第303話 聖女候補誘拐事件③石の砦
「大丈夫? 起きられる?」
ユーハン嬢はわたしが嫌いだろうに、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
アイリス嬢は小さな子たちと遊ぶのに忙しい。そうやって親しくなり情報を集めてくれているんだけどね。
「顔色はよくなったわ」
わたしが眠ると、魔具を本当に外していたと教えてくれる。
元気いっぱいとはいかないけれど、あのまずい状態からは逸脱している。
「……だいぶ楽です」
手にはもうシルバーのブレスレットが嵌められていて、それを恨みがましく眺めてしまう。
起きて少し経つと、周りが騒がしくなった。
「到着したようね」
ユーハン嬢が言った。
「聖女に何をさせたいのかしらね」
「何をすると、聖女として目覚めると思っているんですかね?」
「あなたとは、まだ話が通じるみたいだわ」
アイリス嬢は全て受け入れていくタイプの娘だから、話が弾まなかったらしい。
ノックの後に、誘拐犯1が部屋に入ってきた。
「目覚められたようですね。いかがですか、体調は?」
「今のところ、意識が飛びそうになるまでではありません。けれど定期的に外していただかないと同じことが起こると思います」
〝1〟は探るようにわたしを見ていたけれど、頷いた。
「着きました。移動していただきます」
立ち上がるとふらつく。そこを慣れた感じで抱えられた。
誘拐犯の世話になんかなるかと思ったけれど、具合が悪いと思われた方が油断して逃げられるんじゃと思ったから、存分に迷惑をかけてやろうと思った。
大人しくしていると訝しがられたけど、実際しんどかったのでそのまま通した。
上から薄い布を被される。日差し避けのようだ。確かにこの地は驚くほど暑い。
帰ったら例のアレを完成させよう。母さまと本気で取り組まなくては。すっかり帰る気でいるので、自分のポジティブさが笑えると思う。
ユーハン嬢も、アイリス嬢も、日差しを遮る布をベールのように頭からかけていた。
みんなフォルガード語で話しているから、隣のエレイブ大陸だろう。この暑さからいって、ユオブリアより南だ。船で4日ぐらいの位置。エレイブの南は小さな国が乱立していたはず。国を聞いたら答えるかしら?
わたしたちは港で助けを求めるつもりだった。けれど、先回りして言われる。
ここは裏港だと。この地にいる人は助けてくれるような殊勝な人はいなくて、もし自分の元に子供が転がり込んできたら奴隷商に売るだけだと。意識を奪ったりせずに、自由にさせている理由をよく考えてくださいね、と言われた。アイリス嬢と仲良くなった子も、「砦以外で逸れたら大変なことになるから、絶対みんなと一緒にいないとダメだよ」と言っていたらしい。
これが心理戦なら大した策略家だ。言葉だけで、さるぐつわと両手両足に枷を嵌めるのと、同じ効果を生み出しているのだから。
思えば最初から、そうだった。
意識を奪われ、思わぬところに連れて行かれていたら、パニックを起こす。でもそこでは身は自由だし、待遇も切羽詰まったものでもない。姫さまとかしずかれ、魔力は遮断されているけれどそれだけだ。
ひとりじゃないことも功を奏した。知っている顔があれば落ち着くものだ。そして詳細の目的はまだ聞いていない。人はすべてのカードが出揃ってからその上で選びたいと思うのか、結論を出せないと行動を起こしにくいみたいだ。
裏港というのは本当だろう。船着場は一隻分しかないし、宿や店が全くない。こそっとやってくる船へ乗ったり、降りたりするだけの場所で、皆すぐに散っていくのだろう。公にしたくない船の発着所。そんなところにいる人たちは、まっとうより少し外れた意識の人が多い気がする。そんな人に助けを求めてしまった場合、本当に人売りに売られるかもしれない。
それが全くの嘘であることもある。でも今までの処遇を思い出せば、大博打を打つ気にはならなかった。ゆえに3人とも大人しく従うことになる。
子供が誘拐犯1に尋ねる。
《末姫さまどうしたの?》
わたしが抱えられているからだろう。
《末姫さまは体が丈夫ではないんだ》
《王子さまと同じ?》
誘拐犯1がわたしを気にした。
王子って言ったね?
