第390話 創世記
心がざわざわするから、ご飯を作ることにした。エリンとノエルの素敵なスキルをお祝いしよう。
暑いから冷製パスタにしようかな。夏野菜の揚げ浸しに、フライドポテト。デザートは果物の盛り合わせ。ああ、炭酸が欲しい。キンキンに冷やしたフルーツポンチを食べたいなぁ。
兄さまが手伝ってくれると言うので、トマトの下処理をお願いした。
兄さまは何を頼んでも、そつなくやってくれる。
「もふもふ軍団がいなくて淋しい?」
うんと頷く。昨日はもふさまとふたりで眠っていたら涙が出てきた。今日は家から出ないと言ってあるので、もふさまは今〝会議〟に行っている。
「あまり眠れなかったみたいだね」
おかしいな、クマはできてなかったんだけど。
「寝たよ。忙しくなる前に宿題を片付けておこうと思って、寝るのが遅くなっちゃったから」
「……そっか。リディーは私にはあまり甘えてくれないよね?」
え?
「わたしが?」
「困ったことがあったら何でも聞いてくれればいいのに」
「宿題のこと?」
「それだけじゃないけど。……思いついた数式はあった?」
わたしは首を横に振る。
「そうだな、私も美しいと思う数式に会ったことはないな。私ならそう答えるけど」
なるほど、それもひとつの答えかもしれない。
「ねじれの位置というのがある」
知ってる?と言われて頷く。
並行でもなく、交わることもない線のことだよね?
「私はそれが数式で表せないかと思っている」
はい?
「お互いが関わらないものだから同時に表すこともない。だからなのか、私が知らないだけかわからないけれど、それらを表す数式を見たことはない。だから、いつかそれを表せたらなと思う」
え? なんというか意味がわからない。
その名付けられた定義を数式で表したいと思うってこと?
え、なんでそんなことしたいと思うの?
「私はねじれの位置という概念がとても哀しく美しいと思うんだ。いつまでも、どこまで伸びていっても絶対に逢うことがない。でも逆に考えるとそれ以外の立場なら、それ以外なら逢えるんだよ。平行という位置関係だとしてもね。だからその哀しくも孤高の数式をいつか表せたらなって。ほら、点Aの座標をPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERAPERA」
ヤバイ、意味がわからな過ぎてペラペラとしか聞こえてこない。
兄さまはわたしの表情を見て何か思うことがあったのか、口を閉じて咳払いをした。
「リディーがきれいだとか美しいと思う、その素直な気持ちの数式を答えればいいと思うよ」
わたしはありがとうと言ってゆっくり頷いた。
わたしが美しいと思うもの、か……。
「あ、兄さま。兄さまは神話を知ってる?」
「神話? わざわざ聞くってことは、〝禁忌〟の方? そっちはさすがに知らないよ」
「〝禁忌〟? 禁忌の方とそうじゃない方があるってこと?」
兄さまは少しだけ、しまったという顔をした。
「トマトンはあるだけ切ったけど、これでいい?」
ずっと話してたのに、手は動かしていたようだ。
わたしはしっかり手を止めていた。
兄さまに揚げ浸しの野菜カットをバトンタッチする。
優秀な助手を得たので、わたしは追加でケーキを焼くことにした。お祝いごとにはやっぱりケーキだ。
今度は手を休めずに、兄さまに尋ねる。
「知っている方の神話を教えて」
「神話はそれぞれの神さまの物語だね。どの神さまを知りたいんだい?」
「いっぱいいるの?」
神さまと女神さまがいるとは思っていたけど。
「そ、そこからか。神さまといって一般的に思い浮かべるのはラテアスさまだね。他にも神さまはいらっしゃるけど、他の神さまたちが崇めている方だから」
そっか、トップの神さまの名前はラテアスさまっていうんだね。
「ってことは創造神?」
「いや、それは違う。神話というか、創世記になるけれど。リディーは創世記もまったく知らないの?」
「知らない」
兄さまはわたしを見て頷く。
「この世界を創られたのはラテアスさまの弟子のひとりの神さまだった。ラテアスさまが宿題を出したんだ、生命を育めるような小さな箱庭を作るように、と。弟子の神さまたちは張り切って趣向を凝らした箱庭を拵えた。けれどひとりだけ、考えれば考えるほどわからなくなってきて、お使いで行ったことのある世界で見た、ある箱庭をそのまま形にした」
「お使いで他の世界に?」
「ああ。リディーが思い出した前の生も、他の世界だったんだよね?」
そっか。わたしは前世に読んだ小説で〝異世界〟話を知っていたけど、こちらでは創世記で〝異世界〟を知るのか。異世界のことを話した時、みんながあっさり受け入れられた理由を知る。
「多くの生命が存在して魔素が溢れる箱庭で、ラテアスさまからもとてもいい点をもらったそうだよ。嬉しくなった見習い神さまは、拵えた箱庭に生命力を注いでしまった。自分の作った箱庭が動きだすのを見たくてね」
兄さまに切りそろえてもらったナスを水につけておく。ぷかぷか浮いてきてしまうのでお皿で重石だ。
次はピーマンを渡した。
わたしは計測を終えたので、卵を泡だて始める。
「普通の見習いが拵えた箱庭だったら生命を育むのに時間がかかったはずだった。でも、その見習い神さまが拵えたのは、〝初め〟から〝終わり〟までが存在するしっかりと筋道のある箱庭だった。結果、あっという間に箱庭は生命を育む〝世界〟になったんだ。生命が生まれてしまった箱庭は見守っていくしかなくて、そんな成り行きで創生されたと言われている。見習い神さまが生命を宿すのは禁止されているから、見習い神さまは封印され、師匠であるラテアスさまがこの世界を管理されることになった」
「なんでそんな酷い成り立ちにしたんだろう?」
「酷い?」
「酷いじゃん。だって、間違ってこの世界が誕生したってことでしょ? おまけに作った本人は封印で、師匠が仕方なく見守ってるってこと? それにどこかの模倣って……。よくそんな要素を入れこんだね。そんなふうにしなくても、ビックバンがあって大地と水ができて、生命が育まれ、魔素が溢れ……とか普通でいいじゃんねー?」
「ビックバンって何?」
「大爆発みたいなもんかな」
兄さまはクスクス笑う。
「創世記をそんなふうに駄目だというのを初めて聞いたよ。だって、神話って全部入り組んでいて、どうしてそうなるのか人族には理解の難しいことで。神さまだから人とは異なる思考を持っていて、だからそうなるのかって思うものだろうからね」
そういうものかなー?