第375話 シアター④アイリス嬢の憂いごと
「リディアさまはあたしがお嫌いでしょう? なのに、親身になってくれるんですね」
そう言われると心苦しい。だって瘴気問題や世界の危機って、自分にも関わってくることだから、前のめりになっているのだろうから。
「……わたしはフランツさまが好きです。だから、フランツさまに思いを寄せるアイリスさまには、いい感情を持てません。でも、それ以外のことでは尊敬していることもいくつもあるし、嫌っているわけではありません」
「そ、尊敬?」
パッと顔が輝く。
「アイリスさまはとても率直です。自分の感情をそのまま曝けだします。それはハラハラすることもあるけれど、そうやって隠すことなく、人に全てを見せることを厭わないのは、すごいと思います。それからとても潔い。多くの人の前でも、怯むことなく自分の思いを伝えることもできる。理不尽なことは、相手が誰であろうと意見できる。わたしはそんなアイリスさまを尊敬しています」
アイリス嬢の瞳がウルウルとした。
「あたし、ひどいことをしにきたのに」
え?
「リディアさまは、フランツさまをお慕いしているのかなとは思っていました。でもあたし、知ってるから、それは止めないとと思ったんです。リディアさまはフランツさまを信用してはいけません。フランツさまはリディアさまをいずれ閉じ込めます。だから、だからあたし。リディアさまはロサ殿下と一緒になり、フランツさまと距離を置くべきだと思ったのです。それはあたしがフランツさまに恋しているからだけではありません」
真剣に言っている。
「あ、あたしが本当に見ていただきたかったのはこちらなんです。フランツさまとリディアさまが一緒にいてはいけないと言った意味を、わかってもらえると思います」
あ、視界が移り変わった。
目の前の景色が変わる。
やはり学園の入園式だ。
「君、落としたよ」
振り返れば、イザークがいた。その隣には兄さまだ。全てを諦めきっている表情の兄さまがいた。
先程観たロサ殿下との恋物語、その相手がイザークに代わったもの。親しくなっていくエピソードは多少違う。ロサが転ぶのを支えた出会いが、イザークの場合落としたハンカチを拾ってもらう出会いだった。
やっぱり大モテで、女の子には嫌われ、怪我をする。そのとき一度だけ、イザークの思いびとだからと兄さまに助けてもらった。
アイリス嬢の胸が高鳴る。素っ気ないのに、あの兄さまに彼女は惚れたんだ。
イザークは兄さまにお礼を言った。
イザークとふたりきりなってから、兄さまはどんな人なのかとアイリス嬢は尋ねる。
「家族思いだよ。幼い頃、母上さまを亡くして、一時期大変だったけど」
あ、この分岐では母さまが亡くなっているんだ……。
「大変?」
「ああ。妹君が大きな火傷をおってしまってね。誰にも会いたくないと地下に部屋を作り、そこで暮らしているらしいよ」
「火傷、ですか?」
「それに妹君には少し問題があるようで、私だって会わせてもらえないんだ」
火傷と問題か……。彼女と初めて会った時言ってたのは、このことだったんだ。
親しくなっていくうちに、イザークはとろけるような笑顔を見せるようになった。これは映像で、イザークはアイリスにめーいっぱいの愛情を振りまいているのだとわかっているのに、イザークを知っているのですっごく恥ずかしくなる。ロサバージョンのロサは、昔から甘い笑みを浮かべるのと同じで、普段とあまり変わりなかったけどさ。イザークはこんな甘い顔をするんだ!
試練を乗り越えながら、やがてアイリスは聖女になり認められ、ふたりは結ばれる。
これもまたずいぶん濃い時間だったが、実際は3分も経っていないようだ。
「フランツさまはイザークさまと親しいので、イザークさまとの物語でだけ、話すことができます。そして、これがリディアさまがフランツさまと一緒にいるべきではないと申し上げる理由です。フランツさまはリディアさまに火傷を負わせて閉じ込めます。今はそうじゃなくても、人の本質は変わらないのです。リディアさまとフランツさまはきっと相性が悪いのです! だから〝妹と思ったことはない〟〝何があるかわからないから外に出してはいけない〟ってあんなことを言うのです。フランツさまはリディアさま以外には、そんなことは言いません。フランツさまにそんなことをさせないでください。リディアさまがそばにいなければ、フランツさまはそんなことをしないで済むでしょう。リディアさまはフランツさまと一緒にいない方がいいのです」
わたしも聞いた。兄さまはイザークとアイリス嬢に家族の話をする時、確かにそう言っていた。でも……。
「アイリスさま、物語のフランツさまも、わたしの知っているフランツさまと変わりありません。わたしはフランツさまの行動や言葉の意味がわかります」
「何をおっしゃるんですか? リディアさまを外に出せないと言われているんですよ?」
「ええ」
「〝妹と思いたくない〟と失礼ですけど、リディアさまはフランツさまから嫌われているんですのよ?」
ウチの事情を知らなくて言葉だけ聞いたら、アイリス嬢のように受け取るのは当然だと思う。
「フランツさまは、わたしを嫌ってません」
「そう思いたいのでしょうけど……。いいですわ。あたしは知ってしまったので、リディアさまは知るべきだと思いましたの。フランツさまに嫌われていることを。いつか閉じ込められることを」
母さまが亡くなったということは、前世を思い出していないリディアなのだろう。人の本質は変わらない。ウチはみんな家族思いだ。母さまを亡くして、また誰かを失うんじゃないかと、怯えたのではないだろうか? 兄さまが閉じ込めたように言うけれど、そうだとしてもそれが良くないことだったら、他の家族が黙っているはずない。止めるはずだ。けれど実際そうされているのは、リディアを含め、全員が望んでいるからだ。リディアが閉じこもることを。
わたしは前世を思い出していなかったら、家の外はとても怖い世界だったと思う。誰かと話すのだって、とても怖かった。だから閉じこもることを望んだのも頷ける。
「リディアさまがそうおっしゃるなら、止めません。でも、お伝えしましたからね!」
「はい。わたしのことも案じてくださってありがとう」
「いいえ。どちらかというと、フランツさまとあたしが仲良くなりたいという思いの方が強いですわ。でも確かに、リディアさまを心配する気持ちもありました」
どこか潔くて、だからアイリス嬢を憎めない。
「ひとつ、お尋ねしても?」
「なんでしょう?」
「フランツさまのどこを、お好きになられたのですか?」
「顔です! フランツさま、顔がいいんですもの! あたしの理想なんです」
瞳を輝かせている。
「知れば知るほど、好きにならずにはいられない方ですわ。でも最初にフランツさまに気を留めたのは、やはり顔がいいからです! それでいつも見ていて、知っていき、どんどん好きになっていきましたの!」
……まあ、その気持ちもわかる。
アイリス嬢はかわいい、間違いなく。そして率直で、自分の意見も持っている。行動力もあるし、健気なところもあり、恋する乙女でもある。兄さまに思いを寄せているところはいただけないが、尊敬できるところがあるのも嘘じゃない。
でも、どうしてだろう。どこか残念に思えるのは……。




