第342話 奇跡
「シュタイン嬢」
名を呼ばれて振り向けば、いつぞやの団子鼻。じゃなくて、ええと、確かケイズ伯爵ご子息さまだったっけ? がいた。
わたしは少し構えながら返事をする。
「なんでしょう?」
「少し話がしたいのだが、今いいだろうか?」
お、今日は高圧的でもなく、尖った感じはしない。
「はい、どうぞ」
足を止めて向き直ると、ケイズさまはコホンと喉を整えた。
「家の方針で入園してから家業の商売を手伝っている。外国と商品を取引していて、俺が商品を選んでいるんだ。シュタイン領のお菓子は今までもずっといいと思っていて輸出したかった。けれど、国内で大人気だからいつも売り切れている。それで参入できる余地はないと思っていた。今、店を閉めている状態なのが悔しくて、できたらウチとも取引してくれないかと思っているんだ。夏休みにそのお願いにシュタイン領に行きたい。その時に領主さまと話をする手筈をとっていただけないだろうか?」
おやおや、心を入れ替えたような言葉遣いだ。
「……お気持ちは嬉しいのですが、ウチの商品は全てランパッド商会に仕切ってもらっているのです。ですので、他の商会に入っていただく可能性は……」
「そのランパッド商会の担当の人に繋いでもらうことはできるだろうか?」
目が真剣だった。あれ、この子まともだ。
この間はウチの売れ残った商品を買ってやってもいいとかいうから何様だと思ったけど、今日はそういうわけでもなさそう。っていうか、この間もこのことを言いたかった?
この前みたいにオラオラ調で話されたら話はピシャリと遮断するが、こう言われてしまうと無碍にもできない。
「繋ぐことはできますが、外国に売る可能性は低いと思いますし、来ていただいても、無駄足を踏ませてしまいそうで……」
「それでも、かまわない」
まっすぐにわたしをみつめる。
幼くはあっても仕事、自分の役割を信念を持って果たそうとしているのが見て取れる。わたしの中で彼の好感度がグッと上がる。
こういうのは嫌いじゃない。応援したくなる。
肩に手が置かれグイッと後ろに引かれる。
え? と思うとアダムだった。
「この娘、婚約者いるよ」
「エンターさま、ケイズさまと仕事の話をしているのです。急に割り込んできて、わけのわからないことをおっしゃらないでください」
わたしは肩に置かれた手を払った。
「まったく君はわかってないなー。何かにかこつけて仲良くなる機会を伺っているに決まっているじゃないか」
アダムは呆れ顔だ。
「エンターさまはそうかもしれませんが、他の人も自分と同じ考えだとは思われない方がいいですよ?」
そうアダムには言って、ケイズさまにも話しかける。
「領地の商業ギルド支店内に、ランパッド商会・シュタイン領支店長のホリーさんという方がいます。その方が全て仕切ってくださっています。ケイズさまのことを話しておきますわ。父にも伝えておきますので、何かありましたらどうぞ。ただ、無駄足になる可能性が高いとご忠告申し上げます」
ケイズさまは顔を赤くしていた。アダムがからかうから。年頃の男の子を。
「エンターさまは人をからかうのがお好きなのです。嫌な思いをさせてしまいましたね、ごめんなさい」
謝罪すると、ケイズさまは首を左右に振った。
「いいや、エンターさまは間違っていない。もちろん商品に惚れ込んでいるのも本当だけど、俺は、シュタイン嬢を慕っているから」
ええっ!?
