うから、危ういと思った。
どうしよう。ガネット先輩、変だ。
でも、わたしはガネット先輩が何を好きで、何をしたら喜ぶのかわからない。
「ガネット先輩の好きなことって何ですか?」
「好きなこと? なんだろう? 小さい頃はあった気がするけど……」
「わたしは食べることが好きです。楽しそうなことが好きです。もふもふが好きです」
「すっごく、わかるわぁ。シュタインさんらしい」
「わたし夏休み前に失敗しちゃったんです」
「失敗?」
わたしは静けさが降りることを恐れて、脈絡なく思いつくことを話した。
「いっぱいいっぱいになっちゃって、家族に心配をかけながら、いけないことをいくつもやり倒していました。ただ会いたいって、その気持ちだけに突き動かされて」
ガネット先輩が微かに頷く。
「心配をかけて、いけないことをしたのに、わたし怒られなかったんです。怒られなくてほっとしながら、怒られるより胸が痛かった……」
「……わかるわ」
「じゃあ怒られたかったのかというと、それとも違うんですけど」
「私は怒られたいのかもしれないわ」
さっき、先輩はみんなに叩かれなくちゃとか言わなかったっけ?
何があったんだろう?
「あれ、授業はどうしたんだい? サボリかな?」
音なく近づいてきたのは新人司書のマヌカーニ先生だった。
もふさまは相変わらず、ガネット先輩に撫でられたままで緊張もしていないから、悪い何かではない、はず。
「授業は自主的に休んでいます」
「それをサボるっていうんじゃないっけ?」
「今、授業より大切な話をしているんです」
「へー、それは興味あるなぁ」
あっちへ行けと含ませたのに、通じないのか。
「今、恋愛相談中なんです、男性には聞いて欲しくありません」
しっかりと拒絶した。
ガネット先輩は瞬きをしている。
「1年生の君が、恋愛相談を?」
「ええ。婚約者に求められた場合の心構えを。同じ歳の方に聞くのも何ですので、寮の先輩に聞いていますの。邪魔なさらないでください」
「こ、婚約者……に、も、求め……。……………………。お邪魔しました」
やっと回れ右した。
司書の先生がいなくなってから、ガネット先輩は吹き出した。




