第266話 ドーン女子寮の総会②役割
「仮定のことばかりで不安に思うかもしれませんが、ひとつ確かなことがあります」
わたしに視線が集まる。
「確かなこと?」
「はい。成長期にちゃんと食事を取らないと、育つべきところが育ちません」
静けさが舞い降りる。
「いいですか? 今どうでもいいと思えることかもしれませんが、〝その時〟は確実にやってくるんです。いざ勝負に出ようと思った時に始めるのでは遅いんです」
「何の勝負?」
「さぁ?」
こそこそ話している声が聞こえるが、それは無視する。
「せっかく学園に来て、知識が身につくんです。そこだけ頭でっかちになって、栄養が足りてなくて、肌はカサカサ、骨もスカスカ、いつもひもじくて、余裕がなくて、周りが見えなくて、刺々しくなって」
思い当たるところがあるのか、それまでわたしを見ていたのに目を逸らす。
「そんなのもったいないじゃないですか。せっかく学園に来て、せっかく来たんだから卒業するのだと覚悟を決めたなら、今度は楽しむべきです!」
削るばかりじゃ、我慢するばかりじゃ、卒業したとしても辛かった思い出だけになってしまう。
「いいですか、お腹が満たされるだけで、幸福感はずいぶん違うんです。肌がカサカサじゃなければ、気持ちも違ってきます。ひもじくなければ気持ちが前向きになるし、きっと楽しめることがあることに気づくはずです。だから食費を削るのだけはやめましょう」
わたしは饒舌になる。ご飯を毎日しっかり食べるために、頑張れわたし!
それにこれで説得することができれば、下手な芝居に持ち込まなくても済むのだ。
あまり体の大きくない先輩が立ち上がる。
「言ってることはわかるけれど、食費がやっぱり一番削れるわ。もし、その学園祭で儲けられなかったらどうするの? みんな退学することになるのよ?」
結局そこに戻ってきてしまう。
まずは退園の呪縛を解かないとだね。
わたしはガネット寮長に尋ねた。
「寮長、願い事をきくのは年度が変わっても、ずっと続ける約束なんですか?」
「……期限は決めてなかったの。ただ、平民がいるのを許せないわけで、寄付をすれば社会貢献をしたとして平民でも認めると言われたから、……一時のことではないと思ったの。退園って年度が変わればなかったことになるわけではないでしょう?」
なんとなく先輩たちの視線が下に向かう。
「確かにそうとも言えますが、わたしは年度が変わったのだから、そのまま引き継ぐこともないと思っています」
みんながまた顔を上げる。
「〝寄付をしてない、だから退園しろ〟って言われたらどうするの?」
「平民がいるのが許せないのなら、男子にもその話がいってないとおかしいと思いませんか? 本気で〝平民追い出し〟を考えているのなら、男子寮にも勝負を持ち込むべきです」
みんなの目が大きくなった。
「……確かに。平民は女子だけではないわ」
誰かが呟く。
「同じ学園に平民がいるのが嫌というのは嘘ではないでしょう。でも本気の追い出しをするほどではない、……これはただのドーン女子寮に対する嫌がらせなのだと思います」
そう、結局のところそういうことだ。まあ平民がいるのが嫌なのは嫌なんだろうけど、それでもしていることは女子寮にだけの嫌がらせなのだ。だからわたしはムカついているのだ。
平民がいるのが嫌なら真っ向から勝負しろと思う。生徒会や学園にそう掛け合えばいい。それをしないのは負けるのが見えているから。
学園側にしたら、最初から平民も通っていて、身分をフラットにして友を得ることも主旨としてる。そこに反論があるなら、そっちが辞めてくれて構わないというところだろう。
そう流れるのがわかっているから、貴族に反論できないドーン女子寮をターゲットにしたのだ。
「……嫌がらせなのはわかっているわ。だからって平民の私たちは貴族に何も言えない」
「そうだと思います。わたしが言いたいのは、嫌がらせなのだから、先輩たちが悪いわけではなく、だから萎縮する必要はないということです」
みんなを見回す。
