第280話 教養より必要なこと(中編)
「男子寮に寄付話ってきてないよな?」
「切り詰めた様子はなかったけど……」
小声で男子たちが確かめあっている。
「再戦はなんのためなんだい?」
偽アダムがニヤニヤしながら言った。そんな嫌味ったらしさ満載であっても、品があるので余計にむかつく。
「……負けた感がつきまとっているのを払拭したいのと、勝って鼻を明かしてやりたいからです」
「それだと、君のただの主張だよね? 悔しいからやり返したい。それが通らないからって寮長を下ろしたの?」
「違うわ! それは寮長が」
「ダリア!」
わたしを擁護してくれようとしたダリアをレニータが止める。
「ふーーん、前寮長を下ろしたのは、寮長と決めたことみたいだね」
偽アダムが決めつけると、レニータたち以外の女子がざわざわした。
「どういうこと?」
声を荒げたマリンに偽アダムが口を出す。
「前寮長は負け戦をしたんだ。同じ轍を踏まないよう頭をすげ替えたんだろう」
「じゃあ、そう言えばいいじゃない。なんであなたたちだけでこそこそしてるの?」
マリンが怒りの声をあげる。
「それは少し考えればわかるじゃないか」
また偽アダムが発言した。
「何がわかるのよ?」
マリンは気が強いようだ。
「先ほど、シュタイン嬢は、再戦が決まるまで話せないことがあると言っただろ」
みんながわたしに一瞬目を走らせた。
「なぜ話せないか……、シュタイン嬢は再戦が叶うのが目的なんだから、そう考えれば話すと再戦ができなくなる可能性があるからと導き出される。寮長と結託しているなら、そう例えば、前寮長が再戦を望んでいると知られると再戦の可能性が低くなる、とかね。それを女子寮で共有しないのは、そうだね、手の内を告げられると困るから。ドーン女子寮の中に状況をアベックス寮に告げる人がいるかもしれない、とか」
こいつは……。
「そうなの?」
「秘密を知るのは少ない人数の方がいい。どこから話が漏れるかわからないからね。だから全員には言わなかったんじゃないかな? 黙ってるのが、答えだろう」
嫌なやつ!
「ごめん、約束をしていることがあるから、話せないけど。このクラスの人を疑っていることはないし、決まったら話す。でも、今は言えないから、総会であったことがそのまま事実」
「シュタイン嬢は被虐されるのが好きなの?」
「はい?」
「全部ひとりでひっかぶるから、好きなのかと思って」
「ひとりで被っているつもりはありませんけど?」
「本当にそう思ってるなら重傷だよ。わかってる? 君の評判は最悪で、今なら君に危害を加えても、許されるんじゃないかと思う者まで出てきている」
あちこちで息を飲む気配がした。
「何かあったの?」
「あれ、トモダチに言ってないの? 上級生男子に追いかけ回されたこと」
「ゴッ、……エンター、なぜお前が知っている?」
口を挟んだのはヒンデルマン先生だ。
「なぜって、その時匿ったからですよ、僕が」
6年前だっけ? あの頃のアダムはここまでひねくれた感じじゃなかったのに。
「そうなのか、シュタイン」
「……はい、助けていただきました」
助けてもらってありがたかったのに、なぜ屈辱的に感じているのだろう?
「あんた、バカなんじゃないの? あ、貴族でD組なんだもん、そりゃバカよね。だったら余計にひっかぶってるんじゃないわよ。それに辛いなら辛いっていいなさいよ!」
「あの、マリンはひとりで辛くならないでって言ってるのよ」
アンナがマリン語を通訳した。
「そ、そんなこと言ってないでしょ!」
逆上したマリンをアンナがハイハイ、と宥める。
「シュタイン嬢は、頼るのが苦手みたいだね」
ニコラスに言われる。
「先生がご存知ってことは、浅はかな上級生の問題はカタがついたんですか?」
少し丁寧な口調でアダムが尋ねる。
先生は咳払いをした。
「シュタインが寮長をおろしたのは横暴だと思う者が多く、そんなシュタインに罰を与えてやるという考えを持つ、残念な生徒が出たのは確かだ」
聖女候補うんぬん話は、出さなかった。
「リディア!」
レニータに泣きそうな顔で見られた。
「大丈夫、お遣いさまがとっちめてくれたから」
「何で再戦したいんだよ? A組と勝負なんて結果は見えてるだろ?」
わたしの発言に被せて、イシュメルが尖った声を出す。
イシュメルは皮肉げというより、もうちょっと切羽詰まった表情に見えた。
だからなのか、それに反応してしまったように感情的に告げていた。
「そんなことない、今度は絶対勝つ!」
「その根拠はなんだよ? アベックス寮との戦いっていっても、アベックスの寮長が言ってることなんだろ? 寮長は確か公爵だろ? そんなのに目つけられたら、学園でだけじゃなくてその先も潰されるだけだ。貴族のお前だってそうなんだぞ?」
後から考えればイシュメルは心配して言ってくれたんだとわかる。でもなぜかこのとき、頭が回っていなかった。
「そんなことしたら笑ってやるだけだわ。負けを認めたのと同じじゃない」
「は? お前、ただそれは感情論だろ? そんなの通じるわけないだろ!」
大きな声で高圧的に言われて、わたしは唇をかみしめた。正論なのだと認めるところだからだ。
その緊迫した空気の中のんびり声があがる。
「シュタイン嬢は、勝算があるんだろう」
ちろりとわたしを横目で見て、頬杖ついたまま偽アダムは微笑む。
「そうなの?」
レニータたちに希望溢れる声音で言われる。
いや、確かな勝算があるわけではない。ただガムシャラにやるだけだ。
「そうだ! リディアは年末の総合点以外に、魔法戦の結果を入れるって!」
わたしが黙ったままだからだろう、キャシーが策はあるといいたげに言い切った。
「シュタイン、魔法戦の点数の付け方知ってるか?」
イシュメルに尋ねられる。
「個人点と、クラス対抗で試合をするって聞いてる」
「そう、クラス対抗だ」
イシュメルがクラスに力を込めていう。
一拍置いて、盛大なため息をつく。それがいかにもわかってねーな感を醸しだしていた。
「クラスってことはD組全員、男子も含まれるんだ」
え?
「授業は男女別じゃん!」
「やっぱりわかってなかったか。男女で体力の差があるから基本は男女別にやるんだ。夏を過ぎれば男女混合になる」
ということは……。
「魔法戦を組み込むなら、男子も当事者になるってことだ」
え、そんなぁ。スタートが同じである魔法戦は訓練次第で勝てる確率が上がると思ったけれど、男子も巻き込むのは想定外だ。
……どうしよう。爪をかじりそうになって、すんでのところで気がつきやめた。
「まぁまぁ。そもそもさ、勝負をして何を賭けようっていうんだい?」
偽アダムの瞳は青いのに、角度で別の色にも見えた。
「……賭けるのは誇り。相手側の要求はわからないけど、こっちが勝ったら最低でもひと月分は食費と人件費を削って寄付金を捻出して、わたしたちと同じ生活をしてもらう」
笑い声をあげたのは偽アダムだ。
「どんな難題を持ち込むかと思ったら、はは、それは愉快だね。いいよ、僕はのっても」
「待てよ、なんなんだよ、お前! 何者だ?」
イシュメルが偽アダムにビシッと指を突きつけた。