慕っているなんて言ってもらったのは初めてで……絶対顔が赤くなってる。
「この間はシュタイン嬢の都合も考えず、それから失礼な物言いをして申し訳なかった。みんなからあれではシュタイン嬢によくない印象しか伝わってないと言われ、……その、なんていうか気持ちに正直に、余計なことは省いて話すことにした」
ケイズ子息も赤い顔で、言葉を紡ぐ。
「君の助けになるようなことをしたら、君が俺をよく思うんじゃないかと思った。……それだけじゃなく、お菓子のことは本当に前から商品として扱えないかと思っていたんだけど。でもあの時、拒否されたら、なんとか気を引きたくていろいろ言ってしまった。よくない考えだった。……でもあきらめられなくて、商品のことだけでも、きちんと話したいと思って声をかけたんだ」
瞳に熱がこもる。
「だから、この娘は婚約者いるって」
「知っている」
ケイズさまはアダムを見上げた。それからわたしに視線を移す。
「だけどシュタイン嬢、君に悪い噂が出た時、君の婚約者は何をした? 噂が広がっているのに、何もしなかった。俺だったら、俺だったら、そんなの許さない!」
周りから冷やかすような声が上がり、わたしはギャラリーがいっぱいいたことを思い出した。そうだよ、登園時間だもん、廊下には生徒いっぱいだよ。
「俺は君の婚約者は、君に相応しくないと思う」
ヒューと誰かが口笛を吹いた。
「ケ、ケイズさまーーー」
以前の彼と一緒にいた子たちが、後ろからケイズさまを引っ張っている。
「いくらなんでも婚約者に宣戦布告はまずすぎですよー」
「シュタイン嬢、今、勢いに任せたような告白になり、申し訳ない。商売とはまた別に、あなたと婚約したいとシュタイン領主さまに申し込むつもりです」
わたしは息を飲んだ。
誰かが手を叩く。
「なんだー? なんでここで立ち止まっている? 混雑しているぞ、みんな教室に行きなさい」
手を叩いた誰かは先生みたいだ。
ケイズさまはわたしを最後にみつめて、ニコッと笑った。そしてわたしに背を向けた。
「おっと」
一瞬、力が抜けそうになったのをアダムが支えてくれた。
「焚きつけたみたいになっちゃったなー」
アダムが独りごちる。
「ほら、みんな教室に入れー」
波の向こうに生徒より頭ひとつ高い先生がいて声をあげている。
その先に表情のない兄さまがいた。わたしと目があったのに、兄さまはわたしに背を向け声をかけることなく、階段をあがっていった。
兄さまに避けられた? 告白を聞かれた? 顔が赤くなったのを見られた? 誤解された?
「君も不満かい?」
「不満?」
「婚約者が悪い噂から守ってくれなかったこと」
え?
「そんな、噂から人を守るなんて、人が誰もいないところに行くしかないじゃん。人の口に戸は立てられないって言うじゃない?」
「……初めて聞くけど」
あれ、前世か。
「人の噂も75日っていうし」
「聞いたことがない」
「あ、49日だっけ?」
「初耳だ」
あれ?
「なんの話だっけ?」
「……ケイズ子息が哀れだって話だ」
え。
「あれはあれで嬉しかったから、ちゃんと対応します」
「う、嬉しかったの?」
「……好かれたら……嬉しいに決まってるじゃない」
「本当に?」
「告白されたの初めてだし」
「……初めて? そんなバカな。君は婚約者がいるんだぞ、そんなことを言われても困るだろう?」
「それはそうだけど、わたしみたいのを想ってくれたなんて……話したこともないのに……」
「……僕も噂とはどうにかできる物ではないと思っている。けれど、君が相応の自信を持っていないのは、婚約者の怠慢だと思う。……僕が言えることではないけどね」
へ? なんで兄さまが出てくるの?
「君はとても素敵な子だよ。思いやりがあって、楽しいことをみつけるのが上手で、……とても愛らしい」
! アダム、どうした!?
彼はクスッと笑う。
「顔、真っ赤だよ」
からかわれた!
「そんなかわいい反応をすると、告白する人の列ができちゃうよ?」
まだクスクス笑っている。
「からかわないで。エンターさまみたいにモテる人にはわからないだろうけど、人に好きになってもらえるのは、それだけで奇跡なんだから」
アダムは形のいい口を少し開けたまま、動きを止めた。
?
そしてゆっくり言葉を発した。
「……そうだね。誰かに好きになってもらえたら、それは……奇跡だ」




