第331話 夏休み前⑤魔法陣
『リディア、聖樹さまがリディアを呼んでる』
『お願いがあるんだって』
お願い?
聖樹さまの元へと急げば、とても丁寧に頼み込まれた。
『リディアよ、来てくれたことに感謝する。今日は願いがあり、おぬしを呼んだのじゃ』
「できることなら協力します。おっしゃってください」
『この500年ほどで土地にあった魔力は使ってしまった。学園の護りと言っておきながら、ままならない状態だった。それなのに、ワシはもう護れる力もないことに気づいてもいなかったのだ』
木漏れ日が頼りなく揺れた。
『リディアが学園に来て、祝印をしてくれた。リディアの魔力をもらって今までより護りは強くなったはずだった。だが、学園内で……ワシはリディアを護れなかった。護れなかったことを知ったのも後からだった……』
深い後悔がうかがえる。
『けれど、そう嘆いていても何も解決しない。まもなく学園祭がある。その時に護りを解かないでいられるだけの魔力が必要だ。そこで、森の護り手や高位の魔物たちといくつかの術式を編み出した。それらを学園のいくつかの地点に施してきて欲しいのじゃ』
「わたしが、ですか?」
『そうじゃ。リディア、頼まれてくれないだろうか』
「わたしは術式を知りませんが、わたしができることですか?」
『ああ、魔法陣にしてある。これを指定する場所に埋め込んでくれればいい。リディアは土魔法が得意と聞いた』
土魔法で魔法陣を埋め込んでくればいいのか、それならできそうだけど。魔法陣って持ち運べるものなのかしら……。
どう尋ねようかと思っていると、上からわたしの顔ほどはある大きな葉っぱが1、2……7枚落ちてきた。
『それが魔法陣じゃ』
魔法陣? よく見ると葉っぱには色のついた蜘蛛の糸で描いたような不思議な模様が描かれていた。
でも1枚だけ、まっさらな何も描かれていない葉っぱがある。
『7枚目の何も描いていないものは、リディアのものだ。礼が思い浮かばなんだ。悪く思うな』
葉っぱを埋め込んでくるだけだ、お礼なんていいのに。
「では、ありがたくいただきます」
わたしはまっさらな葉っぱごと収納ポケットに入れた。
この魔法陣を配置すると、魔力を増幅することができ、過剰で排出されている魔力を溜めて置くことができ、いざという時にその魔力を使うことができるそうだ。その上、学園内の護りを強化できるらしい。
わたしは早速魔法陣を埋めに行くことにして、もふさまと歩き出した。
学園の一番奥にあたる場所からにしよう。
「リディア嬢」
「ロサ! ……殿下」
慌てて付け加えたら笑われた。
またひとりだ。いくら学園内といえど、王子さま、ちょっと自由すぎないか?
「先日はありがとうございました」
伝達魔法でお礼は伝えたんだけど、直に言えてよかった。
「いいや、ただ運んだだけだ。フランツから良くなったと聞いたよ。リディア嬢はあそこで何をしていたんだい?」
「ロビ兄からあの場所を教えてもらって、落ち着けるところだったから、物語の構想を考えていたの」
ロサは大きく頷いた。
「あそこはあまり人が来ないから、心を落ち着けるのにいい場所だ」
自分は待ち合わせしていたくせに。でも人の恋路に首を突っ込んでいいことないからね。わたしは何も言わないよ。ただロサにもなんだかんだとお世話になっているから。ううん、それだけじゃなく友達だから、幸せでいて欲しいよ。苦しい恋愛じゃないといいんだけど。
「……辛いことはないか?」
え?
「わたし?」
ロサは他に誰がいるんだというように首を傾げた。
わたしが言いたいよ、辛い恋じゃないのかって。まあ、でもここは知らんぷりするのが友情だと思うから、突っ込まない。
「ああ。拐われたことで、変なことを言うやつはいないか? 大丈夫か?」
「あれね。街を半壊させたことになっていて驚いているけど、大したことじゃない」
ロサは苦笑していた。
「フランツがいるから必要ないとは思うが、助けがいる時は言ってくれ。力になるから」
そうわたしの肩を叩いて、ロサは歩いていく。
さてと、魔法陣を埋める場所はもっと先だ。歩き出してしばらくすると、女の子の団体に囲まれた。
もふさまが大きくなる。何人かはビクッとして手を取り合い、わたしを囲んだ円が崩れる。
「……何かご用ですか?」
カールした水色の髪の先輩が、わたしを睨みつけた。
「あなた、婚約者がいながら王子殿下に近づくなんて、どういうつもりですの?」
「婚約者も兄も殿下と友達ですの。顔を合わせればご挨拶ぐらいさせていただきますわ」
わたしは堂々と言った。後ろぐらいことなんかひとつもないもの。
「1年生がなんて生意気なのかしら」
今の会話でわたしが1年生なことは何も関係なくない? それに答えただけなのに、なぜそれが生意気になるんだ?
「そりゃ、それくらい生意気で〝面の皮〟がお厚くないと、噂の的になっても続けて学園に通うなんてことできないですわ」
「本当、そうよねー」
「私だったらそんな噂が出たら、とても学園にはいられませんわ」
団体さまの視線が意地悪な色を含む。
なるほど。
それはどんな噂?って聞いて欲しいんだろうなーと思ったので、わたしは明るく言った。
「お話が特にないようでしたら、わたし、急いでおりますので、失礼致しますね。先輩方、ご機嫌よう」
「ま、待ちなさいよ」
いやだよーと、心の中であっかんべーをする。
「あの娘は聖女候補じゃないもの、何をされたかわかったものではないわ」
「ええ、お父さまがそう言ってたもの」
「それでも平気で学園に通えるのだから、厚かましくて、生意気なのよ」
わたしが振り返ると、ぎくっとしたような表情をしている。一応、意地悪なことを言ってる自覚はあるみたいだ。でも言葉に含まれる、わたしの令嬢としての未来を寸断する侮蔑が潜んでいることには気づいてないんだろう。
「そこまで情報通な先輩方ならご存知ですよね? わたしたち逃げてくる時に、〝街〟を半壊させてきましたの。厚かましく生意気なだけじゃなくて、受けた恩は必ず返しますのよ、良い方も悪い方も。先輩たちの顔、しっかり覚えましたから」
ひとりが後ずさってから駆け出すと、みんながそれに続いた。
正しい風評はこっちか。みんなの危惧していたこと、わたしに対する気遣いなどが納得できた。みんなわたしの心が傷つくのではないかと心配していると感じていた。でも誘拐も初めてじゃないし。慣れるものでもないけど、殺されそうになったわけでもなかったし、ひとりじゃなかったから。心配されるようなことは全然ないのにって思ってたんだけど……。
ひとつ目の魔法陣埋め込みスポットについたところで、もふさまに気遣われる。
『リディア、大丈夫か?』
ポンと音がして、それぞれがぬいぐるみ防御を解いている。
『リー、あいつらは何を言ってたの?』
『水をかけてやろうかと思った』
レオを抱きしめて、それを止めてくれたみんなをまとめてもふもふする。
「脅しておいたから、少しは静かになるでしょ」
「リディアはそれでいいんでちか? 傷ついてないでちか?」
アオが真っ黒の大きな瞳で、わたしを見上げた。




