第268話 厨房の事情
タボさんの声で目覚める。
擦りながら目を開ければアオのドアップだ。
「おはようでち」
「おはよう」
「リディア、昨日すぐ眠ちゃったでち」
拗ねたような言い方だ。
「そうだね、ごめーん」
アオを胸に抱きしめた。
「リディア、リディア」
んー? 目の前にアリとクイとベアがいる。ベロンともふさまに顔を舐められた。
「リディア、おいらをギュッとしているうちにまたうとうとしちゃったでちよ。さっきが起きる時間だったでちよね?」
ええっ?
10分も経っている。
わたしは挨拶もせずに洗面所に駆け込んだ。
部屋着のまま寝ていたわたしグッジョブ。整えて、このままミス・スコッティーに挨拶しようと決めた。
玄関前には今日の清掃班の子たちが揃っていた。心なしか眠そうに見える。
「おはよう」
「おはよう」
挨拶をしているうちにミス・スコッティーがやってきた。いつも通り掃除を始めるようにと言って背中を向けた寮母を追いかける。
ミス・スコッティーに寮長になったことを告げた。目が大きく見開かれた。
「あなた1年生でしょう? 何を勝手に」
勝手に?
「寮の総会で決めたことです。勝手にしているわけではありません。それに1年生が寮長をやってはいけないという規則もありません」
ミス・スコッティーは口を開きかけて言葉を飲み込む。
「こちらの手配をお願いします。今日付けで食費は元の予算へ戻すことにします。詳細はこちらに書いておきました」
やってもらうことを書いたメモを渡しておく。
「な……、寄付はどうするのです? 寮長が変わるからと言ってお嬢さまとの約束を反故にするつもりですか?」
「お嬢さまとは?」
「アベックス寮長である、マリー・ヤーガン公爵令嬢さまですよ。去年D組は全員が退園になるところでした。そこに手を差し伸べてくださった方ですよ」
退園になるところだったのを手を差し伸べた?
退園に追い込もうとしたの間違いでしょう!
「わたしが知っている話と随分違うようです」
寮母はニヤリとした。
「そうでしょう? あなたはまだ来たばかりだから先輩たちに言いくるめられているのよ。私が教えてあげます」
この人怪しすぎる。
頭ではその〝教え〟とやらを聞いて、言質をとるのがいいと思った。
でもわたしの細胞のひとつひとつが嫌だと声をあげ、拒否している。
この人から飛び出すD組を陥れようとしているかのような戯言は聞きたくなかった。
「それは然る時に然る場所でお願いします。わたしやることがいっぱいあるので、失礼します」
「何を言っているの? やることとはまずアベックス寮に報告に行くことよ」
報告、ねぇ?
「寮長の交代は、旧寮長のガネット先輩と一緒にそれぞれの寮長を訪ねます、学園で」
あなたと一緒に報告に行くようなことではないと含めたけどわかったかな?
よくないけど、わたしはミス・スコッティーが嫌いなようだ。
後ろで地団駄踏んでいる寮母をそのままに、厨房へ向かう。
ノックをしてドアを開けると、ひとりの成人したばかりぐらいの女性が忙しく動きまわっていた。
「まだ、朝食の時間じゃないですよね?」
きちっと髪をまとめ、清潔な装いでエプロンをしている。
厨房を訪ねたのは、急かしにきたのかと思ったようだ。
「はじめまして。新しく寮長になりましたリディア・シュタインです。どうぞよろしくお願いします」
「しゅ、シュタイン……貴族のお嬢さまですね。あたしはレノアといいます。厨房の……責任者です」
こんな若いのに責任者なんて有能なんだなと思いながら挨拶を交わす。
ん、この匂いは……。
「失礼します」
「え? あ、火を使っているから危ないです。ええ、獣? 厨房に動物は困ります!」
わたしはコンロの火を止めた。
後ろにやってきたレノアは、鉄板の上の惨状を見て頭を抱える。
「なんてこと! それでなくても成長期のお嬢さんたちに、行き渡る量が少ないのに!」
木の箱に入ったマルネギ5つと芋10個、ニンジが3本。これは今日の分の野菜だろう。その横にいろいろな野菜クズが一緒くたになった山積みの鍋が3つほどある。
「こちらが今日の分の材料ですか?」
レノアは神妙に頷いた。91人の2食分がこれだけか。これだけで回してくれていたんだ。
「あの、こちらはクズに見えるでしょうが、形が悪いとか外側は貴族の方にはお出しできないとかそういう理由のもので、悪いものではないですよ。こちらは捨てるものをもらったので、費用はかかっていません。あ、捨てると言っても貴族には出せないというだけで……その……」
「他の寮の野菜クズをもらってくれていたんですね?」
「その……お腹が空くと思って、少しでも量を増やしたくて」
鼻の奥がツーンとする。
「明日から費用がアップしますから、またよろしくお願いします。今日の朝ごはんはどうしましょうか? エプロン借りていいですか? それから獣ではなくお遣いさまです。清潔なので大丈夫です」
もふさまは体を震わせれば、いつでもピカピカにきれいになるのだ。
「そうなんですね。え? お遣いさまって、ああ、聖樹さまの……、エプロン、なぜ?」
レノアは混乱しているみたいだ。
「料理は得意なんです。手伝います。わたしが中断させて焦げさせたようなので」
髪をまとめ、手をしっかり洗う。エプロンをつけ、思いついたメニューを告げる。小麦粉と多くはないがミルクならあるというからね。
朝食の始まる時間までに終わらせないとなので、お互い話したいことは山ほどあるが後にする。
焦がした芋はそのまま鉄板の上でマッシュする。野菜クズは茹でてもらった。
マッシュした芋にバターと小麦粉を練って合わせたものをミルクで伸ばす。
茹でた野菜半分と一緒に混ぜ合わせれば濃い目の重たいペーストになる。
パンにペーストと、残り半分の野菜で作ったスープだ。でき上がったものを素早く配膳する。
もしやと思ったが、常勤の料理人はレノアのみ。夜におじいさんかおばあさんどちらかの助っ人が交代で来るだけだそうだ。レノアは成人したての18歳。去年この寮の料理人見習いとして採用された。その時は3人の料理人が常勤していて夜には助っ人が二人来ていた。それが年が明けたら急にリストラがあって、一番給金の安いレノアだけが残された。助っ人も1日ひとりだ。恐ろしいまでに削られた食費。その中で歯を食いしばりながらも、少しでもみんなのお腹を満たそうと孤軍奮闘してくれていた。夕食も手伝う約束をして、急いでわたしは朝ごはんを食べた。
野菜いっぱいのペーストは味をしっかりつけたので、パンと一緒に食べるとお腹に溜まった。硬いパンもスープの蒸気で少し蒸したから、いつもより数段おいしい。野菜クズのスープもしっかりと塩をしたので、今日のはおいしい。
みんなの表情を見れば、自画自賛でないことは見て取れた。