第289話 ミス・スコッティーの逆襲(後編)
スコッティーが距離を詰めてきた。飛びかかろうとした、もふさまを蹴った。
蹴った!
もふさまはシュタっと着地する。スコッティーがわたしの腕をむんずと掴み、湯船にしては狭い、ひとりしか入ることのできないようなところに落とされた。
もふさまが走ってきて服を引っ張ってくれた。スコッティーからなるべく離れたところで水からあがる。水を含んだ制服は重たくて冷たい。寒くて体は震えてくる。
鬼のようなスコッティーに見下ろされていると、後ろから男の人の声がした。
「スコッティー、これはいったい?」
知らない大人だ。その後ろには息切れしているレノアやジョセフィン、キャシーがいた。
「ト、トムさま。どうしてここに?」
我に返ったように振り返り、スコッティーは後ろの大人に声をかけた。
「こ、ここは女子寮ですよ。中に入ってくるなんて。男子生徒、なんですか、あなたたち! なぜ女子寮に!」
トムさまと呼ばれた人は、喚くスコッティーの横を通り抜け、わたしに手を差し伸べ抱きあげた。濡れたわたしを引き寄せることで自分も濡れてしまうのに、少しも躊躇わずに。
「私はドーン男子寮の寮父です。女子寮の生徒たちから助けを求められたので女子寮に入りました。誰か、メリヤス先生を呼んで来てくれ」
走っていく足音が聞こえた。
「自分の名前を言えるかな?」
「リ、リディア・シュタインです」
優しく問いかけられて答えたが、自分の声が震えていて、それに動揺する。
「男性は出て行ってください、ここは女子寮ですよ?」
そう繰り返すスコッティーを、わたしを抱き上げた人は睨んだ。
「あなたは自分が何をしたか、わかっていないのですか?」
「何をした、ですって? 寮則を乱した寮生に罰を与えていただけです」
「これが、罰だと?」
トムさんはわたしを抱えたまま、風呂場から出る。
青い顔をした女生徒の中にはガネット先輩もいた。D組の男子生徒の顔もちらほらしている。大人が入ってきたと思ったらメリヤス先生だ。声なく、トムさんからメリヤス先生へと渡される。
メリヤス先生はわたしを食堂の椅子に座らせた。先生が両手でわたしの頬を覆う。その温かさにほっとして先生を見上げる。
「僕は風魔法が使えます。乾かします」
偽アダムだ。あ、乾いた。嘘? 思い切り凄い風だったわけではない。生温かい風がじんわりきただけなのに、服が乾いていた。
偽アダムはわたしの目の下に指を滑らせる。
「魔法で涙は乾かせないんだね」
涙? 反対の目に手をやると、水滴がついてきた。
激しく動揺したみたいだ。泣いていたことにも気づかなかった。今の自分を鏡で見るのは勇気がいると思った。その姿をみんなには見られていたということだから。
「だ、大丈夫?」
ニコラスだ。
「うん、驚いただけ」
偽アダムにもお礼を言う。
先輩がお水を持ってきてくれたり、わたしが水浸しにしたところを、拭いてくれたりしている。
メリヤス先生はわたしの脈をみたり、目や口の中を見て、それから立ち上がらせて、どこかに異常がないかを調べた。激しくショックを受けている以外は大丈夫とのお墨付きをもらう。
全てが終わると、もふさまがわたしの膝に乗り、わたしの頬に顔を寄せる。もふさまをギュッと抱きしめた。
白衣の生活部の先生が男子生徒と一緒に食堂へと入ってきた。とても驚いているように見える。
トムさんにわたしに近づかないよう止められているのに、少しもめげていないスコッティーは饒舌だった。
「まぁまぁまぁ、なんてことでしょう! 女子寮に男性が押し寄せるなんて。こんなことがお嬢さまにしれたら卒倒なさいますわ。さぁ、皆さん、寮から出てください。話なら外で聞きますから!」
「ドーン女子寮の寮長はシュタインさんになったんでしたね。シュタインさんにお願いします。生活部のペーパーです。女子寮ですが、視察のため滞在することに許しを」
薄っぺらい白衣の先生。いつになく真剣な面持ちだ。
「許可します」
わたしが許可を出すと、スコッティーが逆上する。
「シュタインさん、あなた自分が何を言っているかわかっているのですか? 未婚の女性の住むところに男性を招き入れたのですよ? なんてふしだらな。まったくシュタイン家ではどんな教育をしているのかしら!」
大人たちの冷たい視線を物ともせず、スコッティーは声を張り上げていた。その様子を見て、ペーパー先生が静かに、けれど力強く言った。
「寮生の心と身体を守る番人として、緊急権限により、生活部は寮母の権利の差し押さえを施行します。ドーン男子寮、寮父は証人となってください」
「ドーン男子寮、寮父、トム・バーリーは緊急権限の証人となります」
「ドーン男子寮、寮生、ゴーシュ・エンター。証人となります。生徒だと後ふたり証人がいるんだ」
偽アダムが証人になり、他の生徒に声をかける。
「ドーン男子寮、寮生、ニコラス、証人となります」
「ドーン男子寮、寮生。イシュメル、同じく証人だ」
「生徒3人で一票、寮父で一票。神官、メリヤスが緊急権限を認めます。今からミス・スコッティーの寮母の資格を暫定的に剥奪します。ドーン女子寮に入ることも禁じます。学園から指示があるまで、自宅で待機するように」
「え? 何を仰るのです? わたしは寮生に教えを説いていただけ。さ、触らないで。私にこんな恥をかかせて、あなたたち無事でいられると思わないことね。私にはお嬢さまがついているんですからね!」
