第260話 考えごと
放課後部室に向かえば、先輩方が優しく迎え入れてくれた。
改めて自己紹介をしあった。
部長のタルマ・ロジャー先輩。のっそり大きな人だ。茶色い髪に榛色の瞳。物作り全般的に好きだそうだ。4年C組。
ユキ・ビンガー先輩。金髪に青い瞳の小柄な少女。絵を描かれるそうだ。3年C組。
エッジ・ストロ先輩。深緑色の短髪に茶色い瞳。お菓子作りが好きな無口な男の子。2年B組。
顧問の先生は週の始まり、火の曜日に挨拶をすることになった。
休む時は前もってでも当日でも誰かに伝えれば良くて、あとは部室内でも外でも好きに活動していい。年度末に作ったものを活動していた証拠に見せる必要があるだけ。そういう緩さが嬉しい。そこまで広くない部室でも部員は4人プラス1匹だから十分な広さだ。
わたしはテーブルの一角を借りて、父さまたちからもらった日記帳を広げた。足元にもふさまが寝っ転がる。
各々、好きに行動しているので、ほんと過ごしやすい。入部した初日であるのに、ずっと前からこの椅子に座り、テーブルのこの場所で書き物をしてきたような錯覚さえ起こる。それがまた嬉しかった。
分厚い日記帳に書き留めていると後ろから声がかかる。
「それはどこの国の文字? 初めて見るわ」
「えっと、秘密文字です。わたしだけの暗号というか記号というか」
後ろから覗き込んでいたユキ先輩に答える。
読まれたくないみたいで感じ悪いかと思って、慌てて言葉を付け足す。
「日記帳でもあるので、わからないように書けたら面白いかと思って」
父さまと母さまからの入学祝いの日記帳、これには毎日の想いを綴っている。
日記帳だけに誰も読めないように、わたし以外が開こうとするとビビビっと痺れるシールドをはろうかなと思ったけど、見ても読めなきゃいっかと考え直し、日本語で書くことにした。
漢字はあやふやなものも多いが、ひらがな、カタカナ、ローマ字、それから簡単な英単語ぐらいは綴っているとすらすらと出てきた。夜寝る前に楽しくて書いているが、物語もこれに書き込んでいこうと思って持ってきたのだ。
「へぇー、ちなみにここはなんて書いてあるの?」
「空の青色を作るには、ことさら神経を使わなければなりません」
「え? どんなお話なの?」
「天候を司る神様と、新米下っ端眷属が頑張る話です」
「うわー、出来上がったら、読ませて! あ、この文字で書くの?」
「出来上がったら、ちゃんとした文字で清書します」
ユキ先輩は嬉しそうに笑った。
「楽しみに待ってるね。あ、急かしたわけじゃないから」
「はい」
ユキ先輩はわたしに話しかけてから自分のキャンバスへと向かった。
髪を纏め、エプロンをつけている。絵具とも油絵の具とも違う何かがパレットっぽいものの上に出されていた。
ユキ先輩の指さしたところが、物語を書いていたところでよかった。
わたしが今まとめていたのは、お昼にアイボリー令嬢とマーヤ令嬢から聞いたアベックス女子寮とドーン女子寮の案件だ。
ヤーガン公爵令嬢は、平民が学園にきているのが嫌。
ずっとD組の寮長に難癖つけてキレたところで勝負を持ちかけたってところかな。
平民が一緒なのが嫌なのなら、女子寮だけというのが中途半端だ。男子寮には協力を求められないから? 男子寮にはロサ殿下もいるもんね。学園では身分は関係なくフラットに過ごしたいと公言している殿下だ。唯一自分より身分が上になる殿下。それに真っ向から反対を唱える勇気はないとみた。
派手にやり合ったらすぐに問題になる。だから逃げられないように、ドーン女子寮の子たちが自主的に出ていくようなシナリオを立てたんだ。なんて地味でエグい嫌がらせ。それに、今騒いだところで、寄付のことでポイントをもらってしまっているから、そこが逆にネックになってしまう。
わたしは毎日ちゃんとした食事が食べたい。
それには食費を切り詰めて寄付をしているのを取っ払う必要がある。
寄付という社会貢献はいいことだと思うけれど、強制されてやるのはおかしいと思う。だから強制は外さないとね。
寄付金を集めるには食費を切り詰めるだけが方法じゃない。これはなんとかしていけるだろう。説得さえできれば。
