第279話 教養より必要なこと(前編)
鐘がなり朝のホームルームの時間を告げる。ヒンデルマン先生は気怠げに教室へと入ってきた。挨拶するとすぐに先生は言った。
「今まで休んでいたD組最後のひとりを紹介する。これで揃ったな。みんなよりひとつ上だが、仲良くやってくれ。入りなさい」
本当にひとつ上なだけ? 無理があるのでは? 兄さまと同じぐらいの背丈だ。まぁ、兄さまより華奢だけど……。入ってきたのは、一昨日図らずも助けてもらうことになった、偽アダムだった。
茶色の長めの前髪から覗くのは青い瞳。髪を整え、顔をしっかりと見せたら、イケメン度がはっきりとし、女生徒が群がることだろう。いや、そんなことないか、顔を隠すようにしていても、女生徒の目が釘付けになっている。
『リディア、此奴はいつぞやの……』
わたしはわかっていると、もふさまを見て頷いた。
またねと言ったのには意味があったのだ。同じクラスだと知っていたのだろう。
まあ、いいや。わたしも偽アダムには聞きたいことがある。
「ゴーシュ・エンターです。よろしくお願いします」
エンター? 聞いたことのない姓だ。留学生なのかな?
「席は、この列の一番後ろ、空いているシュタインの隣の席に」
げっ。
彼が机と机の間の通路を歩いてくると、女子たちの視線が追いかけてくる。
ま、確かに美形だもんね。
「シュタイン嬢、よろしく」
「エンターさま、よろしくお願いします」
猫を被り、ほほほと愛想よくしておく。
休み時間になると、レニータたちは偽アダムを近くで見たくてだろう、わたしの周りに群がる。
朝は寮へと行ったがバタバタして話せなかった。ちょうど良かったので週末の寮の様子を聞くと、目を輝かせてご飯をお腹いっぱい食べたと報告してくれた。問題も特にはなく、穏やかな週末となったようだ。ほっと息をつく。
「お遣いさま、小さくなったって?」
「家に帰った時に、ウチのもふさまと波長があったみたいでね。何かあったらお遣いさまの姿になるみたいだけど、それ以外はもふさまの中にいることにしたみたい……」
「じゃあ今は〝もふさま〟なの? 小さい頃からいつも一緒にいたっていう?」
わたしが頷くとレニータは触っていい?とわたしに尋ねた。
偽アダムではなく、もふさまへの興味だったか。
わたしたちと親交があった方々はもふさまを知っている。そしてお遣いさまと似ていると言われた時から、兄さまは危惧していたようだ。それで、今回帰省した時にもふさまとお遣いさまが同化しちゃいましたというストーリーをでっちあげた。お遣いさまは何かあった時だけ出てこられて、それ以外はもふさまの中で休んでいる設定だ。各方面へは連絡済みである。生徒にも知らされてるようだ。
「尻尾振ってるから、いいみたい」
と伝えれば、わしゃわしゃともふさまを撫でまくっている。
「背中の鞄もかわいいね」
えへへ、褒められた。中にはもふもふ軍団が入っている。
レニータだけでなく、ジョセフィンもダリアもキャシーも手を伸ばす。
唐突にわたしの前の席のニコラスが振り向いた。
「シュタイン嬢、質問していい?」
「なあに?」
「君、寮長をリコールしたって本当?」
本当だと頷けば、どうして?と尋ねられた。
ざわついていた教室が静かになる、耳をそばだてている。
「寮長の役目を放棄したから、リコールしたの」
「穏便に済ませる方法はなかったの?」
「それしか思いつかなかった」
「君、評判が最悪だよ」
「知ってる」
と言えば、ニコラスは吹き出した。
「君とは少し話したことがあるから、何か理由があるんだろうと思うけど、客観的に見れば、貴族のお嬢さまで、入園試験の結果が悪かったからD組なわけだし。そんな子が寮長を下ろしたって聞いたら、君の素行を悪く思う人が出てくるのは当然だと思うよ」
「そうだと、思う」
「……リディア……」
認めればレニータたちがわたしの名前を辛そうに呼んだ。
「あのさ、どうしてそうなったのか、教えてくれない?」
「どうして?」
「同じD組として、クラスの子が悪く言われるのを聞くのが嫌だから。事情を知っていれば、たとえその通りだとしても納得できるけどさ」
胸を打たれた。
「リディアは悪くないの。矢面に立ってくれているだけ」
ジョセフィンが言った。
「話しちゃえば?」
教室内が静かだから思いの外そのセリフは響いた。
軽い調子で言ったのは、隣の席の偽アダムだ。頬杖ついてこちらを見ている。
コンコンと黒板をノックする音がする。
1限目の一般教養を担当し、我らが担任でもあるヒンデルマン先生が教室に入ってきていた。全然、気づかなかった。鐘って鳴ったっけ?
「悪くない話だな。みんな気にかかってるようだし、シュタイン、話す気はあるか?」
わたしはレニータたちを見た。みんなが頷く。
確かに全容を知っているのはレニータたちとわたしだけだ。他の女子はわたしが話した今までの状況と総会のことしか知らないわけだし。わたしの評判が悪くなり、D組も一括りにされ悪者感が漂い、みんなに居心地の悪い思いをさせたりもしているのだろう。
「あります」
決意すると、先生はこの時間を使って話すといいと言ってくれた。話を聞いたりその上で何かを考えることは、今のみんなにとって教養より必要なことだと思えるからだと理由を告げた。
先生はみんなを席に着かせる。教壇に立ち話すのは緊張するので、自分の席で立って話させてもらうことにした。窓側の一番後ろの席なので、みんながわたしに体の向きを合わせる。
わたしは入寮した時の寮の様子から話し始めた。
入園にあたり聞いていた話と随分違うと思ったこと。貴族の寮とドーン寮が違うのかと思い男子寮の話を聞けば、女子寮だけがおかしかったこと。図書室にいってそれを訴えるべき窓口はどこなのか調べ、寮の統括をしている生活部に行ったこと。そこで知り得たことを元に何が起こっているのか予算案を開示してもらったこと。
そうすることで食費や人件費などを削って寄付をしていたとわかり、その寄付をしたことで先輩たちはポイントを受け取ったことも話す。
なぜそんなことをしてまで寄付をしたのかを調べたら、去年アベックス女子寮と年末の試験の総合点で勝負をすることになり、それに負けて寄付をすることになったとわかった。
わたしは寄付はいいことだと思うが食費を削らないで欲しいと思った。それに賛同してもらい寮の総会を開いた。
寮の総会で食費を削らないで寄付金を捻出する案を出し、アベックス寮に再戦を挑むことを提案した。前寮長にはそう動けないと言われたので、役目を放棄したとみなし、リコールした。再戦が決まるまでは話せないことがいくつかあることも最後に付け加えた。
長い説明になったが、みんな静かに聞いてくれた。
「だけど、なんで勝負に負けて寄付をすることに?」
このクラスはほとんどが平民なだけに、嫌な話だろうとためらうと、ジョセフィンがぶちまけた。
水を打ったように静かになった。