第336話 夏休み前⑩クリームの行方
次の日、登校すると、マーヤさまがわたしの教室の前で佇んでいた。
わたしを見た瞬間に顔が歪む。
え。
「マーヤさま?」
「ごめんなさい。いただいたクリームを。昨日いただいたクリームを、寮に帰って鞄を開けたら入っていなくて……失くしてしまったの」
涙がポタポタと落ちていく。レニータたちには先に教室に入ってもらう。
「マーヤさま。そんなお気になさらないでください。サンプルはまだありますし」
わたしはそう言って鞄から出すフリをして収納ポケットから出したサンプルを渡した。本当に心から悔やんでいる謝罪を受け、〝いや、ただのマッサージクリームだし〟としかわたしは思っていなかった。
なんとかなだめすかして、マーヤさまを教室に送り届け、帰りは兄さまがわたしを教室まで送ってくれた。
兄さまが少し考え込んでいる。
「あんなに謝ってもらっちゃうと、……気軽にサンプルは渡さない方がいいのかな?」
すごい負担をかけたような気がする。
兄さまは立ち止まってわたしの頭を撫でた。
ん?
「何もないとは思うけど、……週末に、父さまたちにそのことを含めて相談しよう」
父さまに相談? 何もないと思う?
予鈴が鳴った。
兄さまはわたしを教室に押し入れると、自分のクラスに戻って行った。
すっきりしない思いで椅子に座れば、アダムがチラリと見てくる。
「先輩を泣かしてたね」
「人聞きの悪いこと言わないで。先輩はわたしがあげたものを失くしてしまって、謝ってくれただけなんだから」
アダムは一拍置いてから
「……それって、もしかして発売前のもの?」
と鋭く言った。
「え?」
アダムの勘が良くて驚いた。
「うん、……サンプルだけど」
「商品登録してある?」
「え? まだだけど?」
「すぐに商品登録しろ。急げ!」
アダムの目がマジだ。
え、でももう授業始まるし。伝達魔法を使うにも、兄さまも授業始まっちゃうし。
どうしたら……と思っていると、もふさまがわたしのスカートを引っ張った。
『手紙を書け』
あ、もふさまが届けてくれるんだ。
わたしは簡単に状況を書いて、マッサージクリームの商品登録をして欲しいとメモに書きつけた。
もふさまはそれを口に咥えて走り出す。
先生が入ってきた、ドアの横からすり抜けて出て行った。
「凄いね、お遣いさまに使いを頼むとは」
アダムがクスクス笑っている。アダムの勢いに乗せられてしまったが、いまいちピンと来ない。
「エンターさまには、何がわかったの?」
「君も商売をしているんだろ? 未発表の物が無くなったなら、もっと過敏にならないと。さっきの娘は一代貴族、商人の娘だろ? だから発売前の商品が無くなることがどんなに大変なことかわかってるんだ」
わたしは気もそぞろで授業を受けた。
もふさまが戻ってきて、アルノルトにメモを渡したと教えてくれた。アルノルトはすぐに父さまに届けてくれたそうだ。もふさまにお礼を言う。
それでちょっと落ち着けて1日を過ごした。
けれど、結果として、遅かった。父さまから兄さまに伝達魔法があり、わたしたちに教えてくれて知ったのだが。午前中にマッサージクリームとして商品登録が行われていた。
今まで香油はあったけど、クリームタイプは初めてだったので、登録がかなった。外国を拠点としているペネロペという商団が登録したとのことだ。
ホリーさんがその商品を確かめたところ、ウチで作ったクリームと全く同じものに見えたという。わたしもそう思うけど、みんな〝盗まれた〟と思っているようだ。人の作ったものを、まるで自分が作ったように売り出す人がいるなんて。
平日だからマーヤさまは学園から寮に帰っただけ。学園の外に出たといっても寮までの一角を歩くだけだ。その間に、落とすなりして、それを持ち去られたことになる。持ち去ることができるのは……学園の生徒、それか関係者しか考えられない。マーヤさまが大商人の娘だから、売れるものだとすぐに登録したのかな。
これからサンプルを渡すのも気をつけなくちゃ。
でもこれがマッサージクリームでよかった。化粧水や美白クリームだったら、シリーズで売り出していく計画がコケるところだった。もちろんマッサージクリームもそのラインナップのひとつだったけど、付け足しで作っていたようなものだから。
週末に家族でそれらの話し合いをするつもりだったが、メロディー公爵令嬢から、一緒に街でお茶とショッピングのお誘いがきてしまった。
わたし的に、第一王子さまの婚約者というところで近づきたくないし、それなのにロサと親密というのもなんだかなーと戸惑いがある。正直、近寄りたくない。親しくなりたくない。でも、王族に次いで身分が高いゆえに、わたしからは断ることが難しい。よって休日は一緒にショッピングに行くことになってしまった。気が重い。
彼女って、わたしが理想に思う女の子が服着てる感じなんだよね。要するにわたしがかわいいと心底思う憧れを詰め合わせた娘で、わたしのコンプレックスが刺激されるのだ。だからあまり近づきたくないってのもある。
数日前に発注したお菓子作りの〝道具〟がもう出来あがり、執事見習いのデルが届けてくれた。得意さまだからと張り切って仕上げてくれたらしい。中には父さまと母さまからの手紙も入っていて、マッサージクリームのことであまり気を落とさないよう心配してくれていた。
道具がきたので早速作って見せて試食会をした。わたしが作っているのを見るだけで、コツがいるのに、レノアはわたしより上手く作れてしまう。いいの、多少見栄えがアレでも味勝負だから! 好みのものを選んでもらうから、そうそう外れるわけないもんね。ということで、試食会は大成功だった。これなら生地をいっぱい作っておける。お客さんの好みのものを目の前で包みこむパフォーマンスも人気となることだろう。