年度が変わったことだし、アベックス寮と勝負するが一番スマートだ。勝って今度はこちらの願いごとを聞いてもらおう。
「昨日みたいに溢れる元気がないね」
大きな先輩、部長のタルマ先輩に声を掛けられる。
「そ、そうですか?」
もふさまも、のっそりとわたしを見上げる。
「……やろうと思うことがあるんですけど、うまくいくか不安があるのかもしれません」
たとえば思い通りに事が運ばなくても、みんなに被害が及ばないようにしたい。けれど、不安がつきまとう。
「……その椅子、俺が作ったんだ」
「やっぱり手作りだったんですね。座り心地もいいし、なんていうか、気持ちのいい椅子です」
立ち上がって全体を見る。素朴ではあるけれど、本当なんか落ち着く椅子なのよ。
「ありがとう。俺は物を作る時、良いものが作れるといいなと思っているし、良いものをという目標はあるんだけど、作っているときはそうは考えないし、もっと他のところに一生懸命になっている。これはね、まさに、ずっと座っていられるような落ち着ける椅子を目指したんだ。座り心地のいい椅子の角度の統計をとって、傾斜や凹みを考えてね」
統計をとったりするんだ……。
「今までも物語を書き留めてきたんだよね? いつもどんなふうに作品を作っていた?」
どんなふうに?
「うまい作品を書きたい、と思う?」
「それはもちろん、読んで楽しいとか面白いとか思ってもらいたいから、うまく書けたらなって」
「うまく書けたらは目標であって、うまく書くことを〝書く〟わけじゃないよね?」
確かに目標ではあるけれど、それが手段にはなっていないと思う。
「うまくいかせたいと思うのは当然のことだけど、結局なりふり構わず夢中でやることしかできないのかなって思っている。目標であり結果なんだ。できることは目の前のことを、そうなれるよう積み上げていくだけ」
ふたりで話していると目の前にクッキーが置かれた。
「ありがとう」
タルマ部長が2年生のエッジ先輩にお礼をいう。
「リディア嬢を励ますのに出したみたいだよ」
こそっと言われて、じんわりと胸があたたくなる。
「ユキ嬢はドタバタしているイメージがあるかもしれないけれど、絵に真剣に向き合っている時、とてもキレイなんだ」
スーッと先輩の視線が描くのに集中しているユキ先輩へと動く。
本当だ。キャンバスに向き合い、手を動かしながらも、それは自分との対話のようで、絵に魂を入れているようにも見えた。魅入ってしまった。
「きれいだろう?」
あ、先輩はユキ先輩が好きなんだなと思った。その視線がとても優しくて、なんか赤面しているのではないかと思う、〝ユキ先輩を見ている先輩〟を見ているわたしが。
「頑張っている人は応援したくなる。だからきっと大丈夫だよ」
え?
「リディア嬢も、一生懸命だから、きっと協力者が現れて味方してくれる。だから大丈夫だ」
「……はい」
わたし励ましてもらってたんだと遅ればせながら気づいた。このクッキーも、昨日と少しばかり様子が違う後輩に、励ましてアドバイスをくれてるんだ。ありがたく、嬉しいな。ひとつ摘んでみる。口の中に入れると、サクッとした食感でわたしが作るクッキーとはまた違うタイプのものだった。おいしい!
エッジ先輩にキッチンの掃除を手伝うから少し使わせてもらえないかと頼み込んだ。
夜、森での作業は面白くもあるけれど、やっぱりちょっと怖いから。
許可をもらったので、フレンチトーストを焼くことにした。鞄から見せ収納袋を出し、卵液を限界まで吸い込んで膨れているパンたちを取り出す。預かったパンだけじゃ淋しかったので、手持ちのパンもいっぱいつけておいたのだ。袋から出した鉄板をコンロの上におく。火をつけ、鉄板があたたまったらバターを落とす。バターの海にタプタプのパンを滑りこませる。ジュワーといい音がし、やがて部室がなんともいえない甘い匂いで包まれていく。焼いて焼いて焼き続けた。調子にのって作りすぎたかもしれない。
キッチンを使わせてもらったお礼に先輩方にもフレンチトーストを食べてもらった。蜂蜜をたっぷりかけたものを。
おいしいと言ってもらって、わたしも大満足だった。