警備員のような人がやってきて、スコッティーを連れて行った。やっと、胸を撫で下ろせた。先生たちに明日、話を聞かせて欲しいと言われ、部屋まで連れて行ってくれた。先生たちは何度も寮の中の様子に息を呑んでいた。
ひとりで大丈夫か聞かれたけど、大丈夫といって部屋に籠る。
もふさまがうなだれている。もふさまは悪意には敏感だけど、人の護り手だからだろう、人が悪いことと認識していない思いは感知しにくいみたいだ。ミス・スコッティーはわたしに対して悪意があったわけでなく、本当に罰則が必要だと思っていたということだろう。
リュックの中でもわたしの危機に飛び出そうとしたレオ、アリ、クイをアオとベアが必死に止めてくれたらしい。時々声が聞こえていた。わたしを助けてくれようとしたレオとアリとクイにお礼をいい、最善の選択をしてくれたアオとベアに感謝する。
そしてみんなでご飯を食べた。あまり考えずに今日は眠ることにした。水の中に自分の意思でなく落ちた?のは、結構、衝撃的だった。さっさと寝たけれど、うなされてレオ以外を起こすことになった。喉がからっからに乾いて、胸のあたりが重たくて。
朝ごはんを食べる気にはなれなかったので、みんなのご飯を部屋で済ませた。
学園に行く準備をして部屋を出ると、やはり準備万端のレニータたちが部屋の前で待っていた。
「おはよう、大丈夫?」
「おはよう、食事も来ないから」
ああ、心配をかけてしまった。
「おはよう。ごめん、寝坊しちゃって」
みんなと一緒に学園に向かった。ドーン寮の子は大丈夫かと声をかけてくれた。先輩たちも遠巻きに心配そうにしている。
1、2限はダンスの授業だったが、わたしは会議室に呼び出された。
そこには担任のヒンデルマン先生、メリヤス先生に、生活部のペーパー先生。男子寮の寮父のトムさん、それから知らない大人が何人もいた。
身体の様子を聞かれ、それから、何があったかを話すように言われた。
昨日のことを話したが、何かおかしいと思ったみたい。罰を受けたのは初めてではないのだね?と確信を持って言われたので、3日前からの理不尽な罰をわたしは言いつけた。
昨日はミス・スコッティーがいよいよおかしいと、レノアと寮生たちが助けを求めに走ってくれたのだと知った。一番近いのがドーン男子寮だ。ドアを叩き、寮父が出てくると、助けてくれと引っ張ってきたそうだ。みんな泣きべそをかきながら、とにかくわたしを助けてくれと言っているのを聞いて、わたしを知っている人たちが駆けつけてくれたらしい。
異性の寮に入ることを禁じられてはいたが、助けを求められたし、女生徒たちが揃って怯えて泣いていたので非常事態だと飛び込んでくれたらしい。
そこで見た光景は、仁王立ちしてわたしを見下ろしているスコッティーと、びしょ濡れのわたしに、その前で威嚇するもふさま。子供たちは寮母に怯えきっていた。
生徒や厨房責任者のレノアから話はある程度聞いたらしい。最後にわたしから話を聞く流れだったようだ。先生たちは重苦しい顔をしていた。
後からわかったことだが、ドーン女子寮は誰から見てもひどいありさまだったらしい。
生活部が統括するのが寮だが、十何年も前から生活部の担当が男性なのを理由に寮に入るのを拒否していた。寮母と寮長の同意があれば、生活部でも寮の中に入るのを拒むことができるようだ。入るっていうか視察を断っていたみたい。
8つの寮は同じ時に建てられた。ドーンの2つの寮だけは部屋の仕様を変えたが、あとは平等を意識した。月日が流れれば老朽化する。修繕費は同じように与えられたが、貴族たちは資金を足し、よりいい物を取り入れ、ドーン寮だけは自分たちで修繕をし、その浮いたお金で足りていない勉強の道具などを買うなどした。やがて修繕費を寮父や寮母が懐に入れたり、寮生が直しそのお金を分けたり、寮の備品をお金に変える者まで現れた。
それが発覚したときに寮長同士でお互い見守り合う、寮長の制度が出来上がった。そんな理由で始まったが、時は流れ、いつしかアベックスの寮長をトップとしたピラミッドが出来上がった。
そうして歴代の露出しなかった少しだけの不正が塵積もり、ドーン女子寮は恐ろしくお粗末な寮に成り果て、視察が入らないのでそれに気づかれないという事態が発生した。同じドーン寮の寮父もびっくりな荒廃ぶりだったようだ。
ちなみに、今までどの女子寮からも寮母と寮長から入ってくれるなと視察を拒否されていたが、今回の件で緊急に見て回ったところ、ドーン寮とは反対の意味でアベックス寮も凄いありさまだったらしい。爵位の上のお嬢さまたちが財力にものを言わせ改良を重ねてきたようで、寮とは思えない様相だったようだ。アベックス寮のお嬢さまたちは他の寮と交流を持たないので、ここもまた自分たちの寮が凄いことになっているとは気づいていなかったそうだ。
そうだったんだ。やっぱり、かなりおかしかったのね、うちの寮。
そして調べていくうちに、現在、寮の修繕はスコッティーの実家がやり修繕費を受け取っていて、野菜などの買い付けも斡旋しその仲介料を手にしていたことがわかった。
寮母の資格はそのまま剥奪され、二度と学園には入ることはなかった。
スコッティーが寮母でなくなったことに心から安堵したが、学園では寮母も辞めさせた新入生寮長、横暴極めりと、わたしの噂がたっていた。