王子さまの具合が悪いみたいだ。それなら医者に診せるとかすれば……。ん、医者では無理で聖女に魔法でとか、そんな子供みたいな考えじゃないといいんだけど。
何組かに分かれて目的地に向かうようで、わたしたちは誘拐犯1が御者、フォルガード語しか話さない、小さな女の子と乗せられ、2、3時間馬車に揺られた。女の子はユオブリア語で話しても首を傾げるばかり。本当にわかっていないかどうかは判断がつかなかった。
途中砂嵐が酷いという理由で馬車の窓は閉められていたし、窓を目隠しされていたから外を見ることはできなかった。
馬車から降ろされた。荒れ果てた地だった。振り返ると砂山が見えた。その横の岩の山が砂を防いでいるのか、そこからは土と岩の世界だ。背の高い鋭い細い葉っぱが岩の間から顔を覗かせている。
風には砂が含まれていて全身に砂が当たる。日差しよけの布を目と鼻のあたりで少し開けるようにして、後はぐるぐる巻きにされた。小さな女の子は自身に器用に布を巻きつける。
砂嵐があるのも本当のことみたいだ。
岩のある荒れた地。人が隠れているような感じもしない。ここからは歩くのかな?
「ここは、何ですの?」
尋ねたユーハン嬢に肩を竦める。
「神聖国の入り口です。聖女候補さまたちは末裔の力をお持ちですので、弾かれることはありません」
神聖国? 末裔?
怪しげなワードが。
入り口って言った? 岩しかないのに?
「ということは、フントさんは〝神聖国〟の末裔なのですか?」
アイリス嬢が尋ねた。
「ウミ姫さま、僕のことはフントとお呼びください」
「呼び方なんてどうでもよろしくてよ。あなたは末裔ですの?」
ユーハン嬢が怒りを含んだ声で尋ねる。
誘拐犯1はクスッと笑う。
「そういうことになりますね」
神聖国なんてあったっけ?
そう思ったことがわかったかのように
「地図からは15年前に消えていますけどね」
とにこりと笑った。
「さ、ウミ姫、こちらに手をかざしてください」
アイリス嬢が言われるままに少々薄い碑石っぽい岩に手をかざすと、岩山が真ん中で割れて通路が現れた。
わたしたちは息をのんだ。
通路? だって岩山の向こうも普通に荒地があるだけに見えるのに。それとは別に通路はまっすぐ伸びている。荒地は幻覚?
すると小さな女の子がいきなり平伏した。膝をつき、おでこを地につけ、掌を天にむけ、肘を地面につける。
《聖霊王さま、今ここに聖霊王の末裔の魂が還られたことに感謝いたします》
セイレイオウ? ここは精霊王信仰なの? 精霊の話なんて聞いたことないけど。ああ、15年前に滅んだとか言っていた……だから?
なんか話がさらに怪しくなってきたな。まさか信仰の教祖っぽいのに祭り上げられるんじゃないでしょうね……。
ユーハン嬢も問題なく通路に入り、わたしも通れる。
ということは、ペテンだね。
小さな女の子はニコニコして後から着いてくる。
日が燦々と輝いて地に届く。まあるい円形の広場だった。
小さな男の子が2人駆けてきて、誘拐犯に挨拶をし、わたしたちをキラキラした目で見上げてくる。
《姫さまたちを案内したいから、外の馬車を中に入れてくれるかい?》
子供たちは頷いて、わたしたちが入ったとたん岩壁になったところに手をついた。岩壁が真ん中で割れて通路が現れる。
視線を感じて振り返れば、誘拐犯が食い入るように見ていたわたしを面白そうに眺めていた。
「船旅でお疲れでしょう。部屋に案内します」
中は石の山というか塔というかがいくつも見えた。でもよく見ると窓のようなものもあり、建物なんだとわかる。人の気配がほとんどなくて、わたしは首を傾げた。3人も人を拐うならそれなりに要員が必要なはず。わたしたちに姿を見せている実行犯は1と2だけだ。あとは小さい子とお婆さんたち。戦力になるとは思えない。船員さんが? いや、あの船も今思えば人が少なかった。船自体も大きくはなかったけど。愛想は良かったけど、あれは違う気がする。裏港専用の船にお金を払って乗っていたの方がしっくりくる気がした。
狭いですがと連れて行かれたのは、小部屋が4つ集まった塔にも見える岩山だった。
その中の3つの小部屋にはムシロみたいなものが置かれていて、その上で眠れってことなんだろうなと思う。もうひとつの部屋には小さなテーブルと椅子が4脚あった。わたしたちにちょうどいい大きさで、大人には辛いだろうと思われるサイズだ。




