第271話 寮長ですが、何か?①挨拶
ヤーガン令嬢は形のいい口をちょっぴり開けたまま、固まっている。
「あなたが?」
最初に口を開いたのはヤーガン令嬢の取り巻きだ。
5年生は就活に出ていることも多く、あまり教室にはいないと聞いたが、今日は人が大勢いた。
「あなた1年生よね?」
「1年生が寮長になってはいけないという規則はありません」
「寮長は職場見習いに行かれるのでなければ卒業まで続けるものでしょう? なぜお辞めになったの?」
ヤーガン令嬢がきれいな声でガネット先輩に尋ねた。
ガネット先輩が答える前にわたしは告げた。
「わたしがリコールしたからです」
ヤーガン令嬢、取り巻きの人たちだけでなく、教室中から視線が集中した。
「どういうことですの?」
さすが令嬢は落ち着いたまま問うてくる。
「前寮長が、役目を放棄されたのでリコールをし、施行され、新たにわたしが就任しました。ですので、アベックス寮長にご挨拶させていただきました。これからどうぞよろしくお願いします」
用事は済んだので、何か言いたそうな視線を避け、即座に上級生の教室を出る。
ガネット先輩も同じ思いみたいだ。
教室を出ると、いく人かが追いかけてきた。
「ガネット」
ガネット先輩が呼びかけた人の名前を紡ぐ。
「リームさま」
「君が役目を放棄するなんて、何か理由があるんだろう?」
リームさまと呼ばれた男の子は、ガネット先輩の腕を掴んだ。その後ろにはブライのお兄さんである、目に映える赤毛のジェイお兄さんがいた。いつも私服の時に会っていたので制服姿は新鮮だ。
「リームさま」
ガネット先輩の視線で、自分が女子の腕をうかつに掴んだことに気づいたみたいで、リームさまだとかいう人は謝った。
「ごめん。だけど、どうしてだ?」
そう言ってから隣のわたしを睨む。
「貴族であるのをかさにきて、ガネットをおろしたのか?」
「リームさま、そんなことはありません」
「ガネットは黙っていてくれ。貴族がそんなに偉いのか? ガネットを引きずりおろして楽しいか?」
周りでわたしの情報が飛び交っている。
聖樹さまとの顔合わせで倒れた子だとか、氷の君の婚約者だとか。何かと問題を起こしているとか。
は? なんかわたしが目立ちたくて次々と問題を起こしているような発言が聞こえたんですけど。わたしのことをわたしより知っているような口ぶりなんですけどっ!
『リディア、吠えてやろうか?』
もふさまはそう言ってくれたけど、わたしは首を横に振り、でもありがとうと毛並みを撫でる。それだけで荒ぶり始めた気持ちが静まる。もふさまは最高の癒しだ。
「授業が始まるまでに、他の寮長にも挨拶を済ませたいので失礼します」
そう言ったガネット先輩に手を取られる。
わたしは従って、そのまま隣のB組に入る。
ガネット先輩が寮長をみつけ、そして挨拶をする。よろしくとは返してもらったものの、マジマジと見られた。
C組でも挨拶を終えたが、そばかすのある寮長はわたしとガネット先輩を交互に見る。そして悪戯っ子のように
「あなた、ヤーガンさまに何かする気なの?」
好奇心いっぱいに尋ねてきた。
「ガネットさんに代わって、貴族のあなたが仕返しするとか?」
隣の女の子がそばかす寮長の脇をつく。
「痛い、何よ」
「失礼なこと言わないの!」
チラリとこちらを見るので微笑んでおく。
とりあえず挨拶は済んだ。わたしは教室まで帰れると言ったが、ガネット先輩は送ってくれると言って、それに甘えることにした。
先輩も寮の子だけでなく5年生に寮長を辞めたことが知れ渡ったわけだから、教室に居にくいのかもしれない。
「お疲れさま。ひと月に一度、あの顔ぶれで寮長の会議があるわ。……ごめんなさいね」
「いえ。あの、リームさまでしたっけ、どういうご関係ですか?」
「私の住む地の領主さまのご子息よ。年が同じだから、小さい頃は身分のことがよくわからずに一緒に遊んだりしていて。だから今も気にかけてくださるの」
先輩は手で胸を押さえていた。
その時わたしはガネット先輩が話しやすいのは、どこかカトレアに似ていると感じていたからだと気がついた。
シュタイン領で唯一の宿屋の娘だったカトレアは、去年16歳になったのと同時に結婚した。この世界の成人は18歳だ。結婚は男性が18歳、女性は16歳で認められている。オジ専と豪語していた彼女は、実家の宿屋によく泊まりに来ていた2つ上の冒険者を生涯の伴侶とした。どちらかというと若く見られがちなかわいい顔の人で、仲良しの中で先陣をきったカトレアに話が違うとみんなで詰め寄った。現在は冒険者をサクッと辞めた旦那さまと一緒に、シュタイン領のほぼ中央に作ったお風呂とアトラクションを楽しめるタイプの大型施設宿の総支配人をしている。従業員の采配もしっかりできる敏腕女将だ。カトレアのサバサバしているところと、ガネット先輩は重なるところがある。
「ガンネって知ってる?」
わたしは首を傾げた。
「知りません」
「貴族だもの、悪い言葉は使わないわよね」
?
「ガンネっていう土色の、体が丸っこい水鳥がいるの。首をすごい角度まで曲げることができるのよ。敵が来てもそちらを見て首をただただすごい角度まで曲げているだけで、捕獲されてしまう。それで威嚇しているつもりなのかって、馬鹿な代名詞みたいに使われるの。研究が進んで、ガンネは視力が悪くてただ見えてなくて首の角度を変えて見ようとしていたことがわかったんだけど、その風習はそのままで。ただ見えなくて見ようとしているだけなのに、見えてないだけなのに、そんなふうに勝手に言われて気の毒よね」
人からすると飛び立てば逃げられるのに、そのチャンスをみすみす見逃しているように感じられて、馬鹿だと言いたくなるのだろう。でも解明されてみれば、視力が悪くて見えていない事実があった。
「そこから転じて、チャンスに飛び込まなかったり、いいことってわかるのに手をこまねいていたりすると、ガンネみたいになるって言われたりするの」
へー、ガンネを見てみたいなと思った。
「小さい頃、ガネットガンネって揶揄られた。深い意味はなくて語呂がよかったからみたいなんだけど。馬鹿にされているのはわかったから、ガンネって気の毒な鳥を勝手に嫌ってたわ。その罰なのか……学園に来て、何度も私ってガンネだって思った。見えてないのよ。見ようとして角度を変えてまた見たりしているうちに、結局私何もしていないのと同じなんだわ。それにみんなを巻き込んでしまった」
深い後悔が窺える。
そうか。そうだよな。表立っていたガネット先輩が一番辛かったはずだ。自分を何度も責めたはずだ。心がぎゅーっと痛くなった。