「嫌がらせで勝負を受けることになった。負けてそれに誠意を見せました。だからもういいでしょう。年度を跨いでまで従う必要はないと思います。だって去年の勝負にわたしたち1年生は参加していないのですから。顔ぶれが変わったのに強要もできないと思います。難癖つけられても、そう押し通せると思います」
はっきりした理由がある、ドーン女子寮に落ち度があり一連のことが起きたのだとしたら話は複雑になるが、嫌がらせから始まったことなら逃れる道はある。問題は先輩たちがそれは去年の話だと終わらせられてないところなのだ。
「寄付自体は悪いことではありません。できるところで捻出して寄付するのはいいことだと思います。でもそれを強制されてやるのは違うと思うんです。
先輩たちは社会貢献をいいことだと思って寄付を続けようとしているのではありませんよね? 年度が変わったのに退園話が続いていると思えている。その思いから抜け出せないんですよね? だから再戦しましょう。今度は勝って嫌がらせをしたことをたっぷり後悔してもらいましょう」
「後悔してもらうって?」
「負けたら、わたしたちと同じ生活をしてもらいましょう」
「あのお嬢さまが掃除をするの?」
「あんな硬いパンや、薄いスープを食べるの?」
「1週間ももたなかったら笑ってやろうじゃないですか!」
「面白いこと考えつくわね」
そう言いながら、ガネット寮長は視線を落とした。
「貴族と平民、学園側がいくらここでは身分を等しく扱うといっても、その壁はあるのよ。あなただって伯爵令嬢でしょう? アベックス寮長は公爵令嬢よ。噛み付いたら、あなたの家だってどうなるかわからないわ」
「公爵令嬢がそんな中途半端な矜恃の持ち主なら笑ってやります」
「あなたの覚悟はわかるけど……」
「覚悟じゃありません。ただの信念です」
「信念?」
「わたしは貴族と平民とは役割が違うのだと思っています。その役割を果たしたかどうかで認められたり称賛されるのだと。
確かに地位は違います。貴族が道筋を決める地位にいます。道筋を考えるのも大変なことです。でも考えられた道筋どおりに地道な作業で作り上げることも大事です。その作業をする人がいなければ出来上がらないんですから。
どちらも大切なんです。どちらかがなくなれば成り立たないんです。貴族だから偉いんじゃなくて、役割を全うしたから偉いんです。作り上げる作業をした人もそれを全うしたから偉いんです。それが積み重なり賞賛に値しているんです」
「貴族だからそんなふうに言えるんだわ」
向かいに座っている先輩にキッと睨まれる。
「そう、貴族に生まれついただけでね」
その隣の先輩に諦めに似た表情で見られる。
「そうです。わたしはたまたま貴族の家に生まれただけです。まだ何も役割を果たせていません。でも、先輩たちもそうですよね? 平民に生まれついただけ。先輩たちは役割を果たしていますか?」
「平民の役割?」
「平民というか、自分自身の役割です。自分の意見を伝えること。時には間違っていることは間違っていると正そうとすること。自分もみんなも少しでもいいことが増えるよう努力すること。人によって思いつくことは違うと思いますが、信念をもち、人と折り合いをつけながら信念を貫く、わたしはそれを学ぶために学園に来ました」
またまた静けさに包まれた。
ガネット寮長が立ち上がり腕を組む。
合図だ。
「私が寮長の間は〝再戦〟を認められないわ」
とても静かに、でも通る声でガネット寮長は言った。
その瞳が〝言え〟と言っている。本当に〝寮〟を変えたいならやり通しなさいと寮長は言った。新入生に大変な重荷を背負わせてごめんね、とも。
わたしの説得では先輩たちを攻落できなかった。このまま続けても話は進まない、寮長はそう判断した。
説得するプランAから、プランBへと移行することになる。
わたしが立ち上がると、レニータたちも立ち上がり、わたしの横に来てくれた。静かにわたしの足元で寝そべっていたもふさまが、わたしの片足に重心を乗せる。声にならない〝頑張れ〟が聞こえる。
わたしは目を少し閉じて息を整えた。